屋上の風は冷たく、テールとジールに吹き付けてきていた。

「……ジール・ロストロス? それって、どういう、意味なの……」

「どういう意味? もう、君もわかっていることじゃないのかな」

 テールの問いにジールはふっと笑って言う。テールは理解していたが、それは、事実であって欲しくないと強く望んでいる答えだった。

「テール・クロス……いや、アリア。君は、僕の事を忘れているだけだよ」

 ジールは一歩ずつ、テールに近づく。テールはびくり、と震えて後ろに逃げようと一歩ずつ下がるが、すぐに壁に阻まれてしまった。ジールはテールと距離を縮め、あと一歩という距離まで詰めた。

「知らない……私は、あなたのことを、知らないわ……!」

「なら、何故そんなに怯えているのかな? それとも、知らないからこそ怯えているのかもしれないね。なら、君に教えてあげよう。君と僕の真実を」

 ジールの右目の、黄金の瞳が輝く。その光に魅せられたように、テールは大きく目を開いた。

 

「――お兄ちゃん……、お兄ちゃん!」

 それは、幼い頃の風景だった。

 そういえば、自分はいつも兄のそばに居ようとしていたな、とアリアは思い出していた。

「どうしたんだい、アリア」

 いつもそばにいる兄は、ふっと穏やかに笑ってアリアの頭を撫でてくれた。そうやって頭を撫でられることが、アリアは大好きだった。

「ううん、なんでもないの。お兄ちゃんと一緒がいいの!」

「そっか。僕も、アリアと一緒が好きだよ」

「うん!」

 手を繋ぐと、兄の暖かな手のひらの体温が伝わる。兄の優しい性格が、体温となっているのだろう、とアリアはずっと思っていた。

「お兄ちゃん、大好き!」

 ずっとずっと、そばに居る。そう、信じていた。

――あの、雨の日までは。

 アリアの記憶にあるのは胸の痛みと、目の前の信じたくない光景。

 倒れているのは大好きな両親と、祖父。目の前に立っているのは、兄。そして、兄の前に立ちはだかるのは、――黄金の瞳を輝かせている人物。

「どうして……」

 何度この問いを、繰り返しただろうか。どうして、こんなことになったのか。どうして、元には戻らないのか。その問いに答える者は誰もいないと知りながらも、アリアは何度も何度も繰り返していた。

「どうして……!」

 

「ジール、お兄ちゃん」

 テールの口から、零れるように声が漏れた。同時に、テールの青い瞳から涙が一筋、落ちる。

「……思い出したかい、アリア」

「どうして……? どうして、私は、忘れていたの……?」

「簡単なことだよ、アリア。君は、忘れていたんじゃない。忘れさせられていたんだよ」

 ジールは、目の前にいるテール――アリアを愛しいものに向けるような、穏やかな笑みで見ていた。その姿は、アリアの記憶の中にある兄の姿と同じもの。

「お兄ちゃん……」

 テールはジールに向かって、手を伸ばす。ジールもその手を掴もうと、手を伸ばした。

「テール!!」

 その声に、テールもジールも動きを止めた。ジールの背後に、テールの見慣れた姿があった。

「……ナイトメア」

 屋上に駆けつけたナイトメアが、ジールを睨むように見つめていた。ジールはゆっくりと振り向き、ナイトメアに向かって立つ。

「やあ、ナイトメア……いや、ジーンと言ったほうがいいかな」

「お前、テールに何をした」

 穏やかに声をかけるジールとは対照的に、ナイトメアは怒りを含んだ声で問いただした。ジールはそれでも穏やかな表情を崩さぬまま、ナイトメアに近づく。

「彼女に、本当のことを教えたまでだ。君がずっと隠し続けた、真実を、ね?」

「……!」

 ナイトメアは目をはっと開き、そして黄金の瞳を強く輝かせた。その直後、ナイトメアはジールに向かって駆け出し、右手に黄金の剣を出した。ジールもそれを見て、同じように剣を出してナイトメアに向かう。

「お兄ちゃん!!」

 テールの叫びと同時に、剣の刃と刃がぶつかる音が響いた。

 険しい表情で刃を押し付けるナイトメアに対し、ジールは先ほどまでの穏やかなものではなく、冷たい視線をナイトメアに向けていた。

「君は、いつもそうだ。そうやって、僕から居場所を奪ってゆく」

「……何を言っている」

「そうだろう。僕という人間を彼女の中から消して、その代わりに自分がいるんだろう?」

 ジールのその言葉に、ナイトメア以上にテールが動揺していた。

 自分の中にある兄――ジール・ロストロスに関する記憶を消して、その代わりに自分の兄を名乗る人物――ジーン・ローレイズ。

「嘘、だよね……。そうでしょう、ナイトメア……、兄さん……!」

 テールは尋ねるが、ナイトメアは答えない。テールに視線を向けぬまま、ジールに剣を振るっていた。刃と刃がぶつかり合う音だけが、夜の空の下に響いている。

「そんな……!」

「彼女の問いに答えないのは、事実だからだろう、ジーン」

「……黙れ」

 ナイトメアは小さく吐き捨てると、ジールの剣を薙ぎ払った。きぃん、と高い音がしてジールの剣は宙を舞い、黄金の光となって消滅した。それからナイトメアはテールに向かって走り、呆然としていたテールの身体を抱えた。

「なっ、ナイトメア!」

「……」

「アリア。彼と一緒にいるのか、それとも、僕と一緒にいるのか。選ぶのは、君だよ」

 ジールの言葉に、テールははっと大きく目を開いた。しかしナイトメアは冷たい表情のまま、何も言わずに屋上から飛び降りた。ナイトメアに抱えられたテールは、ジールの問いに答えることが、出来なかった。

 ジールはナイトメアを追わず、屋上から見える夜空を見上げていた。

「……雨が、降りそうだ」

 小さく呟いたあと、ジールは視線を空から屋上の扉へと向ける。同時に扉が開かれ、そこに一人の人物が現れた。

「やっぱり、来てくれたね」

「……ジール」

 扉をくぐり、屋上に出てきたのは、レイラ。いつもなら感情を見せない顔に、わずかながらに険しい表情を浮かべていた。ジールはその姿を見て、にこりと笑った。

「どうして、あなたがここにいるの」

「君も知っているだろう。僕が求めているものを」

「……マグウェルの、宝」

 レイラは胸元をぎゅっと握り締め、ジールの言葉を続けた。

「そんなものを、求めて何の意味になるの。あなたは、何がしたいの」

「最高の輝きを見るのが、僕の目的さ。君には……いや、誰にも理解できないだろうね、僕のこの感情は」

「……ジール」

「そんな風に君に名前を呼んでもらえるなんて、思っていなかったよ――クリス」

「……私は、クリスじゃ、ない」

 否定するレイラだったが、その言葉は途切れ途切れで、ぎこちないものだった。

「さあ、そろそろ雨が降ってしまうよ。僕はもう、戻るよ」

 そう言って、ジールはレイラとすれ違うように扉の中へと入った。レイラは胸を掴んだまま、強く目を閉じていた。

 

「……ジール」

 ステージに向かったジールは、すでにそこにいたロジャー、ナタリヤ、カズヤと遭遇していた。三人は、一番前にある客席の一つを取り囲むように立っている。

「ナイトメアには、また逃げられてしまいました。申し訳ありません」

「お前は一体、何をした」

 ジールの謝罪を無視して、ロジャーは尋ねた。三人が取り囲んでいる客席には、リーザスが目を閉じて座っている。ジールはちらりとリーザスに視線を向けた後、ロジャーの方を見た。

「ダンススタジオに、リーザスの恋人が倒れていた。リーザスを助けてくれ、と言っていた」

「そうですか」

「もう一度聞く。お前は一体、何をした」

「……何故、教える必要が?」

 直後、ロジャーはジールの胸倉を掴んだ。普段ならそれを止めるはずのナタリヤやカズヤも、黙ってその光景を見ていた。

「お前は多くの人間を巻き込んで、一体何をしようとしている? 答えろ!!」

「……愚かな人たちだ」

 ジールが小さく呟いたあと、突然三人は力を失ったかのようにその場に崩れた。ジールの右目は、黄金に輝いている。

「貴方たちが知る必要なんてない。僕の目的も、僕の感情も……」

 そしてジールはリーザスの足についていたアンクレットを外した。光を失った石を、地面にたたきつけた。砕けた石は、さらさらと砂のようになって、消えた。

「……理解なんて、されなくてもいいんだよ。君が、僕のそばにいてくれるのなら」

 

「ナイトメア……、ナイトメア!!」

 テールに呼ばれ、ナイトメアははっと大きく目を開いた。

「もういい。降ろして」

 人通りの無い路地を走っていたナイトメアはテールに言われ、ゆっくりと速度を落として立ち止まった。それから、テールは地面に立ち、光に包まれてアリアの姿となった。

「……兄さん、教えてよ」

 アリアは、ナイトメアの方を向いて尋ねた。

「あの人が、言ってたこと。違うよね……? 私のきょうだいは、兄さんだけ、だよね……」

 アリアの問いに、ナイトメアは答えない。

「兄さんが、……私の、本当のお兄ちゃんの記憶を忘れさせていたなんて、嘘でしょ? そんなこと、するはずないよね。だって、兄さんは、私の兄さんだもんね……?」

 震える声で、アリアは尋ね続ける。嘘であって欲しい、という願いを込めて。本当かもしれない、という確信を込めて。

「兄さんは、私に、嘘を吐き続けていたの?」

「……ああ」

 それは、アリアが最も聞きたくなかった、答えだった。

 ぽつ、とナイトメアの左目の下に、雫が落ちる。それからぽつぽつと、雨が降り始める。

「……嘘、だったの?」

 雨は、アリアの身体も、ナイトメアの身体も、冷たく濡らしてゆく。

「ずっと、ずっと、私に、嘘を吐いていたの?」

 アリアの問いに、ナイトメアは答えない。俯いたまま、アリアの言葉を聞いているだけだった。

「嘘なら、否定してよ。ねえ、兄さん!!」

「……すまない」

 その言葉は、否定ではない。むしろ、肯定の言葉。

「……どうして」

 アリアの耳に、雨が地面を叩きつける音が騒がしく入ってくる。顔を濡らすのが雨なのか涙なのか、アリアには判断できなかった。

 

 ずっと、信じていた人は、ずっと、自分に嘘を吐き続けていた。

 ずっと、信じて欲しいと思っていた人は、ずっと、自分を信じていなかった。

 

「……っ、嘘吐き!!」

 アリアは悲鳴のように叫び、それからナイトメアに背を向けて走り去った。

「……」

 ナイトメアの身体は光に包まれ、ジーンの姿へと戻る。しかし、ジーンは顔を俯けたまま、アリアを追いかけようとはしなかった。

 

 ジーンの頬を濡らすのは、雨か涙か、誰も、知らない。

 

 

END

 

 

 

 

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