「くっそ……見失った……!」
さすがに無理して走りすぎただろうか、と廊下を走っていた武史は肩を上下させて荒く呼吸をしながら、速度をゆっくりと落として走る。少しずつゆっくりと歩いた。呼吸を落ちつけるように大きく息を吸い、息を吐き出そうとした。
「社長さん!!」
しかし、背後から思いきり背中を叩かれ、武史の吐き出そうとしていた息はどこかへと行ってしまった。突然のことに、武史は大げさに咳き込む。
「げほっ、なっ……、タリタリ?!」
武史が背後を見ると、そこにいたのは里佳だった。
「もしかして、見つけたんですか、亡霊!」
「あ、ああ……。でも、見失って……」
「ええ?! じゃあ、なんて言うか霊感的なもので探せないんですか?」
そこを突かれると、何もいえなくなる。武史は眉間に皺を寄せ、引きつった表情を浮かべた。
「……そ、そういう君らはどうしたんだ?」
「オカルト研究会の活動として、亡霊の正体を探っていました!」
「亡霊、ねえ」
ふっと、武史は表情を緩めて凝りを解きほぐすように首をゆっくりと回す。
「あれは、亡霊じゃない」
「……へ?」
里佳が驚いたように素っ頓狂な声を上げた。その時、ようやく追いついてきた魅貴と光貴が合流した。
「全く社長……急に走り出すからびっくりしたよ」
「里佳も、『ああ!』ってしか言わないで走るから焦ったぜ。で、亡霊の方は?」
「うん、今、社長さんが……」
と、里佳が説明しようとした瞬間。魅貴がはっと、大きく目を開いた。
「社長!」
「え?」
「近くに、"いる"!!」
魅貴が叫んだ直後、四人の後ろにある階段からぱたぱたと足音がした。音の方を見ると、そこに少女がいた。
黒く長い髪、黒いセーラー服に白いリボン、黒いタイツに黒のローファー。前髪は長く伸びており、わずかに見える肌は、全身が真っ黒なせいか、やけに白く見える。
その少女は、その場にいる全員の目に、映っていた。
少女は踵を返し、階段を駆け上がった。それを見て、武史は確信を得た笑みを浮かべる。
「間違いない! あれは、亡霊なんかじゃなくて、ただの人間」
「夜維斗ぉ!!」
武史がびしっと指さして叫びかけたが、それを遮ったのは、里佳だった。里佳は叫ぶと同時に階段を駆け上がり、少女を追いかけていた。
「……今、夜維斗って」
「え、……あの子、女の子じゃないの?」
「と言うことは、ツッキーが……」
置いていかれた魅貴、光貴、武史は呆然とした表情で里佳が駆け上がった階段を見つめていた。それぞれ思うところはあったが、
「えええええええええええええええ?!」
と、同時に叫ぶくらい気持ちは一致していた。
「と、とりあえず追いかけるぞ!!」
「あ、はい!」
「了解!」
このまま呆然としていてもどうしようもない。そう判断した武史は、里佳たちを追いかけるように階段を駆け上がった。まだ先ほどの少女らしき人物と里佳の走る音が上から聞こえる。
「待ちなさい! 止まりなさーい!!」
そんな里佳の大声とばたばたと走る音が誰もいないホームルーム棟に響く。
「何なんだあの体力……、現役高校生ってこんなものなのか……?!」
先ほどからかなりの時間走り続けている武史はぐったりとした顔になっている。一方の魅貴と光貴も疲れの表情は見えるが、武史ほどではない。
「まあ、若いですから、俺たち。って言っても、あれに追いつくのは……」
と光貴が苦笑いで言っていると、最上階にたどり着いた。最上階の廊下の真中辺りに里佳が立っていた。
「里佳、どうした?」
「逃げられたわ」
ち、と舌打ちしながら里佳は光貴に答える。そして肩で荒く呼吸をする武史と、その背中を撫でる魅貴がようやく追いついてきた。
「ったく……こっちの体力を考えて行動してくれ……頼むから」
「ごめんねー。うちの社長、インドア派だからさあ」
「ミッキー、そういういらない情報を提供するのはやめてくれないか?」
ようやく魅貴の言葉にツッコミを入れることが出来るくらいに落ちついた武史が、大きく息を吐き出して辺りを見る。
「ここからどこかに逃げるとしたら、教室の中か?」
「はい。と思ったんですけど、もうこの時間だからどこの教室も鍵がかかってるし、扉の音もしませんでした。だから、教室の中じゃないと……」
「じゃあ、やっぱり幽霊?」
「違う!!」
光貴の推測に対して、武史と里佳が同時に否定を入れる。まさか二人から勢いよく否定が入るとは思っていなかった光貴は驚いたようにぱちぱちと目を開く。
「アレは間違いなく、人間だ。俺の目に映ったんだからな」
「っていうか、夜維斗よ夜維斗! あいつ、学校サボって幽霊騒動起こすとはいい度胸してるじゃないの……!」
里佳はにやりと笑ってぱきぱきと指の関節を鳴らした。どこか怒りを隠しているように見えるその笑みに、魅貴は苦笑いを浮かべるしか出来なかった。それから魅貴はそっと武史の耳元で囁く。
「でも社長。やっぱり"いる"のは間違いないよ。多分、あの女の子の件も関わってるはず……」
「ああ、だろうな。で、ミッキー? 今は、どこにいる?」
「……いた!!」
武史の問いに答えたのは、魅貴ではなく、里佳だった。里佳が指さす方を、武史たちは一斉に見る。間違いなく、先ほど見たセーラー服の少女だった。長い前髪の隙間から見えた口元は、ふっと柔らかく笑っている。
「待ちなさい!!」
里佳が叫び、少女らしき人物に向かって走り出す。同時に武史たちも走り出し、少女らしき人物は素早く踵を返して里佳たちから逃げる。
「この先、何があるんだ?!」
廊下を走りぬけた先には、先ほど武史たちが駆け上がったものとは別の階段があった。その階段はさらに上の階に繋がっており、少女らしき人物はそこを上った。
「タリタリ! この先には何がある!!」
「屋上です! これで逃げ場はないわよ!!」
里佳の叫びに対し、人物はちらりと後ろを見て、口元の笑みをさらに強めた。それを見て、武史は何か違和感を抱いた。何かがおかしい、そんな気がしながらも、人物を追いかける。
「待ちなさーい!!」
人物は階段を駆け上がり、そして屋上へと続く扉を開けた。人物が潜り抜けると、ばんっ、という大きな音がして扉が閉まる。
「追い詰め……ましたね」
閉ざされた扉の前で、ぽつりと光貴が呟く。その言葉に、武史と魅貴、そして里佳が強く頷いた。武史はそっとジャケットの裏ポケットから一枚の紙を取り出した。
「じゃあ、開けますよ」
光貴が宣言して、重い扉を開く。ぎぃぃ、と甲高い音がして扉の向こうが見える、と思った瞬間。
「うわっ!!」
扉の隙間から強い風が吹いた。突然の風に、光貴や里佳、魅貴は目をぎゅっと閉じる。武史も目を閉じそうになるのを堪えて、扉の向こうにいるであろう"何か"を見つめる。
「何、この風っ?!」
「扉が重い……!」
「何だ、一体……」
「――武史!!」
聞こえてきた声に、はっと武史は目を開く。そして、持っていた青い符を、扉の隙間に向けて投げた。青白い光が、一瞬、辺りを包んだ。
直後、ばんっ、と大きな音がして扉が開かれる。
「うおお?!」
「きゃっ?!」
「わあっ!」
「おおっ、と……」
風の抵抗が急になくなって思いきり扉が開かれ、その勢いのまま光貴、里佳、魅貴の順に倒れた。武史は倒れる一歩手前で何とか足を踏ん張り、魅貴の上に落ちることは免れた。
「……何やってんだ、お前ら」
そんな一同の様子に、やる気のない声がかけられる。倒れた里佳ががばっ、と勢いよく顔をあげて、そのまま立ち上がる。
「そのセリフはそっくりそのままお返ししてやるわよ、夜維斗!!」
びしっ、と決めポーズを取るかのように里佳は屋上の柵に寄りかかっている夜維斗に向かって指をさした。
「あんた、学校サボって幽霊騒動を起こすなんていい度胸してるじゃないの? どうなるか、わかってるんでしょうね……?!」
「いや、それより……下」
にやりと無気味に笑う里佳に恐れを全く示さない、やる気のない夜維斗はそっと里佳の足元を指さす。言われて里佳は下を見ると、里佳の足は、光貴の背中を踏んづけていた。
「きゃあ?! しゅ、しゅげっちゃん、大丈夫?!」
「り……里佳、降りてくだ……さい……」
光貴の苦しそうな声を聞いて、里佳は慌ててその背中から降りる。「しっかりしてー!!」と里佳が光貴の肩を掴んで身体を起こすが、光貴はぐったりとしていた。かなりダメージが大きかったらしい。魅貴は里佳と光貴の様子を苦笑いで見ていたが、武史の表情はそれとは違って真剣なものだった。ぎゃあぎゃあと騒ぐ里佳と光貴の横をそっと通り過ぎて、夜維斗の隣に立つ。
「……ツッキー。何があったんだ?」
「……別に」
話を振られた夜維斗は、はっきりと答えずに視線を武史からそらす。わかりやすい反応だ、と武史が苦笑いをしたその時、
「詳しくは、私が説明してやろう」
そんな強気な女の声が、武史と夜維斗の耳に響いたのだった。
「夜維斗、あんたは責任を持って社長さんに美味しいご飯を作るのよ? いい?!」
「……なんで俺が」
「はあ?! あんたが紛らわしいことしたからに決まってるでしょ?! そうじゃなきゃ、社長さんも魅貴さんも、泊まりになることなんてなかったんだから!!」
「まあ、魅貴さんと里佳は俺の家に泊まるからさ、月読は社長さんを泊めること。オーケー?」
「……はあ」
結局、月原高校オカルト研究会からの挑戦状は『会員の不祥事』と言うことで流れることとなった。現在、里佳の頭の中には、謎のセーラー服少女の正体よりも、人を振り回した夜維斗への怒りでいっぱいになっているらしい。まあ、話が流れたほうがやりやすいと思った魅貴と武史は顔をあわせてへらりと笑った。
それから、武史は夜維斗が一人暮らしをしているアパートの一室にやってきていた。
「それで、何があったか教えてもらえるか?」
「……何がって、言われても」
どこから説明すればいいのか、と夜維斗が困ったようにため息を吐き出す。
「だから私が説明する、と言っただろうが」
突然の声に、武史と夜維斗は同時にびくり、と肩を震わせた。
「きっ、鬼堂さん?! っていうか、さっきもちゃっかり学校にいましたけど、これはあんたの仕業ですか?!」
「私の仕業ではない。そうだろう?」
突然現れた鬼堂に対し非難の声を上げる武史に、鬼堂はふっと微笑んで夜維斗のほうを見た。夜維斗は眉間に皺を寄せ、わかりやすいほど不機嫌な顔をする。
「さっさとあんたが送ればいいものを、面倒くさがっただけだろうが」
「はあ?!」
夜維斗の説明を聞いた武史が驚きと呆れの入り混じった声を上げる。鬼堂はそんな声を聞いても笑みを崩さない。
「仕方ないだろう。私の管轄外だし」
「……面倒な死神だな」
管轄とか管轄外とか、まるで警察だ。と思いながら夜維斗は本日何度目になるかわからないため息を吐き出す。
「まあ、説明してやろう。お前らがずっと追いかけていたのはこの月読夜維斗でもあり、そして亡霊でもある」
「つまり、とり憑かれていたって訳か」
武史が言うと、鬼堂は強く頷く。
「そう。その亡霊と言うのが、月原高校に入学したばかりの少女だったのだが、入学してしばらくして病気になり、そのまま学校には行けずに亡くなってしまったわけだ。で、未練が残って彷徨っている中で、偶然夜維斗と出会い、そしてとり憑いた。そういうことだ」
「……本当に?」
鬼堂の説明を聞いても、まだ信じられない武史は夜維斗に確認を取る。夜維斗は小さく頷き、「まあ、大体」と何とも言えない返事をした。
あの日、夜維斗が目を覚ますと目の前に見知らぬ少女の亡霊がいた。その少女は、学校に行きたいと夜維斗に望んできたが、夜維斗はそれを無視するつもり、だった。
「何だ、こんな健気な少女の望みも聞けないと言うのか?」
突然の声に夜維斗ははっと目を開いた。少女の隣に、もう一人スーツの女がいた。それこそ死神、鬼堂である。
「……何で」
「ふむ。ただこいつにとり憑いて学校に行っても面白くないだろう。少し私が協力してやる」
夜維斗の問いに答えず、鬼堂は右手を夜維斗にかざす。直後、夜維斗の意識は闇に落ちていた。そして再び目を覚ましたときには、自分の身体が自分ではない何者かによって動かされていることに気付いた。その正体が少女であることはわかっていたが、一つ理解できないことがあった。
「何で俺、女装させられたんですか」
夜維斗はずっと抱いていた疑問を鬼堂に尋ねる。鬼堂は「え?」ととぼけた様な声を上げた。
「まさかあんた、そう言う趣味……」
「こら武史、何を言っているんだ。私はあくまで、あの少女の亡霊が成仏しやすいように、生前の姿に近づけて学校に行かせたまでだ。証拠に、ほら」
そう言って、鬼堂はどこからともなく紙袋を取り出し、中身を取り出した。出てきたのは、先ほど女装した夜維斗が身につけていた黒いセーラー服である。それを見た夜維斗は苦い表情をして、視線をそらす。
「証拠にって、何ですか。ただのセーラー服でしょ?」
「違う、違う。これは、かつて少女が通っていた時代の月原高校の制服だ。ほら、ここの校章、ちゃんと『月原』って書いてあるだろう?」
「……確かに」
鬼堂から制服を受け取り、武史は言われたとおり校章を見る。確かに『月原』と書かれており、これが月原高校の制服であることを示していた。
「以上、事情説明終了。さて、夜維斗。お前の料理を食べさせてもらおうか」
そう言って、鬼堂は堂々とテーブルの前に座り、夜維斗に言った。
「……は?」
「先ほど会長の彼女が言われていただろう? 責任持って美味しい食事を作るように、と」
「あ、でも俺も腹減ったから食べさせてもらいたいなー、ツッキーの料理」
ぴく、と眉を引きつらせる夜維斗に、鬼堂と武史は食べさせてもらえるのが当たり前、といった様子で笑った。その顔を見ていたら文句を言う気力さえ失って、夜維斗は諦めのため息を吐き出した。それからとぼとぼと、台所に向かって夕食の準備をする。夜維斗の後ろから、武史と鬼堂の会話が聞こえてきた。
「しかしツッキーって成績良いんだろ? それに、あれだけ走れるってことは運動神経もいいみたいだし」
「何? なるほど、霊感もあって頭もよく、運動神経もいいとは……やはり武史より使えそうだな」
「え。俺より使えるって、ひどくないですか?」
「ふむ、夜維斗。お前、卒業したら福岡に来い。私と一緒に死神代行人をしよう」
「ちょ?! じゃあ、俺はどうなるんですか!」
そんな会話をして、ぎゃあぎゃあと言い争いをする武史と鬼堂。それを聞いていた夜維斗の中で、何かがぷつり、と切れた。
「……っ、福岡に帰れお前らー!!」