マグウェルの宝 桃色の歌姫
時代はイヴの年。
我々の暮らす現代と同じように科学は発展している。しかし古い時代には、現代に残っていない特殊な力が存在していたと言う。
『魔術』と呼ばれるその力は、ただの伝説と化していた。
イヴの445年目、とある男が『魔術』の力を秘めたと言われる鉱石を発見したと言われた。
それは事実かどうか、今となっては誰も知りもしないが、その石を手にしたものは自分の望む力を手に出来ると言われている。
石の名は、発見した男の名から取られて、『マグウェルの宝』と呼ばれている。
***
場所はイノライズ国。時はイヴの456年目。
「怪盗だーッ!!」
時刻は深夜零時を回った頃。街灯も消えて、月明かりだけがあたりを照らしていた。
普段なら静かな深夜の街中を、人々の足音で溢れていた。
警察、刑事。そして、怪盗と奇術師。
「怪盗、止まれー!!」
警官の一人が家々の屋根を走る怪盗と奇術師に向かって叫ぶが、無駄だった。その警官の頭に、突然の衝撃が走る。
「でっ!?」
「バカヤロウ! 止まれって言って止まる奴が何処にいる!」
怒鳴ったのは刑事、ロジアル・ハスフォード。ぎろりと鋭い黒い瞳で若い警官を睨む。
「も、申し訳ありません、ロジャー刑事!」
「謝る暇があるならさっさと走れ! カズヤ、ナタリー!」
ロジャーが後ろに向かって叫ぶと、彼の部下であるカズヤ・ナガナミとナタリヤ・メルティーンがさらに速度を上げて走ってきた。
「はい、ロジャー先輩!」
「俺たちは路地裏行って、先回りする。いいな!」
「挟み撃ち、ですね」
一切息を切らさず、ナタリヤは言う。隣を走るカズヤはぜいぜいと息を切らしながら走っている。
「なっ、なるほど! さすがロジャー先輩です!」
「さっさとあのおふざけ怪盗どもをとっ捕まえて、俺たちの仕事を楽にしようじゃねえか!」
「今日こそ、先輩におごっていただきましょうか」
「僕、久しぶりに焼酎飲みたいです!」
「俺、絶対、お前と酒飲みたくねぇよ!」
そんな雑談をしながら、刑事三人組は家と家の間の細い路地裏に入った。
***
翌日。
時刻は午前十時。場所はある喫茶店。
オープンテラスに座る男は新聞を広げて、時折、紺色の頭をがりがりと掻きながら睨んでいた。
男の持つ新聞の一面を飾っているのは、昨晩現れた怪盗についてだった。ここ数日、同じような記事が一面を飾っている。
「お待たせしました、コーヒーです」
そんな男のテーブルにコーヒーを置いたのは、喫茶店の店員、ジーン・ローレイズである。茶色い髪と黒い瞳。眼鏡をかけているが、インテリというよりも優しいお兄さん、と言ったような印象を与える好青年である。
「おう、ありがとうなジーン」
男はコーヒーを持ち上げて、ジーンに言う。金の鋭い瞳が、柔らかく細められた。
「また、怪盗が出たんですか?」
ジーンが尋ねると、男の表情は再び強張る。新聞に向ける視線が鋭いものとなる。
「みたいだな」
「怖いですねえ。なんだか、物騒な時代になりましたね」
このイノライズ国は小国で、しばらく隣国との紛争もなく、ずいぶん平和に過ごしていた。しかし、ここ最近の話題はこの怪盗で独占されている。
「まあ、戦争がドンパチ起きてる訳じゃねぇから、平和だろ」
「それもそうですけど……」
ずずず、とコーヒーをすする男を見て、ジーンは苦笑いを浮べる。
男、シルバルヴァ・ゴードンは眉間に皺を寄せてじっと新聞の記事を読んでいた。その表情は真剣なのだが、どこか人を寄せ付けない威圧感を覚えさせる。同じ二十一歳なのだが、ジーンとシルヴァは全く対照的な印象を与える。
そんなシルヴァの持つ新聞の写真に写る、怪盗は右目に大きな黒い眼帯をして、左目は金に輝いていた。黒く長い髪を細く一本でまとめている。その隣にいる奇術師は金髪を左側で高く結んで、青い瞳でカメラ目線にウインクしていた。
「ったく、警察も何やってるんだろうな」
シルヴァがそんな呟きを零した瞬間、
「テメェに言われたかねぇよ、シルバルヴァ・ゴードン」
シルヴァとジーンの背後から不機嫌な声がかかった。振り向くと、声と同様不機嫌そうな表情を浮べているロジャーが仁王立ちしていた。ぱっと見たら、シルヴァと同い年か少し上かの年齢に思われるが、実際彼は三十五歳という年齢である。それはシルヴァが老け顔なのか、ロジャーが若いのか、それとも両方なのか。
「ロジャーさん、昨日も怪盗を追われたんですか?」
「ああ。結果はこの有り様だがな」
ロジャーは大きく息を吐いたあと「エスプレッソ」とオーダーをしてからシルヴァと同じテーブルの席についた。ジーンはそのオーダーを受けて、すぐに店内へと向かった。
「……天下の名探偵、ゴールド・アイズの出番じゃねぇのか?」
ロジャーの言葉を聞いて、シルヴァの表情が引きつる。
「何処の誰が天下の名探偵なんて思ってんだよ、おっさん」
「うっせーよ、老け顔」
「テメェ、人が気にしてること言いやがって……」
シルヴァは新聞に向けていた視線を、そのままロジャーに向ける。ロジャーは気にしていない、という表情でシルヴァから新聞を奪い取った。
「ほれ、新聞にも書いてるじゃねぇか。『名探偵は、いつ現れるのだろうか』だってよ」
「うっせーな」
「フリーターするよかマシだと思うぞ」
ロジャーの言葉で、さらにシルヴァの眉間に皺が寄る。その表情だと、完全にロジャーの方が若く見える。
「で、どうする?」
「別に探偵の出番でもないだろ。警察がひーこら走って追いかければいいじゃねえか」
ち、とロジャーは舌打ちをする。そして、新聞をめくり別の記事を見た。
「歌姫、来国ねぇ……」
「警察大変じゃねぇのかよ。どうせ、警備とかボディーガードとか」
「まぁ、な」
上層部がそのことで何だかんだと言っていたことを、ロジャーは思い出した。と、そのときにこにこと笑ったジーンがエスプレッソを持ってきた。
「おまたせしました、エスプレッソです」
「おう、サンキュな」
「あ、それって今度来る、すごい歌手の方なんですよね」
偶然開いた新聞が目に入ったジーンが、会話に加わる。本来、喫茶店の店員が客と長々と会話することは許されていないのだが、時間帯のせいでシルヴァとロジャー以外客がいないので、店長も文句は言わなかった。
「ジーン、好きなのか? この……えーっと」
「フィニア・ディ・アキルモート。『硝子の声』を持つといわれる、伝説の歌姫だろ」
「おお、それそれ」
「歳になると、物忘れも激しいのかねぇ」
先ほどまでの反撃、と言わんばかりにシルヴァはロジャーに不敵な笑みを浮べて言う。その言葉を聞いてピクリとロジャーの頬が引きつった。二人の間に漂う引きつった空気を感じたジーンは話を転換しようと声を上げる。
「ま、まあまあ。二人は見に行くんですか、その歌姫」
「多分俺は、行きたくなくても警備手伝いだろうなあ」
「興味ないな。どうせテレビか何かで中継するだろ」
街ではこのフィニアが来るということで盛り上がっているのだが、ロジャーとシルヴァの反応はその盛り上がりとは全く逆のものだった。ははは、と乾いた笑いを上げながら、ジーンはロジャーの持つ新聞を見る。
写真に写るフィニア・ディ・アキルモートは長い赤茶の髪に桃色の瞳を持ち、美しいといわれるような顔立ちをしていた。そして、その首元には彼女の瞳と同じ桃色の宝石が使われている銀のチェーンのネックレスが輝いていた。
「綺麗な方ですよねー。歌も、すごく声が通っていて、綺麗だったし」
ジーンはそう言うが、ほか二人は興味なしの様子を貫いていた。
***
時刻は午後十二時。場所は聖クロス・リュート学園の中庭。
「あ、アリアさん!」
昼休み、昼食を食べているある女子グループがとある女子生徒に声をかけた。
呼び止められたのはアリア・ローレイズ、十七歳。このリュート学園に置いてトップの成績を誇る優等生である。茶色の瞳を持ち、同じく茶色の髪をおとなしめのツインテールにしている。彼女の胸にかかっている十字架は、リュート学園の最優秀生徒である証拠である。
アリアは声をかけられて、にこりと微笑んだ。
「何のお話をしているんですか、皆さん?」
アリアはグループに近付いて尋ねると、輪を作っている女子生徒たちの中心に新聞が置かれていることに気付いた。もちろん、その一面は昨晩現れた怪盗のことである。
「アリアさんはこの怪盗ナイトメアと、奇術師テール・クロスについてどう思われます?」
「え?」
突然の質問に、アリアは驚いたような声を上げる。
「どうして、そんな質問を?」
「今一番の話題じゃないですか! ぜひ、アリアさんがどう思っているのか聞いてみたくて」
「そうですね……、少し物騒ですよね。ちょっと、怖いですし」
「そうじゃなくって!」
と、アリアに尋ねたのと別の生徒が声を上げる。
「かっこよくないですか?!」
「……へ?」
予想もしていなかった言葉に、再びアリアは驚く。てっきり、自分と同じような返事が返ってくると思っていたからである。そして、女子生徒たちはきゃあきゃあと怪盗の話題で盛り上がる。
「この金の瞳、綺麗よね! 顔だちも整ってるし!」
「髪もさらさらだし」
「奇術師もかわいいよね! この髪型、真似したんだけどどう?」
「やっぱり! それっぽいなあーって思ってたんだよねー!」
「でもやっぱりナイトメア様じゃない!? ですよね、アリアさん!」
「ええっと……、そうなんですか?」
「アリアさんの好みじゃない?」
「えーっと、えーっと……」
困った。元々、男性にそんな好みなどを持っていなかったアリアにとっては難しい質問である。どうやって答えようと考えていたとき、
「そんなことはありませんっ!」
突然の叫び声に、アリアだけではなく女子生徒たちも驚きを隠せない表情をした。声のした方を向くと、そこにはアリアより薄い茶色の髪をお下げの三つ編みにしていて、ぎっと黒い瞳を一同に向けている女子生徒がいた。
「ユメリア・メルティーン……さん?」
むっすりと表情を曇らせる彼女はアリアより一つ年下のユメリア・メルティーン。学校の中でもアリアの次に成績優秀な生徒である。
「どうしたんですか、そんなに叫ばれて……」
「あなた方は、あの怪盗をアイドルか何かと勘違いなさってませんか? あの人も、奇術師も、犯罪者なんです!」
「確かにそうですけど……」
「そうなんです!」
一人が反論しようとしたら、ユメリアは怒鳴るように言った。そして、大きく息を吐く。
「ええっと、ユメリアさんはどうしてそんなに、怪盗のことを……」
「私は当たり前のことを言っただけです」
わかりやすいほど顔に不機嫌という表情を貼り付けたユメリアはアリアの問いに答えた。あたりの空気が冷たくなり、アリアは少し視線を校門に向けた。
「あ……兄さん!」
門の前に居たのはアリアの兄、ジーン。にこにこと微笑んで、アリアに手を振っていた。
「そ、それでは私は失礼しますね。ごきげんよう」
逃げるようにアリアは小走りで兄のもとに向かった。その様子をユメリア以外の女子生徒たちはうっとりとした様子で見つめていた。
「アリアさんも、お兄さんもいい人で……羨ましいわ」
「本当。でも、ご両親を亡くしていらっしゃるんでしょ?」
「だからこそ、お二人は仲がよろしいんですね」
そんなことを語る女子生徒たちを尻目にユメリアは不機嫌な表情を崩さぬまま、女子生徒たちの中心にあった新聞を手にした。一面を飾る怪盗の記事を睨むように見つめ、ぽつりと呟いた。
「あのバカも、さっさと出てくればいいのに……」
そして、校門を出てジーンと合流したアリアは安心したような笑顔を浮べた。
「今日のお仕事、どうだった?」
「うん、いつも通りだったよ」
「それはよかった」
「アリアは? もう、帰れるのかい?」
「ええ、もう終わったわ。一緒に帰りましょ」
二人はそんな会話を交わして、ゆっくり歩く。そんなジーンとアリアの姿は、ごくごく普通の仲のいい兄妹に見える。
「そういえば、学校でも怪盗の話題が一番だったわ」
「ああ、刑事のロジャーさんも言っていたね。昨日も出たからね」
「そうね……。それに、怪盗はかっこいいって言われていたの」
その言葉に「へぇー」とジーンが関心を持ったような声を上げた。
「新聞の写真、怪盗がやけにカメラ目線だった」
「ああ、そうだったね。でも、奇術師のほうなんかウインクしてなかった?」
「それぐらい、よくあることじゃない」
アリアは穏やかに微笑んだまま言った。
「さっき一緒に話していた子が、奇術師の髪型を真似していたわ」
「へえ、さすがに怪盗の真似はいないねえ。あんな目立つ眼帯は普通しないだろうし」
「真似、してほしいの?」
くすり、とアリアが笑いながらジーンに尋ねる。ジーンの眉が一瞬、ぴくりと動いた。首を回さず視線であたりを確認して、アリアのほうを向いた。
「したとしたら、物好きだと思うけど」
「それもそうね」
二人は一緒に暮らすアパートの一室に入り、扉を閉めた。さっさと部屋の奥に行くアリアに対して、ジーンはゆっくりと鍵を閉めて、大きく息を吐いた。
「……アリア、何度言えばわかるんだ」
「え? 何が」
深刻な顔のジーンを見てアリアはきょとんとした顔をする。もちろん、作り物。
「外でのああいった発言は、止めろって」
「何よ、全然普通の兄妹の会話じゃない」
「どこが普通の会話だ」
「兄さんは心配しすぎなのよ。誰もそこまで会話を聞いてないわ」
そう言ってアリアはソファにどすんと身を乗せた。そんなアリアの様子を見て、ジーンは呆れたような表情をする。まるで、二人とも先ほどまでとは別人のようだ。特にジーンは、目つきが穏やかとは言えない鋭いものに成っていた。
「心配して、損なことはないだろ」
「まあ、それもそうだけど。心配しすぎて神経衰弱でもなったら嫌よ」
アリアも学校にいたときのような穏やかな雰囲気は無く、むしろ怪盗で盛り上がっていた女子生徒たちに近いものがあった。
「ところで。次の狙いは、決まったの?」
無理矢理な転換だが、アリアは話を反らした。それに疲れたようなため息をついたジーンだったが、頷いて返事をした。
「ああ。あの、ネックレスだ」
「ネックレス……ああ、今度来国する『硝子の声』の?」
アリアが確認するとジーンはこくりと頷いた。
「じゃ、次はカメラ目線にならないでね。怪盗、ナイトメアさん」
「そっちこそ調子乗ってウインクするなよ。奇術師、テール・クロス」
二人はお互いの仕事名を呼び合って、不敵に微笑んだ。
***
歌姫、フィニア・ディ・アキルモート。彼女は次世代のディーヴァと呼ばれ、また、その澄んだ歌声は『硝子の声』と称されている。ミステリアスな美貌と、そこから生まれる歌声で現在、高い人気を得ている。
時刻は午後三時。
このたび、そのフィニアが本日小国イノライズ国でコンサートをするとなって街はお迎えムードで活気付いていた。
「うちの店でも、何かするんですかね?」
「さあ」
喫茶店の厨房で皿洗いをしていたジーンは、同僚のレイラ・ソーディルに尋ねたが素っ気無い返事しか返ってこなかった。レイラはジーンと大して変わらない十九歳という年齢なのだが、それにしては幼い顔をしている。この街では珍しい銀色の髪に、茶色の大きな瞳を持っている。その表情は、いつも特に感情を映していない。
「レイラさんは行くんですか? 歌姫のコンサート」
「行く予定はない」
「あ、そうなんですか……」
なんだか自分の周りは反応が素っ気無いな……と思いながらジーンは皿を洗う。
一方、外でコーヒーを飲むシルヴァは新聞片手に大きなあくびをしていた。
「はー……今日も平和だ、平和」
そう言って、新聞を開くシルヴァは昨日と違って若干穏やかな表情をしている。そう、昨晩はあの怪盗が現れなかったのである。それで街が平和な証拠なのかどうかわからないが、自分はロジャーに文句を言われないから平和だ、とか何とか思いながらシルヴァは新聞を読み始めた。
そのとき、シルヴァの向かい側に女が一人、相席の断りもなしにいきなり座った。それに気付いたシルヴァは新聞から視線を女に向けた。
女はすっぽりと髪を隠すように帽子を被って、サングラスをかけていた。暖かなこの時期に、上着のジャケットは完全に前を閉めている。シルヴァは怪しい、とすぐに判断した。
「いらっしゃいませ。ご注文は……」
注文をとりに来たジーンに対して、女は小さく手を挙げて断りを入れた。それに少し驚きを隠せなかったジーンだったが、にこりと微笑んで「ご用がありましたらいつでもお呼び下さい」と言ってすぐ厨房に戻って行った。その間も、シルヴァは女を睨んでいた。
「……あなたが名探偵、ゴールド・アイズ?」
「は?」
警察関係者もほんの一部しか知らない自分の仕事名を呼ばれ、シルヴァは少し驚きを隠せない声を上げた。そして何より、女の声に聞き覚えがあったのだ。
「お前、一体……」
「あなたの事務所か家に、お邪魔してもよろしいかしら」
女が少しサングラスをずらす。そこに現れた瞳の色を見て、シルヴァも言葉を失った。