月読夜維斗優雅な一日

 

「だぁーっ!! 何度言ったらわかるの、野木っち!」

「それはこっちのセリフだ、陽田里佳! いい加減諦めて、合併しろ!」

「誰がそんなことするもんですか! さっさと出て行けー!!」

 とある放課後。物理準備室から、叫び声のような言い争いの声が漏れていた。そんな声につられるように、物理準備室に近寄る影が二つ。

「こんにちはー。なんだか盛り上がっているみたいなので、取材に来ましたー」

「おー、みなみちゃんじゃん。やっほー」

 扉から顔をのぞかせるみなみに、光貴がひらひらと手を振る。みなみの後ろから、孝文も顔をのぞかせた。

「これは一体……どういう状況だ?」

「あ、お邪魔してもよろしいですか?」

「どうぞどうぞー」

 光貴が手招きすると、みなみと孝文が静かに物理準備室に入った。二人が入ったことに気づいていない春弥と里佳は、相変わらず言い争いをしている。

「朱月先輩、これは一体?」

「んー、野木原が立ち上げようとしている『魔術開発研究同好会』をオカ研と合併させたいって言いに来てるけど、里佳がもちろん認めるわけなくって、二人で延々と言い争いをしている図、かな」

 長々と説明口調で光貴がみなみの質問に答える。みなみは興味津々、と言った顔で春弥と里佳の言い争いを見つめていた。一方の孝文は、疑問の視線を光貴に向ける。

「で、お前は?」

「俺? 俺があそこまでディープな話についていけると思います?」

 肩をすくめながら、光貴が逆に尋ねた。現在、里佳と春弥の言い争いは、UMAと妖精について、らしい。

「それで……月読は?」

 次に孝文の興味が向いたのは、言い争う春弥と里佳に挟まれるように座っている、夜維斗だった。両サイドから聞こえるであろう大声にも全く興味なし、という様子で本を読み続けている。

「本、読んでますね。あれ、かなり集中してますよ」

「いやー、もう集中ってレベルじゃないだろ。よく読めるな、あの状況で……」

 感心を通り越して呆れの表情を浮かべる孝文に、光貴が同意の頷きをした。そのとき、夜維斗がぱん、と本を閉じて立ち上がった。

「もしかして、怒ったのか?」

 孝文が驚いたように光貴を見て尋ねる。状況的に、集中力が切れて、その原因となる里佳と春弥の言い争いに対して何か言うのか、と思っていた孝文だったが、光貴は首を振った。

「いやー、あれは……。月読ー、どうした?」

「読み終わった」

 夜維斗は光貴の前に立って、本を見せて言った。それを見た光貴が「ああ」と納得したような声を上げる。

「返しに行くのか?」

「ああ」

「どうしようかなー……」

 光貴は視線を夜維斗から、言い争いを続けている里佳と春弥に向け、それから二人の様子を見つめているみなみと孝文に向けた。

「みなみちゃん」

「はい!」

 光貴に声をかけられたみなみは楽しそうに返事をする。みなみの笑みを見て、光貴もつられるように微笑んだ。

「あの二人の取材、好きにしちゃっていいから、任せていい? 俺と月読、図書室に行くからさ」

「はい!」

「……任せる、って?」

 孝文が首をかしげ光貴に尋ねる。光貴は、にやりと不気味な笑みを浮かべて孝文の肩に手を乗せた。

「里佳が暴走したとき、あとは任せます。多分、投げの体勢に入るから」

「なっ?!」

 それを聞き、孝文は全身の筋肉がこわばったように思った。一度里佳に投げられた経験のある孝文からすれば、そんな状態になった里佳を止められるはずがないことはよくわかっているのだ。しかし、そんな孝文の心境を読み取ろうとしないみなみが代わりに返事をした。

「はい! 任せてください、朱月先輩!」

「田中?! 何を勝手に!」

「じゃ、任せまーす。月読、行こうぜ」

「ああ」

「ちょ、ちょっと待てお前ら?!」

 さっさと物理準備室を出る光貴と夜維斗を止められなかった孝文は、制止のために伸ばした手を落とし、そして肩も落とした。

 

「あれ、なおこちゃんに瑛子ちゃんだ。おーい」

 図書室に向かう途中、光貴は前方を歩く女子生徒を見て声を上げた。一人がびくり、と大げさに止まったのに対し、もう一人はゆっくりと振り向いた。その顔を見て、夜維斗は少し表情を引きつらせる。

「こんにちは。朱月先輩、月読先輩」

 にこりと笑って言ったのは、瑛子。両手で、大きな買い物バッグを持っている。そして、瑛子の隣に立つもう一人もぎこちなく振り向く。

「ど、う、も」

 歯切れ悪く返事をするなおこを隣で見て、瑛子は小さく笑った。なおこの怪しい様子に気づいているのかいないのか、光貴はにっこりと笑っていて、夜維斗はどうでもよさそうな顔をしている。

「どうしたの、その大荷物? 画材か何か?」

「いえ。今から、美術部のお茶会なんです」

「お茶会?」

 瑛子の答えを聞いた光貴が、その答えを繰り返す。美術とお茶会の二つがイコールで結ばれる理由がわからず、首をかしげていた。

「はい。あ、もしよかったら朱月先輩と月読先輩もどうですか?」

「はいぃ?!」

 光貴と夜維斗に投げかけたはずの質問に、二人よりも早くなおこが反応した。なおこは瑛子のほうを見て、怒鳴るように言った。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ瑛子?! 何故誘う?!」

「いいじゃないですか。お菓子もいっぱい買ったし、人が多いほうが盛り上がりませんか?」

「盛り上がらない! むしろ女ばっかりの空間に男二人って、やりにくくなるでしょ?!」

「あ、俺は盛り上がるよー」

「朱月はだまっ」

 と、なおこが光貴を見た瞬間、なおこの顔が真っ赤になった。いつの間にか光貴はなおこの目と鼻の先、といったような距離にいて、にっこりと微笑んでいたのだ。

「……ぎゃああああああああああああ!!」

 まるで化け物を見たかのような叫び声に、光貴は身をそらし、夜維斗も驚いたように目をいつもより大きく開いた。一方の瑛子はにこにこと楽しそうに笑っている。

「あ、あんたは変態か?!」

「え?! 何で?!」

「こんなバカみたいな距離に近づく男がいるか!!」

「え、ダメ?」

「バカじゃないのあんたは!!」

 興奮した様子で叫ぶなおこに対し、いつもと変わらぬ様子でへらりと笑う光貴。なおこのほうは叫びすぎて声が裏返っている。そんな二人を見て微笑んでいる瑛子の横を通り過ぎて、夜維斗は図書室へと向かった。

「……あ」

 驚いたような顔をして、瑛子は振り向いて夜維斗の背中を見た。慌てて、瑛子は夜維斗の背中を追う。

「月読先輩!」

 図書室の扉に手をかけていた夜維斗に、瑛子が声をかける。

「何だ」

「本、返すんですか?」

 夜維斗の持っている本を見ながら瑛子が尋ねると、夜維斗は頷いた。瑛子はじっとその本を見つめている。

「何の本ですか?」

「『経済を、学ぶ。』って本」

 タイトルを見せながら夜維斗が言う。瑛子は、驚きでぱちぱちと瞬きをしていた。

「け、経済……? 月読先輩って、えっと……理系クラス、ですよね」

「ああ」

「なのに、経済? 文系に行くんですか?」

「いや、別に」

 予想も出来ない回答のオンパレードに、瑛子は苦笑いを浮かべて瞬きをしている。

 未来が見える見えない、ってレベル以上にこの人もやっぱりオカルト研究会の人なんだなあ……などと思いながら、瑛子は図書室に入ってしまった夜維斗を追いかけて、図書室に入った。

「あの、先輩。次は何の本を借りるんですか?」

「どうするかな」

 入り口の近くにあるカウンターから自分の貸し出しカードを取った夜維斗は、カウンターの返却スペースに本を置いて、本棚に向かう。いつも行く、文庫本のあるコーナー。そこに向かう途中、夜維斗は一瞬、三つ編みの少女――アヤネと目があった。

「……先輩?」

 何もないほうをじっと見つめている夜維斗を見て、瑛子は疑問の声を上げる。同じ方を見ても、やはり何もない。

「あそこに気になる本が?」

「……いや」

 夜維斗が呟くように答えると、アヤネは慌てた様子で本棚の陰に隠れた。瑛子が不思議そうな顔をして見ている間に、夜維斗は目的の本棚に向かっていた。また置いていかれた瑛子が追いかけようとしたとき、

「おーい、月読ー?」

「瑛子ー! お菓子持ってどこ行ってんのよー」

 背後から聞こえた声に足を止める。振り向けば、光貴が右手を上げて微笑んでいた。もう一つの声の主は、どうやら光貴と一緒に図書室に入っておらず、入り口から声をかけているようだった。

「月読先輩はあっちの本棚ですよ」

「あっちか、ありがとう。なおこちゃん待ってるみたいだから、先に行ってあげて」

「あ、はい」

「あと、俺も参加するからあとで行くね」

 にっこりと笑いながら光貴が言うと、瑛子は「はい!」と明るく返事をして図書室を出た。光貴が瑛子に教えてもらった本棚に向かうと、じっと棚を見つめて本を選んでいる様子の夜維斗がいた。

「月読ー。俺、美術部のお茶会行くけど」

「ふーん」

 返事に含まれているのは「どうでもいい」という言葉。やっぱりな、と思いながら光貴は苦笑いを浮かべる。

「行かない?」

「行くならお前だけで行ってこい」

 知り合いもいない上に女子しかいないその空間に入っていく理由もない夜維斗は光貴の提案を断った。本棚から一冊の本を取り出し、カウンターに向かう。

「今回は何借りたんだ?」

「これ」

 夜維斗が光貴に差し出したのは『語られる化学の奥底』という本だった。

「……月読ってさ」

「何だ」

「なんか、変だよな。具体的に言えないけど」

「普通に失礼だな」

 

 

 

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