マグウェルの宝 揺れる二つの光

 

 時刻は午前六時。場所はジーンとアリアの住むアパート。

「あ、おはよう兄さん」

「アリア……、何だこの匂いは」

 いつもより早い時間に目を覚ましたジーン。その原因はジーンの寝室までにも届いた異臭だった。何か火事でも起きたのではないか、と慌ててジーンが匂いのする台所に向かうと、そこにはエプロンをつけたアリアの姿があった。

「何って……あ、少し焦がしちゃったから、その匂いかしら」

「……少し?」

 ジーンは視線をテーブルの上にあるものに向けた。皿の上に乗っているそれは、「焦げた」と言うよりは「燃やした」と言うほうが正しいと思えるほど真っ黒だった。

「兄さんすごい顔。眉間の皺、かなり入ってるわよ」

「そりゃあな……」

 朝からそんなもの見せられたらな。ジーンは勢いで出てきそうになった言葉をぐっと飲み込む。

 アリアは、成績は優秀で、運動神経も普通より上なのだが、料理だけはどうしても出来ない。本人は出来ているつもりなのだが、実際は今の状況である。にこにこと笑ってアリアは机の上の皿をジーンに向けた。

「はい」

「はい?」

「朝のスイッチを入れるのは朝ご飯。兄さん、まだ目が覚めてないからそんな顔なのよ」

「え、はい?」

「そのままじゃ喫茶店行けないでしょう? だから、これ食べて頭起こして」

 小さく首を傾げる妹を見て、ジーンは何も言えなくなる。それから視線を皿に向けるが、皿の上には黒い物体がある。

「えっと、これは……?」

「え? スクランブルエッグよ」

「スクランブルエッグ……ねぇ」

 果たしてどう見たらそれがスクランブルエッグに見えるだろうか。ジーンは引きつった笑みを浮かべ、黒い物体をひとつまみし、口に入れた。

 口に入れると、にがみが広がった。口の中が切れたときのような味や苦瓜のような味やその他様々なにがみがジーンの口で溢れた。とりあえず苦かった。

「アリア」

「うん?」

「苦い」

「え?」

 きょとんとした表情でアリアはジーンを見る。

「苦いって、やっぱり少し焦がしたから?」

「少しとか言う問題じゃないぞ、これ」

「そう?」

「アリア、お前はもう少し自分を省みたほうがいいぞ」

「……どう言う意味よ、それ」

 ジーンの言葉を聞いたアリアの表情はむっと不機嫌なものになる。

「もしかしてアリア、今日弁当がいるのか? なら言ってくれれば作ったのに……わざわざお前が作らなくても」

「ねぇ、兄さん」

「まだ時間はあるな。今から作るから」

「兄さん?!」

 自分の言葉を聞かず話を進めるジーンにさすがのアリアも声を上げた。

「何よその言い方! 私が料理下手みたいな言い方じゃない!」

「アリア、お前は料理が下手じゃない」

 ジーンはぽん、とアリアの肩に手を乗せて微笑んだ。

「お前は料理が出来ないんだ」

 そう言ったジーンは料理の準備を始めるためにアリアに背を向ける。言われたアリアはそばにあったフライパンを握った。そんなそんなことに気づかないジーンは冷蔵庫の中を見ていた。

「結構昨日使ったからなあ……どうしようか」

 ジーンが冷蔵庫を覗きながら悩んでいたその時、

 

「兄さんの、バカ!!」

 

 アリアの叫び声が耳に届いたのと後頭部に強い衝撃を感じたのは同時だった。それからジーンは衝撃に誘われるかのように意識を闇に落とした。

 

 それからしばらく経って午前七時。場所はリビングのソファの上。ジーンが目覚めるとそこにいた。

「……あれ」

 自室から鳴り響く目覚ましを止めつつ時間を確認して、ジーンは後頭部に手を伸ばした。

「いった……本気で殴ったな、あいつ」

 ジーンが大きくため息を吐くと、机の上に一枚の紙があることに気づいた。そこにはアリアの文字で『もう兄さんのことなんて知りません。好きにすれば。迎えは来なくて結構です。』と書かれていた。

「好きにすれば、って……」

 

***

 

 時刻は午前十一時。場所は喫茶店。

「やけに暗いな、ジーン」

「え?」

 いつも通り店にやってきたシルヴァはジーンの姿をみて一言言った。言われたジーンはきょとんとし、それを聞いた先客のロジャーは小さく頷いた。

「確かに、今日はいつもより暗いぞジーン」

「そ、そうですか?」

 ジーンは頬を触り、筋肉の固さを確認した。そんな様子をみてシルヴァとロジャーはやっぱりな、と言いたげなため息を吐いた。

「お前は隠し事が下手なんだよ、ジーン」

「そうですか?」

「まあ上手い方じゃねぇだろ」

「シルヴァさんまで……」

「それで、何が原因だ?」

 ロジャーが心配するような声でジーンに尋ねる。どう答えようか考えたジーンよりも先にシルヴァが口を開いた。

「アリアと喧嘩か」

 それを聞いたロジャーは鼻で小さく笑ってシルヴァの方を向く。

「シルヴァ、お前とユメリアじゃないんだぞ。ジーンとアリアがそんなこと」

「その通りなんです」

 困ったように笑うジーン。それをみてぽかんとするロジャーを見て、「ほら見ろ」とシルヴァは小さく言った。

「ジーンとアリアが、喧嘩? 何で」

「いや、そんな大した理由じゃないんですけどね……」

「けどお前が凹むってよっぽどのことだろ。ロジャーがこんな風に訊くのも無理ないし」

「とか言ってお前だって気になるだろ」

「まあ」

 そんなロジャーとシルヴァの会話を聞いてジーンは話すことを決意した。

「アリアには僕が言ったこと、言わないでくださいね」

「ああ」

「実はアリア、料理が出来ないんです」

「……は?」

 ジーンの一言に今度はシルヴァもぽかんとして、間抜けな声を上げた。ロジャーは何も言えないといった様子で、ぱちぱちと瞬きをしている。

「アリアが料理出来ない? なんの冗談だ、ジーン」

「いや、本当に出来ないんですよ。だからいつも弁当や夕食は僕が作っているんですけど……」

「アリアが、何か作ったのか」

 ロジャーが尋ねるとジーンはこくりと頷いた。

「スクランブルエッグを」

「……それすら出来ないって?」

「本人曰わく少し焦がしたらしいです」

 ジーンの口の中で今朝味わったにがみが甦った。そんなジーンの表情をみたロジャーもシルヴァもなんとなく予想はついた。

「そんなに、出来ないのか?」

「正直、全然ですね」

「意外だな、本当に……」

 アリアと言えばリュート学園最優秀生徒で、勉強も運動もできて、人付き合いもよい。欠点という欠点が存在しないようなアリアが『料理が出来ない』と言われても、信じがたいものである。

「それで、僕が『料理をするな』って言ったら、怒らせたみたいで」

「つまり、ジーンがアリアの地雷を踏んだって訳か」

「まあ、そんなところですね」

 苦笑いを浮かべるジーンにシルヴァとロジャーは信じられない、と言ったような顔を向ける。

「アリアと喧嘩って言っても、そんなに大事になりそうな気がしないけどな。シルヴァとユメリアじゃあるまいし」

 くくく、と笑いながらロジャーが言うと、シルヴァはそんなロジャーに睨みを飛ばす。一方のジーンは少し考えるように、顎に手を当てた。

「いや、アリアはああ見えて頑固ですから……怒ったらずっと怒りっぱなし、というか」

「ま、そう言うのも兄妹だからこそだろ」

 ため息混じりに半ばどうでもよさそうにシルヴァが言うと、ジーンは困ったような笑みになる。

「そうなんですかね……」

「お前が人の事言えるのか、シルヴァ。一人っ子のくせに」

「兄弟喧嘩は知らんが、親子喧嘩は慣れてるからな」

「あー、確かに」

「親子って……」

 それとこれとは別問題じゃないのか、と思いながらジーンが呟くとロジャーがジーンに穏やかに微笑んだ。

「シルヴァの言う事も間違ってはないさ。兄妹だから、そう言う喧嘩の一つや二つもあるだろ?」

「うーん、あんまりなかったもので……どう対処すればいいか」

「そんなのは適当に流しときゃいいんだよ。どうせ、冷静になれば大した事ないって気づくからな」

 これ以上言う事はない、と言ったようにシルヴァは早口で言った後、コーヒーを飲んだ。ロジャーも「そんなに深く考えるなって」と明るく声をかけてくれたが、ジーンはやはり苦笑いを浮かべるしか出来なかった。

 

 

 

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