バイトが終わり夕暮れの道を歩いている未由子の胸にはまだ何かが渦巻いている。歩いていく道で何度もため息を吐いても、溜まっている何かは消えない。未由子は空を見上げた。

「祐希の……バカ………」

 そう呟いたその時、未由子の耳に足音が聞こえた。もしかして、またさっきの男たち?! そんな恐怖を抱いた未由子は振り向かないように少し速く歩く。

――遊ボ

 背筋にぞくりと来た気持ちの悪い感覚。耳ではなく頭に響く無気味な声。未由子の足は止まった。

「また…嘘でしょ……」

――楽シクシヨ、お姉チャン

 甲高い声、異様に低い声。いくつもの声が混ざった声を聞いた未由子の瞳には涙が溜まっていた。足が、がくがくと震え始める。

「やだ、や……動いて……」

 未由子の意志とは逆に、足は全く動かない。足音は少しずつ近付いてくる。未由子の頭にはっきりとした声が響く。

『お前にも、私の声が聞こえるのだろう?』

 未由子の目が、大きく見開かれた。

 

 

「アーディス?! 何でお前、ここに居るんだよ!!」

 祐希が家に帰ると、祐希の自室に立っているアーディスがいた。いつも通りの無表情で祐希を見つめている。

「お前普段広塚の家に居るだろ? 何で俺んちいるんだ!」

「啓也がいない。一番近かったのはお前の家だった」

「広塚がいない……って、あ。あいつ遠征…!」

 そういえば学校にも広塚啓也がいなかったことを祐希は思い出した。確か、テニス部は遠征試合だったはず。それならついて行けばいいのに……と祐希はぐったりと勉強机とセットの椅子に座った。

「晴時の家でもよかったじゃん…いいか、次広塚いなくなったら晴時の家! わかった?!」

 祐希が言うと、アーディスはこくりと頷いた。それからアーディスは祐希の部屋を見回す。

「散らかっているな」

「悪いか」

「良くはないだろう」

 アーディスはそう言って、床に落ちている楽譜を拾う。祐希は疲れきった顔でその様子を見ていた。

「楽譜見て楽しい?」

「何が書いているか理解出来ない。お前は、これを使っているのか?」

 突然のアーディスの問いに、祐希は頷く。アーディスは二、三回瞬きをして呟いた。

「すごいな」

「……え?」

 小さすぎるその声に祐希は驚いた。が、アーディスのほうはそんな言葉を言ったように感じさせない相変わらずの無表情で窓の外を見ていた。よく広塚はアーディスと一緒に居れたなあ……祐希は啓也を初めて尊敬した。その時、アーディスの表情が険しくなる。

「PoPだ」

「…は?!」

 

 

 このごろ自分もファンタジーに生きている気がする。雅は少し前を走る三戸貢の背中を見ながらそう思った。無気味な気配を感じた雅がその方向に行こうとしていたら、いつの間にか貢もいたのだった。雅の中で貢といえばファンタジーの代名詞である。それと同じ方向に走ると言う事は、ファンタジーワールドの仲間入りなのだ。

「『道化師』だ。間違いない」

「それぐらいわかってる。本当にこの町出やすいんだな……」

「だから俺はいる」

 貢は走っているのに一切息を切らさずに淡々と言う。速度はさらに増し、雅は必死で走った。

「ただの『道化師』ならいいけどな」

「はぁあ?!」

 本当は「は?」と言うつもりであった雅だったが、貢に追いつこうと走っているため息が荒くなっていた。

「広塚少年、だったか。彼の周辺は何かと騒動があるようだ。彼の力は多分、『道化師』も気になっているだろう」

「力……なあ……」

 PoPの存在を何となく理解している貢に対して、全く理解できていない雅は啓也の姿と『道化師』を思い出す。イコールで結ばれる要素がない。その時、雅は足音が増えたのに気付いた。

「誰だっ……って、中田?!」

「み、やびさん!? 何でここに!」

 雅の後ろに走っていたのは祐希だった。雅の前を走る貢も後ろを見て少し驚いていた。二人とも啓也が来ると思っていたからだ。

「お前、私とあいつが走ってて『何で?』って訊くわけか?」

「あー……すんません」

「それよりも、珍しいな。君が連れているなんて」

 貢が祐希よりも少し前を見る。そこには白フードのアーディスが無表情で走っていた。

「広塚いないんっすよ。今日、遠征で」

「遠征? もしかして、広塚って部活入ってんのか?!」

「テニス部っすよ。あれでもできるんですよー」

 祐希と雅の会話を尻目に、貢はアーディスに近寄る。銀色の瞳は貢が見ている方向と同じ方を見ている。やはりか、と貢は納得した。また今回も、ただではすまなさそうだ。

「っつーか……雅さん速いし…貢さんありえねぇし………アーディスずりぃ!!」

 息を荒くして走る祐希。元学校代表リレー選手の雅、一体何で出来ているかわからない(雅論)貢、そしてもはや体力の限界を感じないであろうアーディス。そんな三人にについて行ける吹奏楽部員はほとんどいないだろう。足にはそこそこ自身のある祐希だったが、三人との距離は開いてしまった。

 貢とアーディスが最初に気配の元にたどり着く。人通りの少ないその道に、長い影が出来ていた。貢もアーディスも目的の気配を感じていたのだが、その姿はない。

「三戸! 『道化師』はどこだ?!」

 少し遅れて雅がやってくる。呼吸を整えるため足を止めた。そして、その目に入ったのは一人の少女だった。

「……お前、何で」

「天津、雅…………!!!」

 

 ドン、爆発音に似た激しい音が祐希の耳に届いた。突然の音に祐希は走るスピードをあげて、不気味な気配の元に向かった。近付くにつれて、さらにドンドンと激しい音がする。まずいかも、祐希は呟いた。

 祐希がたどり着くと、そこには傷だらけで弓を持つ貢がいた。

「三戸さん!!」

「っ……逃げろ……危険すぎる…」

「何言って……」

 貢の言葉を聞いて、祐希の走ってきた熱を帯びていた頭が冷たくなった。

「アーディスと、雅さんは?!」

「あの…かげ、……逃げるんだ………」

 立ち上がろうとした貢だったが、バランスを崩した。慌てて祐希は倒れそうな貢を支えた。

「影? それより、アーディスは……」

 祐希が苦しそうな貢をゆっくりと地面に寝かせて顔を上げる。夕陽と黒い影が見えた。その影の正体を見て、祐希は驚愕の表情を浮べた。

「み………未由子、さん……?」

 虚ろな表情を浮べる未由子。その影から『道化師』が発生して、長くのびた巨大な手が雅を掴んでいた。雅の鎌が地面に落ちていて、アーディスがそのすぐそばに倒れている。

「どうして、は…? どう、いう……」

「……許さない……」

 虚ろだった雅の表情が、憎しみに満ちた表情に変わる。歯をぎりぎりと食いしばって、恐ろしい何かを漂わせた。その表情に、祐希はただ驚きしかなかった。

「許さない許さない許さない!!!」

「未由子さん?! 何があったんですか!」

 祐希の問いに、未由子は答えない。未由子の低い叫び声と巨大な手は同調しているようで、雅は強く絞められた。

「うぁあっ!!!」

「未由子さん!!!」

「絶対に、許しはしない………祐希は、渡さないんだからぁ!!!!!」

「あああああああああああああ!!!!!!!」

 未由子の禍々しい叫びと、雅の苦しい叫びが重なった。状況が把握できない祐希は大きく開いた目で、それを見るしか出来ない。その時、擦れた声が祐希に届いた。

「おっ……い……」

「アーディス?!」

 アーディスも傷だらけで、顔を上げて祐希を見るのも苦しそうであった。祐希は走り出し、アーディスを『道化師』から離して貢の隣に寝かせた。

「しっかりしろ、アーディス!」

「あの、女は……PoPに、そその……かされ」

「え?」

「『道化師』に、憑いたPoPが、あの女……と、…操って……」

「未由子さんを?」

 『道化師』が笑った。PoPの声が響いた。

『嫉妬心、それこそ一番とり憑き易い。力を、私のものにする』

「ふざけんな……」

 祐希が立ち上がり、『道化師』とPoPととり憑かれた未由子を見る。その瞳は、怒りで満ちていた。

「俺の大切な人に手を出したこと、後悔させてやる」

「…やめ、ろ……!」

 祐希の声に気付いた貢が搾り出すように声を出した。貢は祐希がただの人間であると思い、必死で止める。

「君に、…どうにか、できる……はず…!」

「三戸さん、借ります」

 しかし必死の制止も聞かず、祐希は貢の持っていた弓を手にする。アーディスはその様子を見てハッとする。

「お前……まさか………」

 初めて手にするはずの弓、しかも『契約者』が使う特殊なものであるはずなのに、祐希は使い方を知っていた。

「無駄……だ!!」

 貢の弓は普通の人間では矢を出現させない。それ故に貢は止めたが、アーディスが「待て」と言った。

「え……」

「……来る」

 祐希が息を吐き、矢のない状態で構えを取る。その瞬間、青い光の矢が祐希の手の中に出現した。貢は目を疑った。

「どういう……」

 そんな呟きも聞こえていない祐希はただ目の前にいる禍々しいモノを見ていた。

「この感覚も、懐かしいな」

 まるで別人のような口調で祐希は言う。その様子の変化に、PoPが気付いたようだった。

『私を貫くつもりか? この女も一緒だぞ』

 その声がしたと同時に雅をもつ『道化師』が未由子の前に立った。このまま矢を放てば、雅も未由子も貫いてしまうだろう。PoPは笑った。

「未由子さん、聞こえますか」

 祐希の声が響く。『道化師』に掴まれた雅にも、後ろに立つ未由子にもその声は届いていた。

「もしかして、焼きもちですか。ったく、未由子さんは心配しすぎだなあ……」

『お前が、この女と一緒にいたせいだ』

 雅はゆっくりと目を開く。弓矢を構えている祐希がいて、雅はただ朦朧とする意識の中で「にげ、ろ……」と祐希に呟いていた。しかし、祐希は一歩も動かない。

「俺が雅さんと話してたから? 確かに、雅さんが知ってて未由子さんが知らない俺の一面がありますよ」

『お前が二人を苦しめる』

「だって、巻き込みたくなかったから。でも、巻き込んじゃいましたね…」

――苦シイ? 楽シイ?

 PoPと『道化師』の声が入り乱れる。祐希はそれでもまっすぐに前を見ていた。

「雅さん、巻き込んじゃってごめんなさい。未由子さんも、ごめん。あと、」

 雅が何か言おうと口を開いたが、締め付けられて言葉が出ない。未由子の虚ろな表情が、少し揺れた。

『ははははははははは!!! お前が全部、全部苦しめる!!!』

 声が響いた瞬間、『道化師』のもう一方の手が祐希に伸びた。

「俺が好きなのは」

 

「未由子だけだから」

 

 矢が放たれる。青い光の矢は『道化師』の伸びた手を破壊して雅を貫き、その後ろにいた未由子を貫いた。『道化師』が青く輝き、締め付けられていた雅は地面に落ちた。

『あ…あああああああああああああああああああああああああああ?!』

「私の矢が貫くのは」

 PoPの叫びが響く。祐希は先ほどまでと全く違う静かな口調で言葉を続けた。

「悪の力だけだ」

 ぱん、と何かがはじける音がした。それと同時に未由子が地面に座り込む。

 全く状況を把握できない雅はゆっくりと起き上がって辺りを見る。倒れている貢とアーディス、座り込んでいる未由子、そして貢の弓を持っている祐希。

「未由子さん、大丈夫っすか?! 雅さんも!!」

「ゆう、き?」

 まだ目が覚めていないような表情で未由子は祐希をぼんやりと見つめる。駆け寄った祐希はその表情を見て笑う。そしてそのまま未由子を抱きしめた。

「ゆ、祐希?!」

「良かった……無事で、よかった……」

「え、え?!」

 未由子が抱きしめる祐希の顔を見ると、目から涙が溢れていた。突然の涙に未由子は完全に慌てた。

「ど、どうしたの祐希!? ちょっと、泣かないでよ!!」

 そう言っても祐希は泣き止まない。未由子は小さく微笑んで「ありがと」と祐希の耳元で囁いた。

「なっ……、…中田、一体どういう事だよ!」

 完全に恋愛モードに走っていた祐希と未由子にためらいを覚えながら雅は状況を尋ねた。未由子がはっと顔を赤くして祐希の顔を強引に雅に向けた。目に涙が溜まっていたが、その表情からして落ち着いている様子だった。

「どういう、って?」

「何がどうなってんだ! 大体」

「どうして、俺の弓を使えた?」

 雅の言葉を貢が続けた。どうやら少し動けるようになっていたが、肩に出来た傷を痛そうに押さえている。それを見て、雅が貢の手を強引に自分の肩にかけた。

「雅…?」

「あー、気にすんな。で、何で?」

 話をそらすように雅が言うと、祐希が数回瞬きをして言った。

「だって、使えちゃったし」

「「…………は?」」

 雅と貢が行きぴったりに声を出す。それを見て未由子が呆れたようにため息をついた。

「出た。祐希の必殺技」

「ひ、っさつ?」

「俺、何か過去の記憶があるみたいでー。んで、弓矢とかも使ったことある気がしてー」

 あはは、と困ったように笑う祐希を貢と雅は何もいえない、そんな顔で見つめていた。そして、祐希は親指を立ててそう言った。

「要はノリってやつっすよ!」

 

 貢が聞いたアーディスの解説によると、祐希には過去の記憶があるらしい。その過去というものが祐希曰く「ひいひいひいひいひいひいひいじいちゃん」のものという、つまりぶっ飛んだ昔の記憶。その課程でどうやら弓を使った記憶もあったそうだ。しかし、何故矢が出せたかという疑問が雅と貢には残った。

「まあ、あれ。愛の力って奴ですよ」

 にっこりと笑って言う祐希の肩を未由子が叩く。

「恥かしい!! 何よ、その言葉!!」

「えー、だっていい言葉思いつかなかったしー」

「ああああ恥かしい!! 祐希のバカ!! 祐希のアホ!! ハゲ!!!」

 そんな風に叫んでいる未由子であったが、その表情はどこか幸せそうなものだった。祐希も叩かれているのに、楽しそうである。

 よくわからないけど、一件落着って感じがする。雅は二人の姿を見て小さく笑った。

 

 

END

 

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