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時刻は午後九時五十五分。場所は街の中で最も人通りの少ない暗い路地裏。
「今日もまた、気合が入っているな」
「うん……」
ひゅう、と風が吹くとアリアの長い髪が揺れる。ジーンはその不安そうなアリアの表情を見て頭を撫でた。
「……覚悟はいいか?」
「もちろん」
アリアは頷いて目を閉じる。再び目を開くと、アリアの両方の瞳が青く輝いた。ジーンの左目も金に輝いた。そして、二人の体は光に包まれる。
時刻は、午後十時。
「来たな……!」
騒がしくなった警備の者たちを見て、シルヴァは呟く。軽々と塀を越えて現れたのは、右目の大きな眼帯、左目は金に輝く怪盗ナイトメアだった。
「私の罠、避けられるものなら避けていただきましょうか!」
ユメリアが自信に溢れる宣言をする。すると、ナイトメアはユメリアの真横に、それも肩を抱く形で着地した。その瞬間、ユメリアの頬は一気に赤く染まる。
「お前が居る時点で、ここはセーフって事ぐらいわかるんだよ」
「なっ!?」
にやりと笑うナイトメアにユメリアは絶句した。そしてナイトメアは再び跳躍して一気に館に入ろうとする。
「中に入れさせるなー!!」
ロジャーの指示に、警官たちがナイトメアに向かって走る。しかし、シルヴァはナイトメアの足取りが少し変なことに気付いた。
「待て! 立ち位置を離れるな!!」
シルヴァが叫んだ時には既に遅く、ナイトメアは館から方向を変えてライトアップと警官たちが少ない薄い館の裏に回った。
「しまった……!」
シルヴァ他警官たちがナイトメアを追おうと走り出したが、彼らの目の前に奇術師テール・クロスが現れた。
「おっと、この先は行かせないわよ!」
杖をくるくるとバトンのように回すと、杖の先の石が白く光りだす。
「One」
「逃がすか!」
シルヴァはテールに向かって走り出す。
「Two」
警官たちも同じようにテールを捕まえようと飛び掛った。
「Three!」
ドンッ、と爆発音に似た音が響く。
「なっ!!」
その瞬間ユメリアが仕掛けた罠が一斉に発動して、その場に居た警官や刑事、そしてシルヴァとユメリアも網や落とし穴に引っかかってしまった。
「何ですってぇ?!」
「あらあら、また引っかかっちゃったのね」
くすくすとテールは笑う。ユメリアはふるふると怒りで震え始める。
「私とナイトメアを捕まえるなんて、まだまだ先のお話ね。見習い探偵さん」
ばちんとウインクをしてテールはナイトメアが向かった館の裏に走り出した。
***
「……まさか警備が残っていたとはな」
そして、ナイトメアの前には一人の少女が立ちはだかっていた。銀色の髪をなびかせて、レイラはじっとナイトメアを見つめていた。
「ここから先は、行かせない」
「悪いが、通らせてもらおうか」
ナイトメアが走り出すと、それと同じくらいのスピードでレイラも走り出した。
「速い……!」
するとレイラは足を止めて、走ってきた勢いでナイトメアに向かって回し蹴りを入れようとした。突然の行動に、ナイトメアは両腕を胸の前に組んで、何とか防いだ。が、蹴りの重さは普通の少女が出せるようなものではない。
「へぇ……、慣れてるって感じだな」
「……」
レイラは相変わらずの無表情を浮べてナイトメアを見据えていた。そして、レイラは再びナイトメアに攻撃を仕掛ける。拳をナイトメアに食らわせようとパンチを入れる。鋭い拳に、ナイトメアは戸惑いを隠せなかった。
「何処でそんな技、手に入れてるんだか」
「…………」
レイラの攻撃は一向に弱くならない。まずい、とナイトメアが小さく舌うちをしたそのとき、後ろから駆け音が聞こえた。
「ナイトメア!」
「やっと来たな」
その声を聞いてナイトメアの表情はにやりと笑う。後ろからやってきたのはテール。
「後は任せる!」
「え、ちょ?!」
突然の言葉にテールは驚きを隠せなかったが、ナイトメアの向こう側に何者かが居ることに気付いてすぐに頷いた。そして、ナイトメアはたん、と跳躍。
「逃がさな……」
レイラがナイトメアを追おうとしたが、テールがレイラの前に立ちはだかった。
「あなたの相手は、私よ!」
「……そう」
レイラはぎゅっと拳を握ってテールに向き合う。テールも杖を構えた。
***
ナイトメアは無事に館内に潜入した。館内には警備と言った警備は全くなく、あっさりと目的の部屋に入ることができた。
「……」
そして、ナイトメアは扉を開く。そこは一週間前、リオスが悲劇を見た場所――母親の寝室だった。
「怪盗……ナイトメア」
「……リオス・ノーリウォンだな」
そこに居たリオスの表情は不気味にやつれていて、今にも消えてしまいそうな印象があった。しかし、そんな表情とは似合わないぐらいリオスは強くピアスの入った箱を握りしめていた。その箱の中から、赤い光が溢れている。
「渡しません……これは、絶対……」
「気付いているんだろう、それがただの宝石でないことを」
ナイトメアが言うと、リオスは勢いよく顔を上げた。怯えた瞳で、ナイトメアを見つめる。
「ど、どうして……」
「その石は、お前を苦しめるだけだ」
「そうだとしても……これは……」
震える手は、強く強く箱を握りしめた。それに比例して、赤い光は強くなる。
「これは、父と母の……そして、僕の……繋がりを感じられるものなんです!!」
先ほどまでの消えそうな声ではなく、はっきりと強く言った。
「これを奪わないで下さい! これは、これは父と母の繋がり……僕の、繋がり……。二人を感じられる、物なんです」
そういうリオスの耳には、まだあの呪われた声が響いていた。それでも、このピアスを捨てられないのは二人を思うが故。俯いたリオスの体は震えていた。
『殺せ……全てを、全てを……』
「聞こえているんだろう、その声が」
「……え」
「呪われた声、そんな甘いものじゃない。その石に秘められている力は、呪いでも何でもない」
ナイトメアは静かにピアスを見つめて言う。
「人間の、欲望だ」
***
外ではレイラとテールが激しい戦いをしていた。
「っ……! 何でそんなに強いかな……」
「…………」
レイラは一切表情を変えずに鋭い拳や蹴りをテールに向けていた。テールは杖で避けるのに精一杯であった。元々戦うことより逃げるのが専門のテールにとっては、やりにくい戦いだった。
「仕方ない……!」
テールは杖をくるくると回し始める。すると、杖の先の石が桃色に光り始めた。
「行くわよ!」
そしてテールはレイラに向かって走り出す。レイラも真っ直ぐにテールに向かう。テールが桃色に染まった杖をレイラに向かって振った。
「ちょっと寝てもらうわよ」
睡眠効果のあるその光を浴びればすぐに眠りにつくだろうと予想していたテールだったが、レイラはテールが振った杖を強く掴んだ。
「……無駄よ」
すると、杖が帯びていた光が少しずつ弱くなる。その出来事にテールは驚きを隠せなかった。
「私に、奇術は……『魔術』は効かない」
「なっ……?!」
どうして、『魔術』のことを知っているのか……テールは引きつった表情をして、杖からレイラを何とか離して、距離を置いた。レイラはじっとテールを見つめている。
「どういうこと? 『魔術』のことを、知ってるなんて」
「…………」
テールの問いにレイラは答えない。
「知っているなら知っている、でいいけど、私たちの邪魔はさせないわよ」
「……」
返事をせず、レイラはテールに向かって走り出した。テールは逃げようとせず杖をレイラに向ける。
「無駄よ」
「これは『魔術』も何も関係ないのよ」
そう言った瞬間、テールの杖が白く光って辺りに煙幕が張られた。テールの『魔術』が効かなかったレイラでも、煙幕はさすがに破れない。
「っ……!」
煙幕の中でレイラは目を凝らしたが、既にテールは居なくなっていた。
***
「……人間の、欲望……?」
リオスはナイトメアの言葉を繰り返した。先ほどまで耳に纏わりついていたあの声が小さくなっていた。
「何を言っているんですか……力って、一体……」
「『魔術』。その石の中には、それが入っている」
ナイトメアは静かにそう言った。
『魔術』、それは遠い昔に存在していたと言われる伝説の力。もちろん、今となってはそんなもの、誰も信じていない。それぐらい、リオスも知っていたが『魔術』が存在しているなんて思ってもいなかった。
「そんな、馬鹿な……」
「だが、お前の耳には声が聞こえている」
「どうして、声のことを……」
ナイトメアは真っ直ぐにリオスを見つめて答えた。
「俺にも、聞こえている。ただ、それだけだ」
「なっ……?!」
「石の力は暴走を始めている。このままだと、お前も全てを失うぞ」
「全てを失うって、まさか」
そのときリオスの脳裏に、一週間倒れた母の姿が甦った。そのときも、母はピアスをつけていた。日に日にやつれていっても、ピアスだけは絶対に外さなかった。
「でも……、それでも、これをあなたに渡すわけにはいかないんだ……!」
赤い光はさらに強くなる。ナイトメアはその光を金の瞳で睨んでいた。
「これしか、僕には両親を感じられるものがないんだ!」
「そんな事ない!!」
少女の叫び声に、リオスははっと顔を上げた。ナイトメアの後ろから現れたのは、テール・クロス。
「そんな事ない……それだけが、あなたの両親の思い出なわけじゃない!」
「何を……」
「そんなちっぽけな石だけが思い出? 違うでしょう! あなたが生まれてから、両親と過ごした時間なんていくらでもある! 物じゃない、記憶があるんじゃないの?!」
テールは叫ぶ。ナイトメアは静かに目を伏せていた。
「もっと、もっと大切なものがある。あなたが忘れない限り、あなたはいつでも両親を感じられるの」
その言葉を聞いた瞬間、リオスの瞳がはっと大きく開かれた。赤い光が少しずつ弱まる。
「僕は……」
「忘れるな。死んだ人間は、絶対に戻らない」
ナイトメアはゆっくりと目を開きながら言葉を紡ぐ。
「だが、忘れない限り……誰かの中で生き続けるんだ」
開かれた瞳は、金に輝く。そして、赤い光は完全に消えた。
***
「まさか、仕掛けた罠がこんなに丈夫だったとは……っ!」
「ユメリア! どこからこんな縄を用意したの?!」
「家の倉庫にあったのよ! これなら完璧にナイトメアを捕まえられるでしょう!」
「だからって俺らが捕まってどうするよ……」
カズヤが後悔するように言い、ナタリヤがユメリアに怒鳴る。怒鳴られたユメリアはえっへんと威張るように言ったが、その言葉にシルヴァは呆れるしかなかった。そして、落とし穴にはまったロジャーが「誰かー! そろそろ助けに来いー!!」と怒鳴っている。
「……完全に、負けだな」
シルヴァが呟いたそのとき。
バリン、とガラスの割れる音。
館内に侵入していたナイトメアとテールが庭に向く窓を突き破って再び白く照らされた庭に現れた。
「ああーっ! ナイトメア、テール・クロス!!」
「あら、まだ逃げれていないみたいね」
くすりとテールは声をあげたユメリアを笑う。ユメリアはぎゅっと拳を握って悔しがっていた。そしてナイトメアが一同の間を通り抜けると、しゅん、という音が響いた。すると、網が切れて一同は無事に解放されたのだ。
「なっ?!」
「まだまだ甘いな。それぐらいなら、切れる」
と、ナイフを弄びながらナイトメアはにやりと微笑んだ。とうとうユメリアの顔は真っ赤に染まり、体が震え始めた。
「もう許しませんよ! 一同、追えー!!!」
びしっとユメリアがナイトメアに指を向けると警官たちは一斉に「おー!!」と叫んで、逃げ出した二人を追いかけ始めた。その後をユメリアが追い、さらにナタリヤとカズヤも追い始めた。
「ちょ、ユメリアさん! 危ないですから!!」
「待ちなさいユメリア! ああもう!!」
そして、シルヴァはぼんやりとその様子を見ていた。
「……なんだかなあ」
「シルヴァ」
呟いた瞬間、シルヴァの隣にレイラが現れた。突然現れたレイラに、シルヴァは「うぉ?!」と驚きを隠せずにいた。
「レイラ、お前……どこ行ってたんだ?」
「…………」
もちろんレイラは答えない。予想通りの反応にため息をつきながら、シルヴァはレイラと共に家路に着くことにした。
誰もいなくなった庭では、
「こら! 誰か俺を助けんか!! おい、誰か! 誰かいないのかー!!!」
そんなロジャーの怒鳴り声だけが響いていたのだった。
***
翌日。時刻は午前九時。場所はリュート学園の図書館。
「リオスさん……」
しゅんとした様子のユメリアがリオスに声をかける。その表情を見て、リオスは驚いたような顔をした。
「どうしたんですか、ユメリアさん……?」
「私、あんな宣言をしたのに結局怪盗を捕まえることができませんでした。本当に、申し訳ありません!」
と、勢いよく礼をしたユメリアにリオスは驚きを隠せなかった。しかし、すぐに微笑んでリオスはユメリアの肩を小さく叩いた。
「良いんですよ、ユメリアさん。もう、あの石がなくても平気なんです」
「……え?」
「だから、気になさらないで下さい」
そう言ってリオスは穏やかな笑みのままその場を去った。
「……昨日と、全然違う……」
去ってゆくリオスの背中を見て、ユメリアは小さくそう呟いたのだった。
***
時刻は午前十時。場所は喫茶店カフェテラス。
「……あーあ」
と、シルヴァは新聞の一面を見てどうでもよさそうに呟いた。
「あ、また怪盗ですか」
「そりゃそうだろ。怪盗以外の一面なんてどうせ政治のことだぜ」
どうせ、ってものじゃあないでしょう……シルヴァの言葉を聞いたジーンは「ははは」と乾いた笑いをした。
「そういえば、レイラさんとシルヴァさんって古くからのお知り合いなんですよね?」
ジーンはふと思い出したかのようにシルヴァに仕事場の同僚であるレイラのことを尋ねる。
「ん? ああ、そうだが」
「どんな方なんですか? なんだか僕、嫌われてるみたいで……」
「ああ、安心しろ。大体レイラは誰に対しても同じ対応だ」
シルヴァは無表情で何を考えているかよくわからないレイラの事を思い出しながらコーヒーを飲む。
「基本的に誰に対しても素っ気無い。俺もそうだ」
「え、そうなんですか?」
「アイツが笑ってる顔なんて、見た事ないな」
その言葉を聞いてジーンはぱちぱちと瞬きをする。十九歳の女性が笑わない、というのもなかなか珍しいことだろう。それからジーンは店内に戻る。
……昨日、ナイトメアの前に立ちはだかったのは間違いなくレイラだった。ジーンは店内に戻りコーヒーを淹れているレイラを見つめた。すると、ジーンの視線に気付いたレイラがゆっくりとジーンを見る。
「……どうか、した?」
「え、いえ。いつも思うんですけど、レイラさんのコーヒーって美味しいですよね」
その言葉はジーンの本心であった。
「……そう」
レイラはただそれだけ言ってコーヒーを淹れる。香ばしい、コーヒーの香りがあたりに漂った。