本を借りた夜維斗は図書室を出た。光貴は瑛子に言ったとおり、美術部のお茶会に参加している。夜維斗が校舎を出たときに、二階にある美術室のあたりから悲鳴が上がったような気がしたが、気にしないことにした。
「お、月読じゃないか」
物理準備室に向かって歩いていると、廊下で大きな封筒を持っているまゆみとすれ違った。手を振るまゆみに、夜維斗は小さく礼をした。
「どうしたんだ? オカ研、活動してるんじゃないのか?」
「あー、まあ……」
「あ、そうだそうだ」
そう言って、まゆみは持っていた封筒を開き、中から一枚の紙を取り出した。表やグラフのようなものが記されているその紙を見て、夜維斗は「あ」と小さく声を上げた。
「月読、お前数理はいいのに、国語がちょーっと悪いなあ」
紙の正体は、先日受けた模試の結果シート。学年だけではなく全国でも一位の成績をとっている夜維斗に対し、まゆみは不満げな顔をしている。
「ほらー、数学と理科満点だぞ? なのに、国語の、しかも現代文だけ七割って……私に対する嫌がらせか?」
「いや……そういうわけでは……」
しかし、その現代文以外の古典と漢文は満点である。そのせいで、現代文の七割というのが目立ってしまうのだろう。現代文の教師であるまゆみとしてはそのあたりが気になってしまうようだった。
「お前ってもしかして、あれか? この登場人物の気持ちがわかるかっつーの、ってタイプか?」
「……はい?」
「いや、わかるぞ。私も時々そう思う。何が楽しくてそんなことするかー、ってヤツ、あるよなあ」
腕を組み、納得したように頷くまゆみの言葉には入り込む隙が一切ない。夜維斗は何か言おうと口を小さく開いていたが、結局何もいえなかった。
「ま、またお前がいつ休むかわからないから先に言っとくからな。気持ちの描写は、前後に絶対あるはずだから読み取れ! そうすれば、現代文も満点取れるはずだからな」
にっと笑い、夜維斗の肩を叩いたあと、まゆみはさっさとどこかへ行ってしまった。なんとなく申し訳なくなった夜維斗は、ため息をついて持っていた本を見た。
「……次は小説でも読むか」
「いっしーってさ、あんまりしつこいと嫌われるよ?」
「しつこいだと?!」
旧校舎に戻った夜維斗の鼓膜を大きく揺らしたのは、悠吾の怒鳴り声だった。物理準備室前の廊下には、うつぶせに倒れている孝文とそんな孝文を撮影しているみなみ、そして物理準備室を不安げな表情で覗き込んでいる志穂の姿があった。
「……今度は何だ?」
「月読、くん?」
小さな呟きを聞き取った志穂が夜維斗のほうを向く。その視線から「助けてくれ」と言っていることを感じた夜維斗は、ため息を吐き出し、志穂のほうに向かった。
「何してんだ、あいつら」
「陽田さんがその……体育館の貸切申請をして……」
「……体育館?」
オカルト研究会と体育館。不釣合いな組み合わせに夜維斗は疑問の声を上げた。夜維斗の反応を受けて、志穂が言葉を続ける。
「うん。七不思議の研究のため、っていう理由みたいで。ちょうどその日は体育館使う運動部が遠征試合や合宿とかで体育館は開いているみたいなんだけど……」
「あー……」
納得したように、夜維斗は気だるい返事をした。室内では里佳と悠吾の言い争いが今も続いている。
「それで、あっちは?」
夜維斗は視線を変えて、倒れている孝文のほうを見る。志穂が「えっと……」と説明しようとしたとき、みなみが勢いよく挙手をした。
「はい! 山下先輩は陽田先輩に、綺麗に、背負い投げされていました!」
「……一応、その経緯も聞いとく」
「野木原くんとの言い争いが激しくなって、山下先輩が『どっちも冷静になれよ』って言った瞬間、陽田先輩が……」
「これが冷静でいられるかー!!」
「ぎゃあああああああ」
どーん。
「と、言った経緯で背負い投げ!」
生き生きとした様子で語るみなみに、夜維斗はがくりと肩を落とした。志穂も苦笑いを浮かべている。
「そのあと、野木原くんが陽田さんに何か言った後、私たちが来たの。そうしたら、こんな感じで……」
「何ていうか、タイミングが悪かったな……」
苛立ちがマックスになっていた里佳に、体育館の使用を許可しない悠吾の言葉は火に油を注ぐようなことになったのだろう。これ以上何もなければいいのだが、という夜維斗のささやかな願いは打ち砕かれた。
「陽田ー!! 柔道場の貸切って、どういうことだ?!」
今度は、暁彦の叫び声。柔道着のまま、ばたばたと走ってきた暁彦を見て、里佳が大きく舌打ちをした。
「誰よ、高島に言ったヤツは……話が面倒になるから内密にって言ったのに!」
「何が面倒だ! 貸切するのはいいけど、それなら――」
「柔道部に戻れって言うんでしょ?! だからあんたには言いたくなかったのよ!」
「何で柔道場の使用許可を生徒会に提出しないんだ?! そんな話、聞いてないぞ!」
「いいじゃないの! ちゃんと柔道部には許可貰ったんだから!」
「俺は許可してねぇぞ!!」
「だー!! うっさーい!!」
里佳はとうとう両手を挙げて叫んだ。苛立ちの限界を超えたのだろう。嫌な予感しかしない夜維斗は、その場から逃げようとした。が、
「夜維斗ー!! 逃げようとしてんじゃないわよ! この二匹をどうにかしなさーい!!」
「二匹?! 俺たちは犬かなんかか!」
「……なんで俺が」
こんなときに限って光貴はいない。しかし、光貴がいたところで状態がよくなるか、と言われるとそうでもないような気もするが……などと考えながら、夜維斗はしぶしぶ準備室に入ったのだった。
[……で、それでいつもよりも暗い顔をしてるわけだな、夜維斗]
「いつもよりは……余計だ」
全てが終わったあと、家路についていた夜維斗はいつものようにいつものごとくカイに捕まり、刀屋で文葉の料理を作るはめになっていた。しかし、いつもよりも表情の暗い夜維斗を見たカイもさすがに心配して、話を聞いていた。
「いい加減に自分で飯作ってください……文葉さん……」
「俺が作るよりお前の作るもののほうが美味いからな」
と、夜維斗の料理を食べながら文葉は言う。全く反省していないような文葉の言い方に、夜維斗は完全に俯いた。
[夜維斗、悪かった。オレがお前を連れてこなかったらよかったな。今度から他のヤツにするから……]
「それもそれで面倒ごとになりそうな気がする……いや、だから、文葉さんが料理すればいい、話しだし……」
一言で今の夜維斗を言い表すならば、暗い。他の表現を受け付けないほど、夜維斗はずっしりと暗い雰囲気をまとっていた。
「今日は本当に散々な一日だ……」
泣きそうに呟く夜維斗の明日は、果たして明るくなるのだろうか。