二つ黒、一つ銀
《前編》
放課後の物理準備室。いつものようにオカ研三人は集まり、夜維斗は文庫本を読み、光貴は課題を広げ始めていた。しかし、里佳だけはいつもと違って腕を組んで沈黙していた。そんな異変に気付いているのかいないのか、ほか二人は特に何も言わずそれぞれの作業を続けていた。が、
「今日は長月中行くわよ!」
突然里佳が立ち上がり、両手を腰に当てて宣言した。
「……え?」
「……は?」
光貴と夜維斗が、同時に声を上げる。それを見下して、里佳はにやりと笑った。
「ほら、小野くんが前に言ってた、あれ! 『眠りの使』!」
「えーっと……時計塔の話、だっけ?」
「さっすがしゅげっちゃん! よく覚えててくれたわね!」
うんうん、と頷きながら里佳は言葉を続けた。
「小野くんったら、忘れたのかどうか知らないけど、全く連絡してこないのよ!」
「お前が怖いんだろ」
「はい、夜維斗うるさーい。ともかく、連絡待ちするのも飽きたから、あたしたちで調べに行きましょう!」
「まあ、その方が結果もすぐにわかるし、いいんじゃね?」
光貴は同意しながら、机の上に広げていた課題をぱたぱたと閉じる。行く気は十分にある様子だ。
「夜維斗!」
「行かない」
里佳に呼ばれても、夜維斗は視線を文庫本に向けたまま。しかし、それで引き下がる里佳ではなく、夜維斗の元にずかずかと歩いて行くと、夜維斗が持っていた本を無理やり閉じた。わずかに、夜維斗の表情が曇る。
「読んでた」
「知ってた」
「なら」
「邪魔するな? あんた、人が話してんのに目を見て話さないなんてマナーがなってないわよ」
そこでようやく夜維斗が顔を上げると、むすっと不機嫌そうな顔をしている里佳が夜維斗を見つめていた。しばらく、二人の間に沈黙が続く。
「……わかった」
白旗を上げたのは、夜維斗だった。ため息交じりに吐き出された言葉に、里佳は満足そうな笑みを浮かべた。
「さすが、オカ研会員! それじゃあ、レッツゴー、長月中!」
右手の拳を握り、天に向けながら里佳は高らかに宣言した。
「……どうしよう」
勇は机の下で携帯の画面を隠し見しながら小さく呟いた。それを偶然聞いていた同級生の広塚啓也(ヒロツカケイヤ)はきょとんとした表情で勇を見た。あの『長月の鬼』と言われて恐れられている活発な少年が、今は肩の幅を狭めて顔を真っ青にさせている。その異常事態に気付いた啓也は少しだけ嫌な予感を抱きながらも、勇に尋ねた。
「どうしたんだよ、小野」
「……広塚」
顔を上げた勇の表情は、わずかに泣きそうなもの。
「どうしよう、広塚。り、里佳さんが……」
「え」
ぴし、と啓也の頭の中にひびが入る音が響く。
「里佳さんが、長月中に来る」
ぱりん、と啓也の頭の中にガラスが割れる音が響いた。
「……いつ?」
啓也の問いに対し、勇は首を振る。何の否定だ、と思いながらも啓也は勇の言葉を待った。
「――今日」
がらがら、と啓也の頭の中にガラスが崩れる音が響いた。
「ああー、ながつきーちゅーがっーこー」
校歌と思われる歌を歌いながら、里佳が長月中の校門をくぐる。それに続いて光貴も門を通り抜けた。そして、夜維斗は校門の一歩手前で、足を止めた。ふっと顔を上げ、校舎を見上げる。自分が卒業した時と変わらない校舎を見て、小さくため息を吐き出す。
「……月読?」
夜維斗が足を止めているのに気付いた光貴が、声をかける。それに気づいた里佳も足を止めた。
「安心しなさいよ、夜維斗。先生に挨拶するわけじゃないんだから」
「……いや、別に」
と言いながらも、中学時代の教員に会うことは避けたいと頭の片隅では考えていた。
「ほら、夜維斗。さっさと行くわよ!」
ぱし、と夜維斗の手を掴んで里佳が引っ張る。抵抗のできない夜維斗は、手を引かれるまま校門をくぐった。
一方、二年生のとあるクラスでは。
「助けてくれ広塚!! もう俺、何でもするから!!」
「何で俺がお前を助けないといけないんだよ!!」
腰にしがみついて叫ぶ勇を引きはがそうとしながら啓也は怒鳴る。しかし勇の力はかなり強く、離れる様子がない。
「だって、広塚なら里佳さんどうにかできるだろ?!」
「できるか!!」
一度里佳と関わったことのある啓也にとって、自分が里佳をどうにかできないことなどわかりきっていることである。そして、何より啓也自身が里佳と関わり合いたくないと思っているのだ。
「お前が何か言ったせいだろ! 大体、『眠りの使』は何で鳴ったかわからなかっただろ?!」
「そう言って里佳さんが納得すると思ってんのか、お前!!」
勇の言葉を聞いて、啓也の手と口が止まる。確かに、あの里佳がそんな説明で納得するはずがない、と啓也も感じていた。それを見ていた勇が、小さく息を吐き出した。
「そうだよ、広塚。お前が調べたんだろ、『眠りの使』のこと。なら、お前が報告してくれよ」
「……はあ?!」
「やっぱり調べたなら責任持って報告もしないといけねーじゃん? ってことで」
にっこりと満面の笑みを浮かべて、勇はぱっと手を放した。そして、啓也に背中を見せると走り出し、教室から出て行ってしまった。
「って、小野?!」
「あとは任せたぜー!!」
慌てて追いかけようとした啓也だったが、勇は器用に廊下にいる生徒たちの合間を抜けて颯爽と去って行った。こういう時だけ、長月の鬼の身体能力を有効活用しやがって……と思いながら、啓也は引きつった表情を浮かべていた。
「……まあ、ドンマイだな広塚」
「小野に頼まれた以上、諦めるしかないな」
「お前ら……」
まるで他人事のように言う友人たちの言葉を受けた啓也は、がくり、とうな垂れるしかできなかった。
「おおー、思ったよりもすごいな、眠りの……なんとか」
「なんか、バカにされてるみたいなんですけど、しゅげっちゃん」
オカ研三人組は校舎に隠れた裏庭にある時計塔の下にやってきていた。光貴が物珍しそうに見上げているが、里佳と夜維斗はいつも通りと言うように見ていた。
「『眠りの使』よ、『眠りの使』。本来は『目覚めの使』と言われていて、チャイムとして使われていたんだけどいつからか使われなくなったのよ。まあ老朽化とか近所迷惑とかだろうけど」
「うわあ、現実的な理由。なんかもうちょっとロマンチックな理由かと思ってた」
「まあそんなもんよ。で、それ以降『眠りの使』と呼ばれて鳴らなくなっていたんだけど、夜中に鳴るっていう噂があるの。それを小野君が張り切って調べるって言ってたわけだけど……」
一通り説明を終えた里佳は視線を時計塔から校舎に向ける。授業が終わり、部活に向かう生徒たちが校舎から流れ出てきていたが、その中に勇の姿はない。何人かの生徒が、『眠りの使』の下にいる高校生三人組に不思議そうな視線を送っていた。
「逃げたな、小野くん」
「うっわー、里佳から逃げるとはいい度胸してるな、あいつ」
「正しい判断だな」
むすっとする里佳、苦笑いを浮かべる光貴、やる気のない表情の夜維斗。三者三様の反応は、こっそりと隠れて逃げている勇には届いていない。再び三人は『眠りの使』の方を向いた。
「さて、どうしようか。俺たちで調べるって言っても、今から深夜まで待つのは無理があるだろ?」
「そうね……とりあえず今から登ってみてー」
「あの」
その時、三人の背後から声がかけられた。