「……なんですって?!」

 

 勝利の笑みは一変、マリオンのヒステリックな声が部屋に響く。眼帯を握りしめている手が、ふるふると震え、それから眼帯が床にはたりと落ちた。

「何よ……その、『闇色』の瞳は!!」

 露わになったナイトメアの右目は、黒よりも深い、『闇色』だった。マリオンが困惑しているその瞬間、ナイトメアの左目の金が、強く輝く。

「っ!? あぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 その光を浴びたマリオンは悲鳴を上げて床に倒れこむ。蔓の力も弱まり、テールとナタリヤが床に落ちる。ナイトメアもその蔓を引きちぎって、マリオンに近付いた。

「……何故、その、瞳には……力も、何もない……。一体、その瞳に、何があるっていうの!?」

 顔を上げて、ナイトメアに怒鳴るようにマリオンは叫ぶ。しかし、ナイトメアはその問いには答えずにマリオンを静かに見つめた。

「お前が求めるのは、何だ」

「何、よ……」

「お前が求めるのは、若さか? 偽りの、自分のものでも何でもない」

 ナイトメアは床に倒れこんだマリオンを見下して言う。マリオンは苛立ちを沸かせた表情をナイトメアに向けている。

「ええ、そうよ! 私は若さが欲しいのよ! それさえあれば、彼だって私の所に帰ってくる!」

「そんなもので取り戻すのか!? お前の本当に、欲しいものを!!」

 びくりと、マリオンの肩が震える。先ほどまでの強気な表情も苛立ちの表情も消えて、まるで怯える少女のようなものとなった。全身ががくがくと震えているマリオンに、ナイトメアは言葉を続けた。

「そんなもので取り戻せるはずがない。偽りの若さで、姿で、愛を得て、それで満足なのか?」

「……あ、い…………」

「お前が本当に求めたのは、何だ? マリオン・ローズメイル」

「私が、本当に……」

 

***

 

 何年か前の話だ。

 マリオン・ローズメイルは愛する人と幸せな日々を過ごしていた。結婚もしておらず、子どももいないが、それはマリオンにとって幸せで充実した毎日だった。

 しかし、それは唐突に終わる。

 彼女の愛した男は、浮気をしていた。相手は若く、美しい女だった。愛した男はマリオンの前から姿を消し、マリオンは、自分の信じていた愛を全て失った。

「私が愛していたのはあなただけだった! なのに、何故!? 何故、私を見てくれないの!」

 いくら叫ぼうとも、マリオンの思いは愛した男には届かない。いくら涙を流しても、それは彼女に何も与えてはくれなかった。彼女の心は完全に傷つき、長い間、人と関わることを恐れた。

 そんな彼女の前に、一人の男が現れる。

「愛なんて、一瞬のものなのです」

 その男はマリオンに愛を与えなかった。

「けれど美しさはそうではない。美しさで愛を得ることなんて容易いのに」

「……そう、ね」

「そう。だから、貴女にこれを」

 その男はマリオンに『青薔薇』を与えた。

「これは……?」

「貴女の願いを叶える、力ですよ」

 男が呟いた刹那、それは青く青く、強く輝いた。

 そのときから、マリオンは薔薇によって若さを取り戻した。それは、マリオンにとって快感だった。幸福だった。しかし、その若さにも限界があった。

 だから、マリオンは本物の若い少女から、薔薇の力を使って若さを奪った。そして、ナタリヤからも。

 

 マリオン・ローズメイルは愛した男に、自分を見て欲しかった。愛して欲しかった。それだけだった。

 

***

 

「あっ、あああ……」

 マリオンはその若々しい姿から想像できない、掠れた声を上げた。その瞳から涙が落ちる。

「あああっ、あ、ああぁぁぁ」

 一筋だった涙が、少しずつ量を増して溢れ出す。ナイトメアは、それをじっと何も言わずに見つめていた。

「わ、たし……は、愛して……、彼の愛が欲しかっただけなの!!」

 ただ、それだけだった。それだけが、少しずつ歪み、偽りの若さを求めるようになった。マリオンはゆっくりと目を閉じて、その場に倒れこんだ。マリオンの手から落ちた『青薔薇』から、少しずつ青い色が失われてゆく。

 ナイトメアは床に落ちた眼帯を拾い上げ、自らの右目を隠すようにつけた。そしてその上から静かに手を当て、零す。

「……ここにあるのは、俺の、『真実』だ」

 

***

 

 バリン、というガラスの割れる音でシルヴァは意識を取り戻した。起き上がり、辺りを見るとナイトメアの姿は見当たらない。

「逃げられたか……」

 それから走ってマリオンの部屋に向かうと、そこには割られた窓ガラスと、うつ伏せに倒れているマリオンとナタリヤの姿があった。

「おい、ナタリヤ! しっかりしろ、ナタリヤ!」

「うっ……シルヴァ……くん」

 ナタリヤが目を覚ましたのを確認して、シルヴァの緊迫していた表情が少し緩む。ナタリヤはシルヴァの手を借りて立ち上がると、倒れているマリオンを見つけた。

「おばさま?!」

 慌てて駆け寄り、うつ伏せに倒れているマリオンの肩を揺らす。泣きそうな声で、ナタリヤは叫ぶ。

「おばさま、おばさま! 目を覚まして、マリオンおばさま!」

「うう……」

 ナタリヤの声が届いたのか、マリオンは小さくうなされた。ほっとしたナタリヤはマリオンを仰向けにさせて起こした。

「大丈夫、おばさ……」

「どうした、ナタリヤ……」

 ナタリヤもシルヴァも言葉を失った。目の前にいるマリオン・ローズメイルは先ほどまで彼らに見せていた姿と全く違う姿をしていたのだ。

――――偽りの若さもない、ただの年老いた女性が、そこにいた。

 

***

 

 翌日。時刻は午前十一時。場所は喫茶店。

「昨日もナイトメアがすごかったみたいですねえ」

 と、新聞を読んでいるシルヴァにコーヒーを持ってきたジーンが、新聞の一面をちらりと見ながらシルヴァに声をかける。シルヴァが顔を上げると、そこにはいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべたジーンの姿があった。

「……みたいだな」

「本当にナイトメアが出るたびに、夜がにぎやかになりますね」

「おかげでゆっくり寝られやしねぇ。あーあ、警察ももっと頑張ってくれないかねぇ」

「誰が何ですって?」

 後ろから唐突に上がった声に、シルヴァもジーンも驚きの表情で振り向く。仕事時のスーツをきっちりと着用したナタリヤが、ふっと笑いながら腕を組んで立っていた。

「ナ、タリヤ……いつの間に」

「あら、私がいつ来ようともいいでしょう? それとも、何か私の悪い噂でもしていたのかしら」

「いや、別に……」

「そ、それでナタリヤさん。今日はどういったご用で?」

 シルヴァとジーンが引きつった笑みを浮かべながら対応する姿にくすりとナタリヤが笑う。先日見せた悪戯っぽい表情と、変わらないものだった。そしてナタリヤはジーンに代金を渡して注文をする。

「この間のケーキをお願い。今度は一つね」

「かしこまりました。すぐに持ってきますので」

 ジーンが店の奥に入っていくのを確認すると、シルヴァはナタリヤに尋ねた。

「あれから、マリオンはどうした」

「また、入院よ。……前と、同じ理由で」

 前と同じ。それは、精神的に強いダメージを負い、人と関わることを拒絶したことが原因である。そして、現在もマリオンは何処かの病室の片隅にいる。

「シルヴァくん、信じられる? ……私の、言っていること」

「信じるも何も、俺も、ロジャーも見ている。マリオン・ローズメイルの姿を」

 あれからすぐ、マリオンは救急車によって運ばれた。そのとき、ロジャーもまたナタリヤたちと同じように何も言えなくなっていた。先ほどまでは二十代後半の姿をしていたマリオンが、年相応どころかそれ以上に年老いた女の姿になっていたのだ。

「何だか、私が今まで会っていたおばさまが夢か何かかと思ってきたの。むしろ、そうであって欲しい……」

「ああ。本当にな」

 けれど、シルヴァの中には何かが形を作り始めていた。それは、少しずつはっきりと見えてくる。

「…………『ロストロスの悲劇』」

「え?」

 シルヴァの呟きが聞き取れなかったナタリヤが声を上げた直後、ジーンがケーキの箱を持って、奥から出てきた。

「お待たせしました。こちらですね」

「ええ、ありがとう……」

「見舞いか?」

「そう。早く、元気になって欲しいから」

 ふっと笑うナタリヤの笑みは、何処か影を帯びているようだった。そして、ナタリヤは喫茶店を去った。そんなナタリヤの姿を見ながら、シルヴァは口を開いた。

「なあ、ジーン。お前、都市伝説は信じる派か?」

「はい?」

 予想もしなかった言葉に、ジーンは瞬きをしてシルヴァを見る。

「都市伝説……ですか。でも、僕は『ゴールド・アイズ』はいると思いますよ」

「何だっけか……カズヤがいつか言ってた人面犬とか、ああ、あと伝説の剣とかはどうだ」

「うーん、あって欲しいような欲しくないような……」

「魔法の、石とか」

 シルヴァはぼんやりと遠くを見て、何気なく尋ねた。ジーンは、一瞬だけ感情が消えたような顔をして答えた。

「ありますかね、そんなもの」

 

***

 

 誰もいなくなったと思われていたマリオンの館に、一人の男がいた。

「……ナイトメア、やはり君だったか」

 ナイトメアが盗まなかった、『青薔薇』。それは名に合わず、青という色を失っていた。男はその薔薇を拾い上げるが、薔薇は砂のようにさらさらと消えてしまった。

「やっと、僕の大切な物を取り戻すことができるね……この時を、どれほど待っていたか」

 男は口元をにやりと歪ませて、その隙間から笑い声を上げる。

「さあ、返してもらうよナイトメア。僕の、大切な物を…………」

 その男の右目は――――――金色に輝いていた。

 

 

 

 

←前へ    目次