ジーンとナイトメアと仮装パーティ
「おねがい兄さん。ナイトメアに、なって」
「……は?」
突然のアリアの頼みごとに、ジーンは驚きの声を上げるしかできなかった。
時刻は午後四時。場所はジーンとアリアのアパート。
「もしかして、またマグウェルが」
「違うの。そうじゃなくって、その……」
アリアは少し俯いて、言葉を詰まらせた。一体何事か、と思いながらジーンがアリアの様子を見ていると、アリアはようやく顔を上げた。
「今度、学校で仮装パーティがあって」
「……は?」
本日二回目の驚きの声。ジーンの眼鏡は驚きのあまりずれてしまっている。
「な、何だって?」
「学校の仮装パーティで、各グループが外部の人を仮装させるコンテストがあるの。それで、兄さんが選ばれちゃって」
「ちょっと待て。だからって、何でナイトメア」
「仕方ないでしょ。今、一番の話題はナイトメアなんだし。仮装しやすそうだし」
そういわれれば、そうだけど……、とジーンはずれた眼鏡の位置を戻しながら苦笑いを浮かべた。
「で、何で僕? もっといい人がいたでしょ、シルヴァさんとか」
「私もそう思ったけど……他のグループに取られたみたいで」
「他のグループって、もしかして」
「ユメリアさんのグループ」
ユメリアに無理やり引っ張られて仮装をさせられているシルヴァの姿が容易に思い浮かべることができたジーンは同情の混ざったような笑みを浮かべる。そして、小さく息を吐いた後に「わかった」と言った。
「じゃあ、僕がナイトメアの仮装をするよ。衣装は全部任せていいんだろう?」
「もちろん。あ、じゃあちょっと待って」
アリアはポケットから携帯電話を取り出し、どこかに連絡をし始めた。
「もしもし、アリアです。はい、兄のことですが……そう、快く引き受けてくれるそうです」
「こ、快く……?」
「はい、はい。ええ、大丈夫ですよ。はい、……わかりました、お願いしますね」
早口にアリアは言った後、電話を切った。その直後、ぴんぽーん、とチャイムの音が鳴った。
「……え?」
「はい、今行きますね」
まさか、と思うジーンに対して、アリアは楽しそうな笑みを浮かべて玄関に向かう。呆然と立ち尽くすジーンの耳にアリアの声と、その同級生と思われる数名の少女の声が聞こえてきた。ジーンの予想は的中した。
「兄さん、今からサイズ合わせとか、衣装についての打ち合わせをするわね」
「よろしくお願いしまーす!」
「……ええっと、あの」
アリアの後ろについてきた女子生徒は三人。それぞれが色々な荷物を抱えてきている。状況が把握できずに中途半端に手を伸ばしたジーンだったが、アリアたちの波に押されてジーンの自室に向かうこととなった。
「じゃあ、まず脱いでください!」
「……はい?!」
女子生徒の一人の発言に、ジーンはとうとう大声を上げた。続きに何かを言おうとしても出てこずに口をぱくぱくとさせているジーンに、別の女子生徒が穏やかに言う。
「ああ、さすがにパンツまでじゃなくって。でもパンツ以外脱いでください」
「え、ちょっと」
「兄さん、協力してくれるんでしょう?」
にこり、と優しい笑みをジーンのほうに向けてアリアが言うが、その目は笑っていない。断るな、というオーラが溢れ出している。
「いや、だからって、ちょ」
「皆さん、兄さんを押さえて!」
アリアが言うと同時に、三人の女子生徒がジーンの足や腕を掴んで動けないようにした。
「なっ、何を?!」
「そのまま、おとなしくしてね。兄さん」
満面の笑みなのに、それはまるで鬼のような表情。そのアリアの表情を見てしまったジーンは逃げようとしていた全身の力が一気に抜けた。顔を引きつらせて、ただ、アリアが近づくのを見つめる。
「や、やめ……」
「大丈夫。痛くないから……ねぇ?」
「やめて……いやぁぁぁああぁぁあああぁぁぁぁ!!!!」
悲痛なジーンの叫び声が、外まで響いていた。
***
翌日。時刻は午前九時。場所は喫茶店の厨房。
「……ジーン、どうかしたの」
普段は声をかけるということをしないレイラが、珍しくジーンに声をかけた。
「え? 何がですか?」
「とても、疲れているようだけれど」
「そっ、そんなことないですよ」
と、言うジーンだが、目元にはうっすらとくまがあり、どこかやつれているように見える。レイラの言葉に、店長もうんうんと頷いている。
「ジーンくん、体調悪い? あんまりひどいようだったら今日は休んでも……」
「いえ、大丈夫です。昨日、少し眠れなかっただけですから」
実際は、アリアとその同級生による衣裳製作の会議につき合わされた結果である。ナイトメア事件の写真から衣装を考え出そうとしたり、ジーンのサイズ合わせを行ったり、実際に衣装を作っていく中での機動性を確認したり、とほぼ徹夜でそれらのことが行われたのだ。現在、アリアたちは学校がないということでジーンの部屋で眠っている。
どうしてこんなことに巻き込まれたのか。そんな思いを吐き出すようにジーンは小さくため息をついた。店長は相変わらず心配そうな顔でジーンを見つめていて、レイラも首をかしげている。そんな二人の様子に気づいたジーンは小さく首を振って、いつも通りの笑みを浮かべて二人に言った。
「そんなに心配しないでください。僕、外の準備しますね」
去ってゆくジーンの姿を、店長は困ったような笑みを浮かべて見つめていた。
***
時刻は午前十時。場所はシルヴァの事務所。
「くそっ……ふざけやがって……」
ぜーはーぜーはー、とシルヴァは肩で荒く呼吸をしていた。そして、苛立たしげに見つめる視線の先には、床に倒れるようにして眠っている少女たちの姿があった。その中には、もちろんユメリアの姿もある。
「人の気も知らないで気持ちよさそうに寝やがって……」
普段よりも何段階も低い声で呟くシルヴァの目の下にはうっすらとくまができている。ふざけやがって、と再び呟いてシルヴァは少しふらつきながら事務所を出た。
「……だ、大丈夫ですか、シルヴァさん」
「そういうお前もどうしたんだ、ジーン」
いつも通り喫茶店に向かったシルヴァは、目の下に自分と同様のうっすらとしたくまを作っているジーンに驚いた顔をされて言われたことを、そのまま驚いたような顔をして返した。互いにぱちぱちと瞬きをしている間に、状況が把握できたらしいシルヴァは「ああ」と納得したような声を上げた。
「仮装パーティ、か」
「と、言うことはシルヴァさんも……」
「ユミィの奴に捕まってな。おかげで一睡もできなかった」
やっぱり、ジーンは苦笑いを浮かべて「お疲れ様です」とシルヴァに言った。
「ったく、あいつらもよくするな。仮装パーティに本気出しやがって」
「まあ、いいじゃないですか。学生時代しか、こういう楽しいことってできないんですから」
「……学生時代、ねぇ」
少し視線をジーンからそらして、シルヴァは遠くを見るような目をして呟いた。そんなシルヴァの表情を不思議に思いながら、ジーンは首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「いや、何でもねぇ。コーヒー頼む」
「はい。かしこまりました」
いつも通りの注文を受けて、ジーンは店の奥に戻る。シルヴァは相変わらず遠くを見つめたまま、大きなため息をついた。
***
それからというもの、ジーンの睡眠時間は日に日に削られていった。毎晩のようにアリアと同級生たちは部屋に押しかけてきて、衣装合わせということでジーンを振り回していくのだ。彼女たちも十分睡眠時間が取れていないというのに、いきいきとした表情で衣装合わせを行う姿を、ジーンは不気味に思っていた。
あと二日でパーティと言う日の夜中。眠りについた同級生たちにアリアが毛布をかけている姿を、ジーンは少し呆れたような表情で見つめている。
「何よ、兄さん」
そんな視線に気づいたアリアが少し表情をむっとさせてジーンに尋ねる。
「いや……よくやるな、と思ってな」
疲れすぎたせいか、ジーンの口調はいつもの穏やかなものと言うよりはナイトメアの時に近いものになっていた。しかし、ジーンよりもはるかに疲れているであろう少女たちが、どうしてここまでするのかわからず、ジーンは単純に思ったことを言っただけだった。
「だって、楽しいんだもの」
「……楽しい?」
「うん。こうやって、皆で一つのことをするって楽しいし。こんな風にできることってないでしょう?」
その言葉どおり楽しそうな笑みを浮かべてアリアが言う。
「それに、最優秀生徒の名に恥じないように一位を取りたいじゃない」
「それはお前が一位を取りたいだけだろう?」
ジーンが言うと、アリアはにっと歯を見せて笑った。それは、学校にいる穏やかなアリアのイメージとは少し違うような、明るい笑みだった。
「今回の強敵はやっぱりシルヴァさんね。多分、ナイトメアをしてくるだろうし!」
「……そ、そんなに人気なのか? ナイトメアって」
「まあ、仮装しやすいってだけだと思うけど」
少し期待したように言ったジーンの言葉を、アリアはあっさりと一蹴した。がく、と肩を落とす兄の姿を見て、アリアはくすくすと楽しそうな笑い声をあげた。