マグウェルの宝 赤い記憶
イヴの年456年目。小国、イノライズ国を騒がせているのは怪盗と奇術師のコンビであった。
怪盗ナイトメア。右目に大きな眼帯をし、左目は金。黒く長い髪をマントと共になびかせて狙ったものを確実に奪う。捕まえようとしても、軽々と罠を越えてしまう身の軽さをもつ。
奇術師テール・クロス。金の髪を左側で高く結ぶことからテールと呼ばれている。青く大きな瞳は可愛らしい印象を与えるが、彼女の使う奇術によって警察は四苦八苦している。
***
時刻は午前十一時。場所はカフェテラス。
「ったく、たりぃ……」
コーヒーをすするシルバルヴァ・ゴードン。片手に新聞を持つその表情は、疲れきっている。
「シルヴァさん、お疲れですね」
そんな疲れきっているシルヴァに声をかけたのは喫茶店の店員、ジーン・ローレイズだった。穏やかな微笑みを浮べて注文されたパンケーキをテーブルの上に置いた。
「おう、まあ……な」
「確かに昨日の夜も騒がしかったですよね」
と、ジーンはシルヴァの持っている新聞を見て言う。そこには怪盗ナイトメアと奇術師テール・クロスの記事が大きく書かれていた。
「……そうだな」
シルヴァはパンケーキを小さく切って一口頬張った。ジーンは小さく礼をして店内に戻って行った。
シルバルヴァ・ゴードン。この街では小さな探偵事務所を開いているのだが、実はかの名探偵『ゴールド・アイズ』の名を持つ人物なのである。そのため、この怪盗ナイトメアに関する事件にも捜査協力をしているのだが、本人はかなり乗り気ではない。
そして、シルヴァが『ゴールド・アイズ』であることは周りのほとんどの人間には知られていない。知られたいともシルヴァは思っていない。
「ったく、面倒だぜ……」
晴れ渡った空を見ながら、シルヴァは呟くのだった。
***
時刻は同じく午前十一時。場所は警察署のある一室。
「あーあ、また警察が文句言われるんだぜ」
「仕方ありませんよ、先輩。あ、じゃあ今日飲みに行きましょうよ! ナタリヤさんも一緒に」
「確かに、最近飲んでいないですから……行きますか?」
「お前らと行ったら、ろくなことにならんからいい」
怪盗捜査班の刑事三人組はパソコンを相手に報告書作りをしながらそんな会話を交わしていた。
三人の中で最も立場が上のロジアル・ハスフォードは今日飲みに行くかどうかの話で盛り上がっている部下を呆れた表情で見ていた。飲みにいく提案を出したカズヤ・ナガナミはにこにこと楽しそうに計画を立て始めるし、ナタリヤ・メルティーンもどこの店のワインが旨いだのなんだの言い始めている。
「と、言う事ですので先輩ごちそうになります」
「おい、待てナタリー。誰が、誰にごちそうするって?」
「え、本当ですかロジャー先輩! じゃあ、お勧めの焼酎を用意しときますよ!」
「だから俺はお前らと行かんと言っただろうが。あと、焼酎は止めろ」
カズヤは飲み始めたら止まらなくなるし、しかも無駄に酒に強い。一方ナタリヤもそこそこ酒に強く、なおかつ人にたかろうとするのである。そんな二人と、あまり酒に強くないロジャーが飲みに行ったら……言うまでもない。
「やっぱりお酒の中で焼酎は一番美味しいと思うんですよね、僕」
「私はワインの方が好きよ。香りもいいし」
「いやー、でもあのくいーって行く瞬間がたまらないですよ!」
「ゆっくり落ち着いた空気で飲むのが一番好きね」
「お前らはいつまで酒の話をしてるんだ!!」
ロジャーが怒鳴ると、つい酒の話で盛り上がっていた二人はびくりと肩を震わせてすぐに視線をパソコンに戻した。全く……とロジャーは二人を見て大きく息をついた。そんなロジャーだが、いつも怪盗を追うのに全力を尽くしてもらっているから奢るぐらいはしないと、と思っているのだった。
***
時刻は午後十二時。場所は聖クロス・リュート学園。
そこの最優秀生徒、アリア・ローレイズは図書館で本を探していた。
「ええっと……たしか……」
今度授業で必要なその本のタイトルを書いたメモを片手に、きょろきょろと本棚と本棚の間を見て歩いていた。そのとき、探していた本を見つけたアリアは本に向かって手を伸ばす。が、上のほうにあってうまく届かない。
「届かない……」
梯子か台を借りようか、と思って手を下ろしたとき、別の手がアリアの求めていた本をとった。
「はい」
「え?」
本をとったのは同じ学園の男子生徒、リオス・ノーリウォンだった。にこりと微笑む姿はアリアの兄、ジーンと何か似ているのだが、すこし違うようにアリアは思った。
「あ、リオスさん……ありがとうございます」
「いいえ。アリアさんのお役に立ててよかったです」
「本当に、助かりました」
アリアもリオスに向かって微笑み礼をした。リオスは「それじゃあ」と小さく手を振ってその場を去った。
「素敵な方……」
恋愛事に関して興味のないアリアだったが、リオスに対しては憧れのようなものを抱いていた。紳士的で穏やかなリオスはアリア以外の女子生徒にももちろん人気があった。特に、リオスは町でも有名な富豪の家の一人息子なのだが、そんな様子を感じさせないところがさらに人気に拍車をかけている。
アリアはぼんやりとリオスのことを考えながら席について本を開く。リオスのことを少し忘れて集中しようとしているのだが、やはり頭の片隅にリオスのことが残っていた。
***
時刻は午後三時。場所はノーリウォン邸。
「ただいま帰りました」
と、リオスは家の扉を開いて声をかけるが返事はない。使用人たちは昼から買い物に出ると言っていたが、母が居るはずだと思ってリオスは部屋の中に入る。
「母様、ただいま帰りました。どちらにいらっしゃいますか?」
そしてリオスは母の寝室の扉をノックした。中に人のいる気配はないのだが、普段母が居るとしたらここしかないのだ。
「……母様?」
扉のノブに力をゆっくりと加えて扉を開く。そこに、リオスの母は居た。
「か……母様?!」
――――ぐったりと、床に倒れている姿で。
「母様、母様! しっかりしてください、母様!!」
リオスが声をかけるが、起きる様子はない。脈も呼吸も、止まっている。
「母様……母様!!」
***
翌日。時刻は午前九時。場所はノーリウォン邸。
「…………」
そこに居る人々の表情は、皆暗く重い。その中にアリアの姿もあった。
リオスの母、キャシア・ノーリウォンが突然の死を遂げた。死因は不明。目立った外傷もなく、病気をもっていたわけでもない。
葬式の挨拶を終え、一段落したリオスは母の入っている棺を見た。
「リオス……さん」
リオスは後ろから声をかけられゆっくりと振り向く。そこには、アリアが居た。
「アリアさん……」
「その、突然のことでなんと言ったらいいのか、わからなくて……」
「いえ。アリアさんが来てくれて、本当にありがたいです」
「そんな、私は何も」
「アリアさんの顔が見られただけでも、嬉しいんです」
悲しい中でも必死に笑おうとしているリオスの顔を見て、アリアは言葉を失う。きっとどんな慰めの言葉も、今のリオスには届かないのだろうと、その表情見て思ったのだ。言葉を失ったアリアだったが、穏やかな笑みを浮べてリオスに言った。
「何かあったら、言って下さい」
「……え?」
「私にできることは少ないかもしれませんが……でも、悩みや困ったことがあったら、言って下さい。できる限りで、私もお手伝いします」
それはリオスがノーリウォン家の長男だからとか、少しでも近付きたいからとか、そんなものではなく、心のそこからアリアが思った言葉だった。
「アリアさん……ありがとうございます」
穏やかに、リオスは目に涙を溜めながら微笑んだ。
***
大きな悲しみも、消えることはないが少しずつ薄まってゆく。そして、何より悲しみに浸る時間など、今を生きるものにはないのである。そしてそれは、リオスも同じだった。
「…………」
キャシアが亡くなってから一週間。時刻は午前十一時。場所はクロス学園の図書館。
リオスは図書館の片隅で本を読んでいた。しかしその表情はどこか暗く、そして険しいものだった。普段のリオスからは想像できないほど暗いもので、普段なら声をかけようとするものがいるのに、今日は誰ひとり声をかけようとしない。人を拒絶するような何かがリオスから漂っているようだった。
「リオスさま、まだ悲しいでしょうね」
一方、教室に居るアリアの耳にはそんな女子生徒たちの会話が届いた。
「二ヶ月前にお父様が亡くなったのに、お母様まで……」
「これからおうちのことで大変でしょうね……」
「私たちも、何かできればいいのだけれど……」
そういうけれど、女子生徒たちはきっと何もしないのだろう。アリアは小さくため息をついた。そして、アリアは図書館に向かった。
「リオスさん」
隅に居るリオスを見つけたアリアは声をかけた。リオスの肩がびくりと大きく揺れた。素早く振り向いたリオスの表情は穏やかさというものが全く感じられないほど、鋭いものになっていた。額には汗がついている。その表情に、アリアは驚きを隠せずに「あっ……」と小さく零した。
「あ、アリア……さん」
「リオスさん、大丈夫ですか? 顔色が……」
ハンカチをもって、リオスの額についている汗を拭こうとしたアリアの手を、リオスは掴んだ。
「いえ、大丈夫です」
それから、ゆっくりと降ろして手を静かに離した。人を拒絶するようなその行為をリオスがするとは思っていなかったアリアはただ少し混乱していた。すると、その様子を察したリオスがはっとした表情になってアリアに謝罪を始めた。
「ごめんなさい! アリアさん、僕を心配してくれているのに……!」
「いえ、大丈夫ですよ。そんなに、お気になさらないで」
「そんな……」
「その、リオスさん。何か、あったのですか?」
アリアが尋ねるとリオスは小さく顔を俯けた。
「……はい」
搾り出したような小さな声で、リオスは言う。
「実は、母が亡くなってから……気味の悪いことが起きているんです」
「気味の悪い、こと?」
「信じて、もらえないかもしれません。僕の勘違いかも、しれないし」
「言ってください。私でよければ」
アリアは自分の胸に手を当てて、リオスの顔をじっと見た。
「苦しいことを一人で抱え込んでも苦しいだけです。少しでも吐き出せば、楽になれます」
「本当に、アリアさん……ありがとうございます」
リオスはそう言って、ポケットの中から小さな箱を取り出した。
「それは?」
「……母の形見の、ピアスです」
箱を開けると、中には赤々と輝く二つの石が入っていた。
***
キャシアは赤い宝石のピアスをつけていた。それはリオスの亡くなった父、ジョーゼイが亡くなる前にキャシアにプレゼントした品だった。両親を亡くしたリオスにとって二人を感じられる形見の一つが、そのピアスだった。
ジョーゼイが亡くなってからキャシアはピアスをいつもつけていたのだが、ある日「不気味な声が聞こえる」と言い始めたのだ。しかし、そんな声は誰にも聞こえず使用人たちも、リオスも何が起きたのかよく解かっていなかった。しばらく、キャシアは声に関して何も言わなくなっていたのだが、夜眠れていない様子を時々見せていた。
そして、今。リオスはそのピアスを形見として常に持っていた。が、リオスの耳に何かの声が聞こえ始めるようになったのだ。
『殺せ……』
まるで闇の奥底から言われるようなその声に、リオスは恐怖を覚えていた。寝ようとすると声はさらに大きくなった。
『殺せ、全てを……殺せ』
リオスは何度もそのピアスを捨てようと思った。しかし、それは父と母、そして自分との繋がりを断ち切る行為。それができないリオスは、声に耐えながら過ごしていた。
だが、声は日に日に大きくなる。朝も昼も夜も、ずっとその声はリオスの耳に纏わりつくのだ。
『殺せ、殺せ、殺せ……』
誰かを見るたびに、関係のない殺意が沸く。ペンを持つと刺したくなり、何かを破壊しなければ満足しない。そんな自分に恐怖したリオスは使用人を全て解雇し、広い家に一人で居ることにした。それでも、声は消えない。
「誰か……誰か……!」
自分の声さえも、あの聞こえてくる声かと思ってしまうほど、リオスは怯えていた。