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活動記録:留まる亡霊、動く時間
《前編》
それは少し昔のこと。
とある公園のすぐ近くに、不気味な建物があった。その建物には、亡霊が棲んでいるという噂も、あった。
その建物には古びた看板が下げられており、そこには『刀屋』という文字が記されていた。
興味本位でその建物に入った人々は確かに亡霊を見た、とか、出て行けと言われた、とか、物が勝手に動いた、とかいろいろな証言をしており、そのおかげで『刀屋』にはめったに人が寄り付かなくなったという。
[……また誰かきやがったな]
苛立ち交じりの低い声。声を出した張本人である青年は、黒く長い髪を高い位置で一つに結っていた。その瞳もまた黒く、そして身体の奥底からの苛立ちを全てそこから発しているような、そんな鋭い瞳を入り口に向けていた。
ぎぃ、と古い木が軋む高い音がして扉がゆっくりと開かれる。
「えー、本当に出るわけないじゃんー」
「わかんないだろ? 本当に出たらさ、皆に幽霊の写真とって見せないとさあ」
「幽霊見たって皆に自慢できるねー!」
古い建物と不釣合いな若者の男女の声。そんな声に、青年は苛立ちを更に募らせた。
ぎぃ、ぎぃと音を立てて男女は建物の中に入る。まだ昼間だというのに薄暗いその建物の中を、持ってきた懐中電灯と開けっ放しの扉から差し込む光で確認していた。
「うわー、超埃っぽいなあ」
「ちょっと、服マジで汚れるじゃん、これー」
気の抜けた男の声と、わずかに怒りが混じった女の声。そんな二人の声を聞き流し、青年はすっと二人の間を通り抜けた。二人は青年に気付かず、だらだらと互いの感想を述べ続けている。
ばんっ、と大きな音がしてあたりは暗くなった。
「……え?」
男か女か、どちらかがそんな声を上げた。二人が驚いたように後ろを振り向くと、先ほどまで開いていたはずの扉がしっかりと閉ざされていた。その扉の前に、青年は立っていた。
「あれ、風?」
「そんなわけないじゃん。風なんか吹いてなかったよ」
「でも、どうして」
男が持っていた懐中電灯の光を扉に向けて当てようとしたその時、突然光が消えた。
「え?!」
男は慌てて懐中電灯のスイッチを入れたり消したりを繰り返した。が、光は点らない。女は怯えたように男の腕にしがみついた。
「ちょっと、どうしたの?!」
「で、電池切れ、かも」
「やだ! 予備とか持ってないの?!」
「そんなの持ってるわけないだろ!」
かち、かち、かち、という光の点らない懐中電灯の空しい音だけがあたりに響く。早く点いてくれ、と男が願ったとき、二人の耳に新たな音が届いた。
ぎぃ
「…………」
二人とも動いていないはずなのに、木が軋む音がした。
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ
それも、歩いているようなリズム。
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ
そして、少しずつ、二人のもとに近づいてくるような。
「……な、何」
女が呟いた直後だった。
「うわぁ?!」
ぱあん、と何かが弾けるような音がして、続いて男の悲鳴と地面に何かが落ちる、鈍い音がした。ごろごろ、と懐中電灯が地面に転がる。
「何?!」
「誰かに今、手を……」
女の問いに男が震える声で答える。答えを聞いた女は全身から熱という熱が引いたように感じた。
「誰か、って」
いるはずないじゃない、と女が続けようとしたときだった。
ぎぃ
再び、木の軋む音。女は男がいる方とは反対側の隣から聞こえた音に息を詰まらせた。隣に、誰かが立っているような気がするのだ。
「……だ、だれ……?」
今、ここにいるのは自分と彼だけ。それは理解しているのに、女は震える声で隣にいるであろう誰かに尋ねた。
――デテイケ
まるで獣が唸ったような低い声が女の耳元に響く。女の身体は、小刻みに震えていた。
「……お、おい」
つかまれている腕から女の震えを感じた男が、ゆっくりと女のほうを見る。暗闇の中でもわかるほど、女の目には涙が溜まっている。
「いっ、いまっ、……で、でて……」
――ココカラ、デテイケ
その声は、二人の耳にはっきりと届いた。居るはずのない第三者の、怒りに満ちた声。
「う、うわあああああ!!」
「ちょっと、お、おいていかないで!!」
ばんっ、と大きな音を立てて男は扉を開けて建物を出る。一歩送れた女は男を追いかけて、転びそうになりながらも建物を飛び出した。そして、開かれたままの扉はゆっくりと、閉ざされた。
[何が肝試しだ、バカバカしい。人の店を荒らすようなことをしやがって]
ぴくぴく、と頬をけいれんさせたように動かしながら言うのはその建物、『刀屋』にずっと居座り続ける幽霊――名をカイという。
苛立ちを露にしている原因は、ここ最近何かと肝試しでやってくる人々である。自分の店である『刀屋』に客でもないのにやってきた上、「きゃー、怖いー!」とかなんとか言って騒ぐだけという存在はカイにとって腹立たしいほか何者でもない。故に、先ほどのように怯えさせて近づけないようにしていたのだが、それが逆効果となって最近では地味な噂となり、よく人が来てしまっているのだ。
[ここにはオレだけ居ればいいんだよ。余計なモノは何にもいらん。勝手に人の店に上がってくるんじゃねえよ]
ぶつぶつと文句を垂れているが、その文句は誰にも届かない。それはその時の彼にとって、変わることのないものだと、思っていた。
ある日、『刀屋』の前はやけに騒々しいものになっていた。
[……ん?]
カイはその音に気付き、そっと窓から玄関を見た。引越し業者のものであろうトラックが一台と、業者の人間が二人、そして大きな鞄を持った赤銅色の髪の青年が一人、店の前に立っていた。
「ここでよろしいんですか?」
「……多分」
不安げな表情の業者が店を見上げながら尋ねると、青年からはどこか適当な返事が返ってきた。青年も店の看板を見上げているのだが、明らかに寝不足、というような様子で、大きく口を開いてあくびまでし始めた。
[何だ、あいつ]
どうやらいつもの肝試しの連中とは違うらしい、とわかったカイだったが、彼の目的はわからない。不審の視線を相手に送りながら、カイはただ様子を見ていた。
「じゃあ、荷物……中に入れますか?」
「いや、いい。その辺に置いておけば、あとはやる」
あくびをしながら言う青年に、業者二人は顔を合わせて、それから青年を見て「はあ……」としか言えなかった。そして業者はトラックの荷台から、大量に詰め込まれた荷物を店の前に置き始めた。一方の青年は、玄関の前に立ち、ゆっくりと扉を開いた。室内はやけに暗く、外の晴天とは打って変わって、雨の前の夕暮れ時、というような重苦しさをまとっていた。埃っぽい空気を感じながらも、青年は寝不足の表情を変えぬまま、店の奥に入る。
[って?!]
何のためらいもない青年の歩みに、カイは驚きの声を上げる。今までの肝試し客と、明らかに違う。ずかずかと我が物顔で店を進む青年の後ろを、カイは慌てて追いかける。
[おい、お前!! 何勝手に店に入ってやがる!!]
「……」
カイの怒鳴り声は青年にも届いているはずなのに、青年は全く反応を示さない。これまでに見たことのない反応に、カイは戸惑っていた。そんな間に、青年は店の奥にある住居スペースに入っていた。
「……」
そこでようやく青年は足を止め、そして、地面に鞄を置いた。ぼふっ、という間抜けな音がしてあたりに煙のような埃が舞う。こんなに埃溜まっていたのか、とカイは青年の後ろから驚きを隠せないように大きく目を開いてその様子を見ていた。
そんなカイの思いを知ってか知らずか、青年は部屋の窓という窓を全て開き、埃まみれの空気を入れ替えた。そして、部屋の入り口付近で呆然としていたカイのほうを、じっと見た。
「……お前、もしかしてカイか」
[……は]
唐突に名前を呼ばれたカイは、開いた目をそのままに、口を中途半端に開いた、間抜けな顔を浮かべた。青年は相変わらずの眠そうな顔のままで、それでもしっかりとカイを見つめている。
「この店の自縛霊だろう。悪いが、今日からこの店の店長は、俺だ」
[…………はあ?!]
青年の言葉の意味がわからず、カイはただ、そんな声を上げるしかできなかった。
[おまっ、は、はあ?! っつーか、お前誰だ!! 俺に名乗らず店長をしようとはいい度胸だな?!]
「井出文葉」
[お前の名前は知らねぇよ!!]
「誰だ、と言っただろう」
[そういう意味じゃねえー!!]
頭を抱えながら叫ぶカイに対し、青年――文葉は眉をひそめて不思議そうな顔をしている。その時、玄関から業者が「すみませーん」と声をかけてきた。
「井出さーん、荷物全部置きましたー」
「……終わったか」
そう呟き、文葉が部屋を出ようとしたその時、突然文葉の目の前で扉が大きな音を立てて閉まった。
[ちょっと待て、お前]
「……俺は井出文葉だ」
[そう言う問題じゃねえよ。何でお前が俺の店を乗っ取ろうとしてんだ?]
カイが怒りと苛立ちを含んだ視線を文葉の背中に向ける。しかし文葉は動じた様子もなく、冷静に閉まった扉を開けた。
「お前、死んでるんだぞ」
文葉の言葉に、カイは、何も言えなかった。