Short File:たいせつなひと
とある日、魔術指導訓練所。
「はーあ……」
大きなため息を吐き出して、ロードはとぼとぼと廊下を歩いていた。
先日、実習が一段落着いて現在はひたすら座学を受けているロードだが、その心境は一言でいうと「微妙」なものであった。
厳しい指導や激しい実践訓練、大量のレポートから解放された安心感もあるのだが、同時にすさまじい勢いで去っていった日常がなくなってしまった喪失感も生じた。そして、もう一つは。
「……ビィさんに会えないのか……」
ロードの大きなため息の原因、それはビィと会うことができなくなることである。元々、ビィと会うことは実習の中でも少なかったと言うのに、実習がなくなってしまえば会うことはない。ロードにとって、ビィと会うこと(と言うよりも、その姿を見ること)は実習のささやかな活力だったのだ。
「はーあ……」
本日何度目になるかわからない大きなため息。しばらくビィに会えないという現実は、自分に意外と大きなダメージを与えるのか、とロードが思った時だった。
「おい、あれ」
「ドールじゃねえか」
誰かの声に、ロードがはっと顔を上げる。目の前には、三人で固まっている上級生の男子学生。彼らの視線の先は、中庭に向けられていた。
「……ドール」
つられて、ロードも中庭を見る。
そこに広がっているのは、いつか見た光景。
中庭の中心で、ぼんやりと空を見上げて立つ、黒髪の少女。二つに結われた黒くふわふわとした髪は、風を受けて揺れている。
「ビィさん」
その名を口にした途端、顔の熱が上がっていくような感覚が生まれ、それを振り払おうとロードは強く首を振る。
「気色悪い」
その声は、間違いなく目の前にいる上級生の口から発せられたものだった。
「ドールなんてさ、気味悪いっていうかさ。人間じゃないんだぜ?」
「どうせ、ただの道具なんだろ? ロッドみたいな形にすればいいだろ」
「作った奴も変人だし、使う奴も変人だよな」
三人はそれぞれの言葉に同意しながら笑いあう。目の前で繰り広げられている会話の意味を理解してしまったロードは、しばらく呆然と見ていたが、次第に身体の奥底からふつふつと怒りが湧いてくるのを感じた。そして、それを感じてしまったら、行動に移してしまうのが、ロードの悪い癖だった。
「おい!!」
ロードの怒鳴り声に、三人が同時に振り向く。
「何だお前?」
「おいおい、上級生への言葉づかいってのわかってないの?」
一人がぎろりとロードを睨み、一人はにやにやと笑いながらからかうようにロードに言う。もう一人はすでにロードへの興味はないのか、中庭の方を見ていた。
「……今の、言葉」
「ん?」
ロードは怒鳴りたい衝動を、ぐっとこらえながら三人に言う。ここで自分が感情的に動いても、勝てる相手ではない。何より、そんなことになってしまっては自分の正論が無駄になる。そう思いながら、ロードはぎゅっと拳を握りしめ、三人を見ながら言葉を続けた。
「どういう、意味、ですか」
「今の言葉って……ああ、さっきのじゃね?」
「気色悪い」
今度ははっきりと、ロードの目の前の上級生が言った。
「ドールなんて気色悪いんだよ。バディにするなら動物でいいだろ。人間じゃないくせに人間の姿して。悪趣味だろ、あんなもん」
「悪趣味って……!」
「人間じゃない奴を相手に、人間みたいに関わるの。あのリュウ・フジカズを、お前は異常とか、思わない訳?」
「おいおい、よせって。こいつ、アレだぜ?」
にやりと笑う上級生の口から、
「学園の」
ロードにとっての禁句が出た。
「ストレンジ・ブラック」
「……っ!!」
握りこぶしが、ぎり、と大きな音を立てたようにロードには感じられた。歯を食いしばり、身体の奥底から沸騰しそうになっている怒りを、必死の思いで抑える。もし、この拳を相手に向けてしまえば。それは、結果的にリュウに、そして自分が守りたいと思っているビィに、迷惑がかかることはロードも十分に理解していた。
「あれ? これ言ったらキレるって聞いたんだけど?」
「……別に、それを言われて怒るつもりはありません……」
ロードは怒りで大きくなりそうな声を、抑えながら、上級生たちに言った。
「でも、リュウさんの事や、ビィさんの事を、バカにするような発言は、許せません」
「はあ?」
「リュウさんは、俺の、尊敬する人なんです! だから、そんな風に言われたくありません! リュウさんは、すごい人なんです!!」
「じゃあ、あのドールは?」
ぎろり、とロードを鋭く睨みながら上級生が尋ねる。
「ビィ、さんは」
ロードは中庭のビィを横目で見ながら、言葉を続けた。
「俺の、大切な人です」
「……は」
睨んでいた上級生の口から小さな声が漏れる。それと同時に、彼の後ろにいた二人が笑い声をあげた。
「っははははは! 何だこいつ、ドールの事、人って言いやがった!!」
「マジかよこいつ!!」
「何か問題があるんですか!」
二人の笑い声を裂くように、ロードが怒鳴る。
「お前、人間とドールの区別ぐらいつかねえのかよ」
「ビィさんはただのドールじゃないです! リュウさんのバディです!」
「うぜぇんだよ!!」
声と同時に、ロードは腹部に強い衝撃を感じた。先ほどまでロードを睨んでいた上級生が、ロードの腹を、強く蹴った。突然のことに、ロードは受け身も取れず、そのまま尻餅をついて倒れこんだ。
「ドールはただの道具だ! ロッドと同じ! んなこともわかんねぇのかよ、お前!」
「違う!」
ロードは立ち上がり、上級生に反論する。
「ビィさんは道具なんかじゃない!! ビィさんは、俺の大切な人だ!!」
「バカには力で教えねえとわかんねぇみたいだな……」
上級生は首にかけていたネックレスを外した。それを見ていた他の二人がはっと目を開いて、止めようとする。
「おい、お前、そこまでしなくても」
「うっせぇ!! 魔術展開!!!」
止めた二人を振り払い、上級生は怒りを露わにしてロードを睨む。手に握られたロッドは、槍の形となっている。
「何を……」
「言っただろ、力で教えてやるって!!」
上級生は叫びながら、ロッドを振る。ロードはその軌道から逃れようと後ろに避けたが、ひゅん、という風を切る音はすぐ目の前から聞こえてきた。頬に、薄い切り傷が生じた。
「もう一発……」
「拘束魔術発動」
そこに響いたのは第三者の、少女の声。それと同時に、槍を持っていた上級生の足元に黒い魔法陣が展開され、魔法陣から現れた黒い鎖によって上級生の動きは封じられた。
「な……何が」
その状況に混乱する他の二人の上級生とは対照的に、ロードはすぐに別の方向を見ていた。
「ビィさん」
中庭には、ロードたちの方に向かって右手を向けているビィの姿があった。右手には黒い魔法陣が展開されており、そこから上級生を縛る魔術を展開したのがビィであることが解った。
「お前!! 何すんだよ!!」
そしてロードと同じように状況を理解した上級生が、ビィに向かって怒鳴り声を上げる。ビィはいつもと同じ無表情のまま、ロードたちの方に歩き始めた。
「学校内での魔術使用は指定されたエリアで、尚且つ、指定された時間にのみ許可されています。この場所での魔術使用は現在許可されていません」
「五月蝿い!! お前こそ、魔術使ってるじゃねえか!!」
ビィの淡々とした言葉に対し、上級生は苛立ちを露わにする。鎖から逃れようと身体を必死に動かしているが、鎖は解ける様子を一切見せない。そしてビィは上級生とロードの間に立ち、紅い瞳を上級生に向けた。
「これは防衛行為です」
「防衛……?」
「魔術を展開していないロードさんに対する一方的な攻撃からの防衛行為です」
ビィの言葉に、ロードははっと目を開いた。
「ビィさん、俺を守るため……」
「ビィ!!」
その時、あたりに大声が響いた。声の方を向くと、そこには焦りの表情を全面に出したリュウとミリーネ、もう一人女性教官がいた。
「リュウさ」
「マスター」
「ったく……ビィ、彼を解放しろ」
「了解しました。束縛魔術、解除」
ビィが唱えると、鎖から解放された上級生は力が抜けたようにどさり、とその場にしゃがみ込んだ。慌てて、他の二人が駆け寄る。
「だ、大丈夫か?!」
「……っ」
「アステル、ロードの方お願い」
「解りました」
ミリーネは同行していた女性教官――アステルに指示を出し、上級生たちのもとに向かった。リュウはビィのそばに寄り、そしてアステルがロードのもとにやってきた。
「ビィさ」
「大丈夫? ちょっと救護室、行こうか」
アステルがロードの肩にそっと手を乗る。ビィはリュウと共に何処かへ行こうとしていた。視線は、ロードには向けられない。
「……はい、先生」
視線を少しだけ落として、ロードはアステルに誘導されるまま救護室へ向かった。