Another Story 三番目、扉の、向こう
どこの小学校でもあるように、『トイレの花子さん』というのは長月小学校にもある。この長月小学校というのは俺や中田や水市が卒業した小学校であり、現在、俺の妹の万智が通っている小学校だ。
長月小の『トイレの花子さん』は三階の女子トイレの三番目に居ると言われている。そこに向かって「花子さん、遊びましょう」と言ったら誰も居ないはずなのに返事が返ってくるというらしい。まあ、全国的に有名な花子さん伝説と同じようなものだ。
「んで? 花子さんがどうしたって?」
そんな俺の話を聞いていた中田が半分どうでもよさそうな顔で訊き返す。隣の水市に至っては、大きなあくびをしやがっている。
「だから、万智がそれを調べたい、とか言い出したんだよ」
「へー」
「それが夜中だぜ? 止めるしかないだろ」
「止めればいいじゃん」
水市が背伸びしながら、やる気のない声で言った。そりゃ、できればしているさ。
「つまり、いい説得方法がないから口が達者な俺と晴時に相談した、ってこと?」
「その通り」
本当はそう言いたくなかったんだけど……なんて思いながら頷く。俺が説得したところで万智が話を聞くとは思わない。だから、いい方法を考えてもらおうと中田と水市に相談したのだが、
「いいじゃん、調べさせちゃえば」
「……は?」
中田と水市の背後から声がした。そこに居たのは、小野だった。
「げっ」
「花子さん、いいねぇー。俺んとこの小学校なかったぜ、そんなの」
一番聞かれたくなかった奴にこの話を聞かれてしまった。ああ、もう、最悪だ。
「ついでに広塚、お前も一緒に行ってやればいいじゃねぇか!」
「あ、そうだよ。そうすりゃ、お兄ちゃんも安心だろ」
小野の提案に中田がニヤニヤと笑いながら便乗する。
「そういう問題じゃなくって、小学生と中学生が夜中の学校に侵入することが問題なんだよ」
俺が言うと、水市が「あ、確かに」と同意してくれた。さすが水市、話が通じる。
「っていうか夜中なんだ? 花子さんってエブリデイ・オールタイムで出動してくれるんじゃねぇの?」
「なんか、里志が言うには夜中らしい」
「あー、またサトシくんかぁ」
ニヤニヤしながら言う中田に、何か腹が立ったので頭を一発殴っておいた。
こんな話をする経緯というのは、実に簡単である。
「お兄ちゃんって花子さん信じる?!」
「……はい?」
昨日の夕方、予習をしていた俺の部屋にずかずかと入ってきた万智が、顔を真っ赤にさせて俺に怒鳴るように尋ねてきた。花子さん、と言えば思い出すのはやはり『トイレの花子さん』だったのだが、それをどうして万智が言い出したのかわからなかった。
「何、花子さんが、何だって?」
「里志くんが、花子さんを見たって言ったの。でも、私がいるはずないって言ったら、本当に調べるって!!」
「はいはい、落ち着けって」
どうやら興奮しているらしく、万智の言葉はやけに暑苦しい。
「で、お前は一緒に調べたいのか? 調べたくないのか?」
「……夜の学校、怖い」
万智は素直にそう言った。確かに小学四年生にとって、夜の学校は『怖い』と思うのは正しい反応だろう。逆に慣れている俺も、それはそれでどうなんだろう。
「じゃあ、里志に言えばいいじゃねぇか。『夜の学校怖いから、一緒に調べたくない』って」
「お兄ちゃんのバカ! そんなの言えるわけないじゃん!」
意地っ張りめ。そう思いながら俺は大きく息を吐いた。きっと万智のことだ、里志の話に乗っかって、一緒に調べに行くハメになったのだろう。バカなヤツだ。
そんな事情を説明すると、小野が珍しく何か悩んでいるような顔をしていた。
「……どうしたんだ、小野」
「んー……そのサトシって奴、何処の誰?」
「里志? 陽田里志だけど……それがどうかしたか?」
その名前を聞いた瞬間、小野は何かを思い出したようなはっとした顔になった。
「あー、なるほどなぁ!」
「何がなるほどなんだよ、小野」
「んにゃ。ちょーっといいこと思いついてなぁ」
水市が問うと、小野はにやりと笑う。こういう笑いを浮かべるときの小野が言う『いいこと』が俺たちにとって『いいこと』だった記憶はない。また、ろくでもないことを考えているんだろう。
「広塚! お前、長月小の『トイレの花子さん』を調べろ!」
「……やっぱり」
「安心しろって! 夜が怖いであろう広塚のために、俺が助っ人用意してやるからさぁ!」
ぱんぱんと俺の肩を叩きながら小野が言う。嫌な予感、嫌な予感。
「よし、じゃ、今日の夜のー、九時だったな! さっさと調べて来いよ!」
ろくでもないことに、巻き込まれる予感しかなかった。
万智が学校に忘れ物をしたから一緒に取りに行ってくる。母さんにそう言ったら、「暗いから気をつけなさい」程度で家を出ることがあっさりとできた。とりあえず小野の言う助っ人がどこの誰だか知らないが、さっさと里志を説得して帰らせて、話を無かったことにすればいい。花子さんは夜中よりも、夕方の方がよく出てきそうなイメージが強いし、そんな感じのことを言えば、里志も納得するだろう。
「お兄ちゃん……」
そんなことを考えていたら、万智がちらりと俺を見る。やっぱり夜の学校に行くのは抵抗があるらしい。
「大丈夫だって。里志を適当になだめりゃ、終わるからさ」
「うん……でも……」
「何とかなるって。さっさと終わらせるぞ」
そして、長月小の正門前に辿り着いた。時刻は九時ちょっと前ってところだ。そろそろ里志が来るかな、と思ったら予想通りにやって来た。しかし、その顔は暗闇の中でも必死なのはよくわかり、ものすごい勢いで走ってきたのだ。
「さ、里志?」
「あああっ、万智! ひ、広塚の兄ちゃんも! に、逃げて!!」
「逃げる?」
突然の里志の言葉に俺も万智も首をかしげる。その直後、どたどたどた、と走るような音が響く。
「くぉらぁぁぁぁ、里志ぃぃぃぃぃぃ!!!」
暗闇の奥から現れたのは、女の人。制服姿から判断すると、月原高の生徒らしい。
「げっ、来た!」
里志が逃げようと走り出したが、その女子高生の方が早かった。里志の首根っこを掴み、自分のほうに引き寄せた。
「来た、じゃないわよ、里志? えぇ、どういうことよ?」
「だって、何で来るんだよ、バカ姉貴!」
「お姉ちゃんに向かってバカは無いでしょうが!」
目の前で繰り広げられているのは、どうやら姉弟喧嘩らしい。状況が読めていない俺と万智に気づいたのか、女子高生は里志から手を離して、こちらを向いた。
「君が、広塚くん? 万智ちゃんのお兄ちゃんの」
「あ、はい」
「はじめまして。里志の姉の、里佳です。いつも弟がお世話になっています」
にこ、と笑う姿は先ほどまでものすごい勢いで走ってきて、里志の首根っこを掴んで怒鳴っていた様子を感じさせないようだった。里志のお姉さんで、しかも高校生で、ついで言うと里志に怒鳴っていたと言う事は……この計画を止めようとしているのか。おお、さすがお姉さん。
「こちらこそ妹が……。それで、えっと、今日のことなんですが」
「うん、知ってるわ。里志が、万智ちゃん連れて『トイレの花子さん』を調べようって言うんでしょ?」
なんと話が早いことだ。
「そうなんですよ。そんな、小学生だけでさせちゃ駄目ですよね」
「そうよねぇ。全く、何であたしに黙って行こうとしたのよ里志!」
里佳さんが里志に向かって怒鳴ると、「だ、だって……」と弱気な里志の声が返ってくる。やはり姉には逆らえないようだ。お姉さんに黙って行くとは、危ないことを……
「何で、そんな面白いことをあたしに言わなかったの?!」
……ん?
「だって、言ったら絶対姉貴、ついて来るだろ!」
「当たり前でしょ?! 長月小に花子さんがいたなんて知らなかったわよ!」
「いいじゃねぇか、姉貴がついて来なくても!」
「良くないわよ! あんた、あたしを誰だと思ってんの?!」
嫌な予感、嫌な予感。
「あたしは月原高校オカルト研究会会長、陽田里佳よ! 花子さんを調べないで、どうするのよ!!」
堂々と宣言する里佳さん。どうやら俺は、本格的にろくでもないことに巻き込まれたらしい。