「いいわね、夜の学校! ロマンが溢れてる、って感じね!」

 懐中電灯で前に光を当てながら、里佳さんは楽しそうに言う。俺より前にいるので表情は見えないが、絶対に楽しそうな笑みを浮かべているに違いない。その隣で万智と里志が歩いていて、俺はそんな三人の後ろを歩いていた。

 そんな里佳さんはちゃんと事務室に行って「うちの弟と、彼の妹が忘れ物をしたので、取りに行かせてください」なんて普通に言うから驚いた。てっきり、窓ガラスでも突き破って校舎にはいるかと思っていたのだが、やはりそこは高校生らしく、ちゃんとしている。

「それで、どこのトイレよ」

「さ、三階の女子トイレ……」

「なるほど、自分じゃ女子トイレに入れないから万智ちゃんを誘った訳ね?」

「うっ……」

「それなら万智ちゃんよりも、あたしを誘えばよかったでしょ? 違う?」

 普段ならやんちゃ、って言葉が似合うような里志なのだが、今日は姉の里佳さんがいるせいか、勢いがない。むしろ、小さくなっているようだ。ドンマイ、里志。

 夜の校舎を歩いていて、ふと、アーディスのことを思い出した。

「おい、アーディス」

 小声で声をかけると、暗闇の中からゆらりと姿が現れた。やけに顔が険しいように見えるが。

「何だ」

「あ、いや……。どうしたんだ、そんな険しい顔で」

「調子が悪い」

「調子?」

 アーディスは視線を前方に向ける。そこには、里志と万智を引き連れている里佳さんがいた。

「……異様だ」

「何が?」

「わからん。ところで、何故呼んだ」

「いや、何かいるかわかるかなって思って」

 もしもマジで花子さん的なPoPがいたら、アーディスにさっさと送ってもらおうと思ったのだが、

「わからん」

 予想外の返答がきてしまった。

「は?」

「気配も何も感じない。だから調子が悪いと言った」

 何度も言わせるな、という意味も込めてアーディスが言い放つと姿を消した。どうやら本当に調子が悪いらしい。

「広塚くーん? ほらー、早く来なよー!」

 いつの間にか間が開いてしまったので、里佳さんが大きく手を振って俺を呼んだ。さっさと行かないとな、と俺は小走りで三人の下に向かった。

 

 三階の女子トイレの前は異様な静けさが漂っていた。夜の学校で幽霊と追いかけっこをしたとは言っても、あの時は完全に頭に血が上っていたから回りが見えていなかった。改めて見ると、夜の学校っていうのは不気味だ。

「ここね。それで、今までも花子さんの声を聞いたって人は多かったわけ?」

「肝試しで、入った奴が聞いたって言ってた」

「あと、放課後もよくそんな声がするって……」

 里佳さんの問いに、里志と万智が答えた。里佳さんは携帯を取り出し、何かを打ち込んだ後に俺のほうを向いた。

「広塚くんも長月小出身だったよね? 花子さんの話、聞いたことある?」

「いや、ないです」

「だよねー……あたしも聞いたことないし。割と最近の噂なのかしら」

 首をかしげながら、また何かを打ち込んでいる。どうやら、メモをとっているらしい。意外と真面目に調べようとしているから、少し驚いた。

「さてと。あんまり長居もできないから、さっさとやっちゃいましょう」

 ぱた、と携帯を閉じてポケットに入れると、里佳さんはにっと笑った。何か、嫌な予感がした。

「はぁーなぁーこぉーさぁーん! あっそびーましょぉー!」

 思いっきり息を吸って、叫んだ里佳さん。あまりにも唐突な出来事に俺も、万智も、里志も、呆然とした。

「…………」

 あたりは沈黙に包まれる。きっと、花子さんも俺たちと同じように呆然としたんだろう。里佳さんはいつの間にか携帯ではなく別の機械を手に持っていて、それをトイレに向けていた。

「あの、里佳さん」

「しっ」

 里佳さんは口の前で人差し指を立てる。黙れ、ということだろうか。よくわからないままその様子を見ていること数分、里佳さんは機械のボタンを押して俺たちのほうを向いた。

「何か聞こえた人ー?」

 まるで先生のような問いかけに、俺たちは首を振る。誰も、何も聞こえなかった。

「よねぇ……。何か録音されてるかしら」

 持っていた機械を耳に当てて、里佳さんはボタンを押した。ボイスレコーダーというやつらしく、真剣な顔をして聞き耳を立てていた。しかし、漏れてくる音は特になく、里佳さんは小さく息を吐いた。

「仕方ない。入るしかないわね」

「はい、る?」

 意味がわからなかった。入る、ってどこに?

「そう。もしかしたらこんなに大勢で、花子さんも恥ずかしがっちゃってんのかもしれないし」

「いやいやいや、余計花子さん恥ずかしがりませんか?!」

「そんなことないわよー?」

 ねぇ、と里佳さんが万智に同意を求めるが、万智は困ったような笑みを浮かべて首をかしげている。そりゃそうだろう、と思ったときだった。

 トイレの中に、誰かがいた。

「あれは……!」

 やけに白い肌をした、おかっぱの少女。三番目のトイレから姿を出したその姿は、間違いなく、

「あああああああっ!!」

「え?!」

 俺の声に、里佳さんがすばやく俺のほうを見る。里志も万智も驚いたように目を大きく見開いて俺を見ている。

「あっ、あっちに怪しい人影が!」

 言いながら俺は階段のほうを指差す。里佳さんが「なんですってぇ?!」と言うと同時に走り出す。それを里志と万智が慌てて追いかけた。

「ちょ、姉貴! 待てよ!!」

「ま、待ってぇー!」

 しばらくするとばたばたとした駆け音が遠のく。あたりを静寂が包んだ。

「……アーディス」

 隣に、アーディスが姿を現す。俺と同じように、じっとトイレを見つめている。

「はっきりと感じる。だが……」

「まだ、PoPじゃない、よな」

「ああ。いずれにせよ、ここに居させるわけにはいかない」

 そう言ってアーディスはトイレに入る。少女がびくりと、肩を震わせた。その表情は、とてもおびえているようだった。

[わたし、は……]

「本来行くべき場所に、お前を送る。痛い思いはさせない」

[……本当に?]

「ああ」

 アーディスは少女の頭に優しく手を乗せた。アーディスもこんなことするんだ、と正直驚いた。そんな風に思っていると、アーディスがこっちをじっと見ていた。

「おい」

「え?」

「来い。力が使えないだろう」

 来い、と言われているのは俺か。なるほどなあ、と手をぽんと叩くが、すぐに首を振った。

「って、俺が女子トイレに?!」

「何か問題があるのか」

「あるわ!!」

「どうせ誰も見ていない。……まあ、入らないというのならそれでも構わんが」

 てっきり力ずくでトイレに入れるかと思っていたのだが、アーディスはあっさりと言った。その後、少女の方を向いた。

「仮にお前がPoPになったときは、真っ先にあいつを狙え。この場所に連れ込むといい」

「っておい! 何吹き込んでんだよ!!」

「どうする、啓也」

 どうする、と言われても選択肢は一つしかないだろう。

「わかったから……」

 諦めのため息をついて、俺は女子トイレに入ったのだった。

 

「広塚くん? あれ、ここに居たの?」

 トイレの前に立っていると、里志と万智を連れた里佳さんが戻ってきた。

「あ、はい……。いや、追いかけてたんですけど見失って……結局ここに戻ってきました」

 あはは、と笑ってみるけどたぶん、上手く笑えてないと思う。こういうとき、本当に中田と水市ってすごいんだなあと思った。

「ああ、ごめんねぇ。ついつい突っ走っちゃったみたいで……。でも、何にも見つからなかったわ」

 どうやら、ごまかせたみたいだ。安心して小さく息を吐くと、里佳さんが「そうよねぇ」と急に言った。何が? と思いながら黙っていると、里佳さんが言葉を続ける。

「結局何も見つからなかったわね。うーん、そろそろ出ないと宿直さんに怪しまれるわね」

 そして里佳さんはにっと微笑んた。

「今日がダメならまた次ね! 今度はうちのオカ研で調べに行くわ。じゃ、帰るわよー!」

 里佳さんは里志と万智の手を引いて、歩き始めた。歩き行く里佳さんの背中を見て、なんともポジティブな人だとつくづく思った。

 

 そして翌日。

「結局花子さん、出なかったんだって?」

 学校でぐったりと机に突っ伏していると、にやにやとした笑みを浮かべた小野が声をかけてきた。

「小野……お前が言ってた助っ人って……」

「来ただろ? 里佳さん」

 やっぱり、と大きなため息を吐いた。小野の知り合いって、本当に厄介な人しか居ないんじゃないかと思ってしまった。

「あ。そういえば里佳さんが言ってたんだけどさあ」

「何だ?」

「今度、『眠りの使』について調べに来るんだって。長月中に」

 がく、と肩が落ちた。どうかその時は、俺を巻き込まないでいただきたい。

 

 

←前へ    目次へ