マグウェルの宝 忘れえぬ瞳
それは今から七年前。
「……不審者、ですか」
ナタリヤ・メルティーン、当時十六歳。彼女は、目の前の女子生徒が話題に出した中でのキーワードを繰り返し言った。
「はい、不審者です」
「それは、一体どんな人なのですか?」
ナタリヤは机の上に置いてあるメモ帳に、女子生徒が語る内容を記していった。
不審者は、暗闇の中に現れるので顔ははっきりと見えないが二十代後半から三十代の男性。身長は百七十センチほどあり、体格はどちらかというと大柄。足音も立てず背後から聖クロス・リュート学園の女子生徒に忍び寄り、腕をつかんだり抱き着いたり、という行為を繰り返しているというのだ。
「許されませんね」
話を聞き終えたナタリヤは、メモ帳を閉じて大きく息を吐き出しながら言った。その声色には、いつもの穏やかな様子はなく、怒りと苛立ちが大量に含まれていた。あまりの様子の違いに、ナタリヤに相談した女子生徒たちは不安げな表情をした。
「ナタリヤ、さん……?」
「安心してください。この事件、必ず私が解決しますから」
黒く鋭い瞳は、今この場にいない犯人に向けられている。ナタリヤの表情や言葉から、女子生徒たちは安心したような顔になった。
「さすがですね、ナタリヤさん!」
「やっぱり最優秀生徒のナタリヤさんに相談してよかったです!」
「どうか、私たちの悩みを、解決してください」
「もちろんです。私にできないことはありませんから」
鋭い瞳をすっと消して、ナタリヤはにこりと女子生徒たちに微笑んだ。
――私にできないことはない
確信を持った自分の言葉を頭で繰り返しながら、ナタリヤは窓の外を見た。必ず、犯人を捕まえる、という決意を込めて。
その日の放課後。時刻は午後六時を過ぎ、あたりが薄暗くなり始めた頃。
「確か、三件目はこのあたりで起きたって言ってたわね……」
ナタリヤは女子生徒たちから集めた情報が書かれているメモをもとに、路地裏を歩いていた。こつ、こつ、というナタリヤの足音だけが路地裏に響く。
「発生時刻、午後六時二十分。もうそろそろ、ね」
ナタリヤが確信を帯びたようにつぶやいた直後。足音が、増えた。
――来た。
ナタリヤは足を止めることなく、先ほどと変わらぬスピードで歩く。足音も、一定の速度を保って歩いていた。そして、ナタリヤはある曲がり角に入り、壁に寄り添って身をひそめた。足音は、近づいてくる。
「……」
足元をにらみ、わずかに見える影から相手の距離を測る。あと三歩、二歩、一歩。
「はあっ!!」
ナタリヤはそのまま角から飛び出し、相手の腹部と思われる場所に向かって膝蹴りをした。
「うあぁ?!」
低い男の叫び声と、膝の感触。そのあとに続いたのは、どさ、という地面に何かが落ちる音。ナタリヤは倒れた相手の前に、大股で立ち、相手に向かって指をさした。
「この一連の、婦女暴行事件の犯人は、あなたですね!!」
「……はあ?!」
言われた金髪の男は、状況が理解できていない様子で、目を大きく開いて声を上げていた。その反応を見て、ナタリヤはにやりと笑う。
「そうでしょう? こんな路地裏を通って、こんな女子学生を追いかけるなんて……犯人以外の何物でもありません!」
「ああ……そうかい」
そういって、男はゆっくりと立ち上がり、スーツの内ポケットから何かを取出し、ナタリヤに突きつけた。
「……え」
それを見たナタリヤは目を点にさせ、間抜けな声を上げた。男は、鼻で大きく息を吐き出す。
「ロジアル・ハスフォード、お前の望んでた犯人を、追いかける方の、刑事だ」
疲れた笑みを浮かべる男、ロジアル・ハスフォードに、ナタリヤは苦い笑みを浮かべるしかできなかった。
「あ、あの、ロジアル、さん」
「ロジャーでいい」
「私……もしかして、公務執行妨害とかで逮捕、ですか?」
「……お前、頭いいのか悪いのかはっきりさせろ」
裏路地をとぼとぼと歩くナタリヤは、隣にいるロジャーを見上げながら不安げに尋ねた。ロジャーの方は呆れきった顔をしており、頭をがりがりと掻いていた。
「さっきのことはなかったことにしといてやる。けどな、普通こんな薄暗い場所を歩いている女の子を見かけたら警察官は心配して様子を見るに決まってるだろ」
「……はい」
「それで? お前はなんで犯人を捕まえようなんて思ってんだ」
ロジャーは呆れの表情を変えぬまま、ナタリヤに尋ねた。どうせ、子どものお遊びだ、と思っていたロジャーだったが、ナタリヤの表情は、お遊びのかけらを感じさせないような真剣なものだった。
「……同級生たちが不審者に襲われているなんて、黙っていられませんでした」
「え?」
「私は、聖クロス・リュート学園の生徒の代表として、生徒の危険を脅かす犯人を必ず捕まえる、と誓ったんです」
黒い瞳はまっすぐと前に向けられている。薄暗い路地裏と不釣り合いな輝きを放つのは、ナタリヤの胸に輝く金色の十字架。
「……誓うって」
「ロジャー刑事!」
ナタリヤは突然大声を上げ、ロジャーの手を掴んだ。
「なっ?!」
予想していなかったナタリヤの行動に、ロジャーは驚きを隠せず大きく目を開いた。そんなロジャーの様子の変化に気付いていないナタリヤは、顔をロジャーに近づけた。
「どうか、私に、捜査協力をさせてください!!」
「……って」
ナタリヤの発言の意味を理解するのに数秒かかったロジャーは、小さく息を詰まらせたが、直後に
「バカヤロウ!!」
と、真正面のナタリヤの顔に向かって怒鳴り声を浴びせた。目の前の少女は、何が起きたかわからないようで、先ほどのロジャーのように目を大きく開いている。
「……なっ」
「なんで、とか言うなよ。お前は、ただの、普通の、女子学生だ! そんな奴の何が捜査協力だ! お前みたいな女子学生に頼らなくちゃならないほど警察は人手に困ってないんだよ!!」
「なっ、なんですか、その言い方は!!」
ナタリヤは顔を真っ赤にさせて怒りを露わにしながらロジャーに向かって叫んだ。
「言っときますけど、私はそんじょそこらの女子学生とは違います! 知力体力共に自信ありますし、それを活用すれば確実に捜査に協力できると思いますけど!」
「そこらの女子学生と何が違うっつーんだよ?!」
「そこらの女子学生は刑事に蹴りができますか?!」
「公務執行妨害で逮捕するぞお前!!」
肩を上下させて荒く呼吸をしながら叫びあったナタリヤとロジャーだったが、互いに疲れてしまったのか、いつの間にか言い争うのをやめていた。
「……ともかく、こんな場所にいつまでもいたら本当に不審者に狙われるかもしれん。家まで送るぞ」
「結構です。私は犯人を捕まえるまで、帰るつもりはありません」
「何を言ってるんだ、お前は……」
ロジャーは呆れの溜息しか出せなくなっていた。せめて気分を変えよう、と懐から煙草の箱を取出し、一本抜き取ろうとした。
「あ」
ぱし、と乾いた軽い音がしてロジャーの手が止まる。手が止まった原因は、手首を誰かに掴まれたから。そんなことをする人間は、この場に一人しかいない。
「……お前」
「私の名前はお前、などではありません。ナタリヤ・メルティーンです」
「じゃあナタリヤ。何故、お前は俺の手首を掴んでいる?」
ロジャーは眉をしかめながらナタリヤに尋ねる。ナタリヤは至って真剣な表情のまま、ロジャーをじっと見つめて口を開いた。
「煙草には多数の有害物質が含まれています。その煙は吸っている本人以上に、周囲にいる人間にも害を与えます。つまり、この煙草を吸うことで被害を受けるのはあなただけでなく、私も、それも私が倍以上に被害を受けるんです」
「……はあ」
そう言われると、煙草を吸う気も失せたロジャーは小さく息を吐き出して煙草を箱に戻した。そのついでに、腕時計で時間を確認する。午後六時五十分、薄暗い路地裏を照らすのは表通りの道から入るわずかな光だけ。こんなところに居続けたら、本当にナタリヤが狙われてしまうかもしれない、とロジャーが思った時だった。
「……あそこ」
小さく声を上げたナタリヤが、突然走り出す。思考を巡らせていたロジャーは、一瞬、反応が鈍った。
「おい、ナタリヤ?!」
慌てて追いかけるが、ナタリヤの足は速かった。細い路地裏を素早く走るナタリヤにロジャーはなかなか追いつけない。そしてロジャーのはるか先にある曲がり角に入ってしまったナタリヤは完全に姿を消した。
「くそっ、何だ?!」