直後、レーヴェは三人を自分の背後に無理やり押し倒し、弓を構えた。しかし、魔獣は既にレーヴェの視界から消えていた。
「なっ?!」
視線を上に向けると、魔獣が自分に向かって飛び降りて来ていた。落ちるスピードは早く、矢を放つ時間はない。
「レーヴェさん!!」
誰かの悲鳴が、レーヴェの耳に届いた直後。
「魔術展開」
誰かの声、白い光、魔獣の悲鳴。レーヴェに認識できたのは、その三つだった。
視界を埋めた白い光が消えるとそこに魔獣の姿はなかった。代わりにあったのは、地面に輝く黄色い魔鉱石だけ。
「……今の、は」
「ったく、わざわざ司令官サマを前線に出させるなよ、お前ら」
そんな愚痴を、わかりやすいほど気だるそうに言ったのは、レーヴェがこの二日間で一番よく聞いた声だった。
「デュオ」
声のしたほうを向くと、そこにはやはり声と同じような気だるい顔をした、デュオの姿があった。その左手には弓のような形をしたロッドが握られている。その後ろにはミリーネとセイレンもいた。
「デュオ司令か」
「あんたたちは何をやってんのよ!!」
呆然とした表情でロードが声を上げた瞬間、ミリーネの怒声がデュオの背後から放たれた。あまりに声の大きさに、言われた学生たちだけでなく、正面から怒声を受けたレーヴェも、隣に立っていたデュオも小さく肩を震わせる。
「勝手な行動、しかも、魔獣多発スポットって知っているのにこんなところに来て!! その上、重要参考人を勝手に連れまわして!!」
「あ、いや、ここに行くって言い出したのは俺……」
「わかってるわよ!!」
今度ははっきりと、レーヴェに向かってミリーネの怒声が飛んだ。あまりの迫力に、レーヴェは学生たちを庇おうと思った言葉を喉に詰まらせる。何も言えなくなったレーヴェに一度睨みを向けた後、再び視線を学生たちに向けた。
「あんたたち、今から何をすべきかわかってるんでしょうね?」
「あっ、えと……」
「即刻帰還!! 並びに、明日までに今回の勝手な行動を取ったことについての報告書とレポート提出!! いい?!」
「はっ、はい!!」
「じゃあ帰る!!」
ミリーネが怒鳴り声を上げて来た道を指差すと、三人は慌しくばたばたと走っていった。その様子を呆然と見るレーヴェに対し、デュオとセイレンはどこか楽しそうに見ている。
「ミリーネも立派に先生やっちゃってるなー」
「何か楽しそうでいいわね。私もやろうかしら、教官」
「……なんて言うか、セイレンさんの授業だけは避けたい」
二人ののんきな言葉を、ミリーネはため息混じりに返した。怒鳴りつかれたのか額に軽く手を当てて、また大きなため息を吐き出している。ミリーネの肩を軽く叩いたデュオは、レーヴェの元に向かって歩いた。
「さっさと帰りたい気持ちはわからないでもないけど、ちょっとお前だけじゃ無理があるな。まあ、魔獣倒したのは上等だけど」
レーヴェの隣に立ったデュオが、にやりと笑いながらレーヴェの頭をぽんぽんと叩いた。その途端、レーヴェの顔が赤く染まる。
「なっ……! お前、子ども扱いすんじゃねえよ?!」
「俺からみたら、お前はまだまだお子様だっつーの」
ははは、と笑いながら先に行くデュオに何か言おうと思ったが、何も思い浮かばないレーヴェはただ口をぱくつかせるしか出来なかった。そんな二人のやりとりを、ミリーネとセイレンは呆れたように、笑いながら見ている。
「デュオ、完全に遊んでる……」
「いいじゃない。なんか兄弟みたいで、見てて面白いわよ?」
「そう見えるのはセイレンさんだけですから……ほら、行くわよ」
レーヴェの隣を通り過ぎようとしたミリーネが、レーヴェに声をかける。
「行く、って?」
「……ここまで来て聞くか」
「元の世界に帰りたかったんじゃないの? 今から、魔法陣の所に行くわよ」
セイレンの言葉を一瞬理解できず、レーヴェはぱちぱちと瞬きをして先に行く二人の背中を見つめた。それから数秒後、ようやく言葉の意味を理解したレーヴェは「はあ?!」と大きな声をあげ、三人のあとを走って追いかけたのだった。
「しかし、何度見ても訳わかんねえな、これ」
それから十数分後。四人は、レーヴェが現れた魔法陣――正確には転移法陣の元にやってきていた。
「……本当に俺は元の世界に帰れるのか?」
レーヴェは転移法陣のそばでしゃがみこんで何かをしているミリーネとセイレン、その二人の様子を立って見ているデュオの三人に質問をした。別の世界から来たのかもしれない、と言われた時からずっと抱いていた不安を初めて出したせいか、どこか弱々しい声色になっている。
「正直、わからないわ。ただ、あなたが元の世界に帰れないって事は、リュウとビィも帰ってこれない事に繋がるのよ。それは、互いに困ることでしょう?」
視線を転移法陣からレーヴェに移したセイレンが、優しい口調ながらにはっきりと言う。元の世界に戻れない――自分の目的が、果たせなくなる。レーヴェは、セイレンの言葉に頷いた。その直後、レーヴェの頭に何かが乗った。
「なら、うちの技術力を信じろ。ここには魔導管理局の開発部長様とうちの主通信士が居るんだからな」
「……お前、それするのやめろよ。バカにされてる感じがするから」
再び、デュオがレーヴェの頭に手を乗せていた。レーヴェは不機嫌そうに表情を曇らせているが、デュオのほうはにやにやと笑っている。
「そういうことだから、俺たちは俺たちの仕事をするぞ」
「俺たちの……?」
「ここ、魔獣が多いんだよね」
笑いながら言うデュオに、レーヴェは「え」と引きつった声を上げた。そして、慌てて弓と矢を構える。それを見て、デュオも同じように弓形ロッドを構え、レーヴェと背中あわせになるように立った。
「まあ、さっきの状況見てたらお前、そこそこ戦えるみたいだから頼りにしてるぜ」
「……って、見てたんだったら先に援護しろよ!」
「えー。俺、頭脳派だからそんな戦えないもーん」
ふざけた口調で言うデュオ。レーヴェの中で、また苛立ちが蓄積される。その直後レーヴェの目の前の茂みから、魔獣が現れ、レーヴェに向かって飛び掛ってきた。
「そんなわけ、あるかーッ!!」
レーヴェの怒鳴り声と、炎の呪術を宿した矢が魔獣に向かって飛ぶ。真正面から矢を受けた魔獣は悲鳴を上げ、地面に倒れた。直後、矢から炎が上がった。それを確認したレーヴェは後ろを向き、デュオに向かって怒鳴る。
「ふざけんじゃねえぞ!! お前、さっき普通に戦えたじゃねえか!」
「あっれー、そうだっけー?」
とぼけるデュオにレーヴェは強く握り締めた拳を飛ばしそうになった。が、
「はい、下向く!」
デュオがそう言うと、レーヴェの頭を無理やり下げるように押さえつけた。
「魔術展開」
レーヴェの頭の上でデュオが唱える。その直後、白い光がレーヴェの視界の端に現れ、そしてまた魔獣の悲鳴が響いた。
「はーい、頭上げていいぞー」
「……お前」
頭を上げると、デュオが弓形ロッドを下ろしてへらりと笑っていた。
「ほら、せっかく二人いるなら分担したほうがいいだろ? 周囲に注意向けられるし、俺が楽になるし」
「お前の本音は後者だな」
この二日間で、デュオの性格が何となくわかったレーヴェは呆れながら言う。図星を当てられても、デュオは笑っているままだった。
「さーて、次も来るぞー。レーヴェ、頑張れよー」
「って、お前もやれよ!!」
一方は笑いながら、一方は怒鳴り声を上げながら、それでも互いに背中を合わせて弓を構えた。
「はい、お疲れ様」
それから数十分後。近くに居た魔獣を全て倒し終えたデュオとレーヴェにセイレンが労いの声をかけた。それを受け、転移法陣から離れた位置に居た二人は作業をしているセイレンとミリーネのそばに寄った。
「セイレンさん。状況は?」
「あとは、あっちに通信が届くかどうか、って言うところね。ミリーネ」
「了解」
大きく息を吐き出し、ミリーネは服のポケットから指輪を取り出した。輝く緑色の石がついた指輪を、両手の人差し指、中指、薬指につける。それから、両手を転移法陣の手前について、目を閉じた。
「魔術展開」
ミリーネが唱えた瞬間、転移法陣の線に緑色の光が灯った。何が起きたかわからないレーヴェは、その光景を大きく目を開いて見ていた。
「……な、何だ」
「さて、そろそろか」
レーヴェの隣のデュオが呟くと、法陣の真上に薄い緑の四角い光が現れた。それを見て、デュオはその光の前に立った。レーヴェも、デュオの背後に立つ。すると、途切れ途切れに誰かの声が聞こえてきた。
[――あり……!]
[……スター、……魔獣……――しま……]
四角い光の中に、少しずつ映像が映し出されていく。映し出されているのは、レーヴェにとって見覚えのある林の中と人影。
「あそこに居るのは……」
レーヴェが呟いた直後、ざっという大きな音がして映像がクリアに映し出された。それと同時に声もはっきりと聞こえるようになる。
[お疲れ。大丈夫だったか?]
[はい、問題ありません。マスターの外傷、魔力波動の乱れ、認められませんが問題はありませんでしたか?]
そこに映し出されたのは、黒い髪の青年と黒く長い髪をツインテールにしている少女。それを見て、デュオは確信を持った。
[ああ、大丈夫だ]
「そりゃよかった。うちのエース様が無事で」
光の向こう側に居る青年の言葉に続けてデュオが言った途端、青年が驚いた様子でデュオたちの方を見た。
[その声……デュオ?!]
わかりやすいほどの驚きの顔を浮かべる青年――リュウにデュオはふっと表情を緩めて微笑んだ。
[な……なんで通信が使えるんだ?!]
「決まってるだろ。俺のミリーネが頑張ってくれてるおかげだ」
デュオが自信満々に言うと、その足元で魔術を発動させているミリーネの眉間に皺が寄った。
「デュオ、あんた給料上げてもらうからね」
その発言に、デュオは「やらかしたか……」と思いながら苦い表情を浮かべる。ミリーネのそばに居るセイレンが、笑いを堪えるように肩を震わせていた。状況がわからないレーヴェはただ呆然と、目の前にある四角い光を見つめるしか出来なかった。光の中に、どこかで見かけた姿があるような気がしていた。
[デュオ、その後ろにいるのは誰だ?]
その時、レーヴェの存在に気付いたリュウが不思議そうにデュオに尋ねた。デュオは後ろのレーヴェをちら、と見てそういえば、と思い出したようにリュウに説明をした。
「ああ、そうだ。こいつ、どうやらお前が今いる世界から来たらしくて……」
[……レーヴェさん?]
声を上げたのは、リュウの背後にいた金髪の少女だった。その少女の姿を認めた瞬間、レーヴェの目ははっと大きく開かれ、「やっぱり!」という大きな声を上げた。
「やっぱりシュネイか! ってことは、そこにいるのは、ヴァイか!」
[……]
嬉々として声を上げるレーヴェに対し、光の向こうで名前を呼ばれた銀髪の青年――ヴァイは視線をそらしていた。どうやら知り合いらしい、と判断したデュオは親指でレーヴェを指しながら光の向こうにいるヴァイに向かって言った。
「何だ、知り合いか。ならちょうどいい。こいつと引き換えに、うちのエースを寄越せ」
[……お前、それ、完全に悪人の台詞だからな]
呆れきったリュウの言葉が、デュオに届く。デュオ本人はそんなつもりはさらさらなかったらしく、リュウの言葉に不思議そうに首をかしげていた。そんな中、ヴァイが小さく息を吐いてようやく視線を光のほうに向けた。
[寄越すとしても、どうするつもりだ。こいつらはどうやって来たかわかっていない状態だ]
「ん? ああ、そこは大丈夫だ。何とかこの魔法陣を転送魔術風にアレンジしたところだからな。っつーことで、リュウ、ビィ、さっさと帰って来い。そしてリュウは俺に飯を作れ」
[わかった。お前をぶん殴るために帰ってやるよ]
光の向こう側で満面の笑みを浮かべるリュウを見て、デュオも笑顔を返す。それからミリーネが地面から手を離すと、転移法陣の光がふっと消えた。ミリーネはゆっくりと立ち上がり、デュオをぎろ、と睨んだ。
「……まるで全部自分がしたように言ったわね、あんた」
「え?」
何のことか、と言いかけたデュオだったが、ミリーネの言いたいことはすぐに理解できた。先ほどヴァイに説明した内容のこと。
「確かに、ミリーネも私も頑張ったって言うのに、そういう言い方はないんじゃないかしら?」
ミリーネの怒りに便乗したのは、セイレン。くすくすと笑いながら言っているので本気ではないらしいが、隣のミリーネは本気らしい。ぎゅっと拳を握っているのが、デュオの目に映った。
「え、ちょ、ミリーネ? 俺、そんなつもりは……」
「うるっ、さい!」
ミリーネの拳が、デュオの鳩尾に綺麗な直線を描いて入る。「おふっ」という言葉にならない声を上げたあと、デュオは腹を抱えてその場にうずくまった。どこからツッコミを入れればいいかわからないレーヴェは引きつった表情でうずくまっているデュオの姿を見るしか出来なかった。そんな間にも、ミリーネは再び転移法陣に触れて魔術を展開させていた。
「ついでにデュオもあっちに送ってやろうかしら」
「まあまあ。一応これでも司令官らしいから、送らないほうがいいんじゃない? それに、報告とかも大変になるでしょ?」
「あー、それもそうね。ほら、こっち来なさい」
ミリーネに言われ、レーヴェは「あ、ああ……」とぎこちない返事をしながら緑に光る転移法陣の中心に立った。
「うちの司令官が迷惑かけたわね。まあ、許してやって」
ふっと微笑みながらいうミリーネにレーヴェは驚きの表情を浮かべた。てっきりデュオのことを嫌っているんじゃないか、と思っていたレーヴェにとって、そのミリーネの言葉は予想外だった。
「また機会があったら、いろいろ検査させてね」
くす、と笑いながらセイレンはレーヴェの肩を叩く。
「絶対に断る!!」
「あらー、ふられちゃった」
「セイレンさん、そのままそこに立ってると一緒にどっか行っちゃいますよ」
おどけたように言うセイレンに、ミリーネはやはり呆れ混じりに言う。セイレンは転移法陣の上でうずくまってるデュオを連れて、レーヴェから離れた。
「レーヴェ」
その時、デュオがレーヴェの名を呼んだ。セイレンに抱えられているデュオは腹を押さえながら、それでもにやりと笑って言った。
「また来いよ。お前、面白いから気に入ったぜ」
「……また、か」
その言葉を受けてレーヴェは足元の転移法陣を見る。これがあれば、また来れるのだろうか。そう思いながら、レーヴェはこの二日間のことも思い出して、そして、笑った。
「誰が行くか」
レーヴェが答えると、転移法陣が強い光を放った。あまりの強さに、レーヴェは腕で目を隠した。それから身体が傾くような感覚が生じて、そして強い風が吹いた。
「……ここ、は」
風と光が収まったのに気付いたレーヴェは、腕を下ろす。レーヴェが立っているそこは、ハーフェンの林の中。目の前で、驚いたような顔をしているシュネイと、相変わらずの冷たい視線のヴァイの姿があった。
「……行くぞ、シュネイ」
ヴァイはレーヴェとレーヴェの足元を視線だけで確認した後、すぐにレーヴェに背中を向けた。そんなヴァイの反応に、シュネイが混乱したようにレーヴェとヴァイの姿をきょろきょろと見ている。が、そんな間にもヴァイはさっさと歩いている。
「え? あっ、えと……あっ! 師匠、待ってください!」
シュネイは慌てて、先に行くヴァイの背中を追いかけていた。そこでようやく、レーヴェは自分が放置されていることに気付いた。
「って、おい!」
ヴァイに向かっての怒鳴り声は、林の中に強く響いたのだった。
***
「あーあ、あいつがいたら俺の仕事が半減したのになあ……」
「俺もあっちにいれば仕事がなくて楽な生活だったのになー」
「……あんたらうるさいからまとめて送ってやろうか?」
「なあ、フュンフ……。今まで、ガキ扱いして悪かったな」
「な、何? 急にそんな謝るって……気味悪いな……?!」
「いや、子ども扱いって何か無性に腹立つって事を知ったから……」
「……何? 嵐か何か来るんじゃないのか……?」