Story nine 消える『月色』
「なので、ここの形容詞はこの名詞に係ります。それでは、本文に入りましょう。」
英語教師の早口が教室に響く。この早口を、数学教師が以前『新幹線』と比喩していたが、全くそのとおりだと思った。それから「Repeat after me.」と綺麗な英語を早口に言った。
英語の教科書に書かれている文章を、やる気なさげなお経のように一同が読む。視線をそらすと、中田は机に突っ伏して寝ているし、水市は頬杖ついてどうでもよさそうに教科書を見つめている。口は、動いていない。小野も中田と同様、睡眠をとっている。
こんなクラスだが、何人か声を出す人間が居るおかげで英語教師の機嫌をとる事ができた。なんて素晴らしいクラスだ。
「はい、よく声を出しました。それでは訳に入ります。まず一行目を・・・広塚君?」
あ、やっぱり当たった。そう思いながら返事をして、ノートに視線を移す。備えあれば憂いなし。
「『何故あなたは、そんな事をしたのですか?』と母は私に尋ねました。」
「はい、そうですね。で、ここは・・・」
英語教師が黒板にがりがりと文字を書く。その間、俺は視線をそらした。
隣にずっといる、白いフードの人物。銀色の瞳はじっと黒板を見つめているが、授業を受けているわけではなさそうだ。いや、受けるはずない。
「・・・」
しかし、珍しいことだ。アーディスがずっと学校にいるなんて。普段のコイツは、俺たちが学校に居る時姿を消しているのだが、何故か今日は一日中姿を出している。俺に声をかけるわけでもなく、動くこともせず、じっと俺の隣にいる。
「・・・」
何でお前居るんだよ、そう思ったときちょうどチャイムが鳴り響いた。
「それでは授業を終わります。号令を」
「起立」
望田の大きな声が、クラスを覚醒させた。椅子を引く耳障りな音とそれにかき消されない「礼!」という望田の号令が響く。
「ありがとうございましたー」
「だーから、絶対あの主人公とくっついた方がいいんだよ!」
休み時間に入ると、そんな声が耳に入った。声の主はクラス委員、望田。話の相手は上里のようだ。
「もちさぁ・・・あれ、まだ一巻しか読んでないじゃん・・・」
「いやいやいや!あれはもう一巻から始まってるって!ちょっとあの遠くなったり近くなったりがまたロマン!」
そう言って望田は上里の顔の前で親指を立てる。昨日の中途半端にぎこちない言葉が嘘のようだ。
「お前なぁ・・・っていうかあれ、浩二の三巻持って来た?」
上里が言うと、望田はにこにこ笑って「はいこれー」と何処からともなく本を出した。
「もうねー、こうちゃんとゆいちゃんの距離が縮まって死ぬかと思ったわぁ」
何でお前が死ぬんだよ、と上里が的確なツッコミを入れる。望田の大声はクラス中に響く。そのおかげで望田はクラスで「オタク」や「マニア」とか言われている。が、本人はあんまり否定しない。
「・・・はぁ」
そんな大声のおかげで、突っ伏していた俺も目が覚めてしまった。残り時間はぐっすり寝よう、と思ったときにチャイムが鳴った。
「・・・アーディスさん?」
全ての授業が終わって教室に誰も居なくなったのを確認して、俺はアーディスに声をかけた。
「何でずっといたんだ?いや、別に見えるやつが中田たちぐらいしかいないからいいけどさ。」
「・・・」
アーディスは何も答えない。ただ、感情を映さない瞳で俺を見つめている。
「本当に、どうしたんだ?昨日から、なんか変だぞ?」
「・・・いや、」
小さく首を振って、アーディスは姿を消した。
「・・・何なんだ、あいつ・・・」
「広塚ー?」
はっとなって声のした教室のドアを見ると、中田と水市がいた。よかった、他の奴じゃなくて・・・
「びっくりした・・・何だよ?」
「いや、ちょっと訊こうと思ってな」
水市がそう言って俺の隣の席に座る。中田はそのひとつ前の席に座った。訊きたいこと、というのは
「アーディスのこと?」
俺が言うと、二人は頷いた。そして今日一日中アーディスがいた場所・・・教室窓際一番後ろ、つまり俺の席の後ろを見る。
「何でずっといたんだ?普段顔出さないくせに。」
「さあな。」
それがわかればこっちも苦労しない。中田は腕を組んで「うーん・・・」と唸っている。
「でもさ、何でアーディスって広塚のそばにいるんだ?」
突然、水市が言った。その言葉に中田も俺も間抜けな声を上げた。
「別に俺でも中田でもいいのに、広塚だろ?何でだ?」
「そりゃ・・・広塚の家のほうが甘いものあるから、とか?」
「いやいやいやいや、それだけかよ。」
確かに言われてみれば、アーディスは俺の家にいる。もちろん、ずっと姿を出している訳ではないが、水市や中田の前にいるよりも俺のそばにいるほうが多い。
ふと、俺は以前言われたアーディスの言葉を思い出した。
「・・・前に、言われたんだけど俺たちは『餌』になるって」
「・・・は?」
中田が何度か瞬きをした。きっと理解できてないのだろう。一方水市は「なるほど・・・」と呟いた。
「だったら、一番狙われやすいのってお前ってことじゃないか?」
「マジかよ・・・」
それだったら最悪だな、と思う。だから、アーディスは俺のそばにいるのか・・・理解は出来る。けれど、
「なあ、アーディスって結局何者なんだよ?」
「へ?」
今度は中田の問いに水市が声を上げた。それはいつも思っているけれど、誰にもわからない。本人が語ろうとしないから・・・
「一番狙われやすいのが広塚ってことは、狙いやすいのはアーディスって事だろ?」
「まあ、そうなるけど・・・」
「アーディスは確実に俺たちとは違う。どっちかって言うとPoP寄りじゃん」
中田が言い切った。
「PoP寄りのアーディスが広塚のそばにいるってことはさ・・・」
「・・・」
「・・・」
それは、事実であってほしくない仮定。誰も声を出せなくなった。
「なんて、な」
言った本人が、へらりと笑った。けれどその笑顔には少し苦しげなものがある。
「いろいろあっただろ?だから、つい・・・な?」
「そうだよな。あいつ来てからいろいろあったよな・・・」
水市も中田の言葉をフォローするように言った。
「確かにそうだよなぁ、マジでいろいろありすぎだろ」
俺が言うと、二人の表情が緩くなった。いろいろありすぎた、ただそれだけなんだ。
今日は部活が無かったおかげで、家に早く帰ることができた。
「・・・」
部屋に入って周りを見る。高い確率でいるはずの、あいつがいない。
「アーディス、いるんだろ?」
俺が呼ぶと、隣に銀と白が見えた。俺の求めていた姿だ。
「何だ」
感情を見せない声、感情が見えない顔。アーディスはゆっくりと俺の方を向く。
「お前は、一体何者なんだ?」
「・・・どういう意味だ。」
アーディスの声だけで、最近感情が読めるようになった気がする。この声は苛立ちを表している。
「そのままの意味だよ。」
「私はPoPを送るモノ。それだけだ」
「俺たちとは、違うんだよな・・・?」
確認するように、俺は尋ねた。アーディスの表情は変わらない。怒りを表しているのか、悲しみを表しているのか、俺にはわからない。
「そうだ、私はお前たちと・・・お前と違う。」
「でも、PoPでもないんだろ?」
「ああ」
銀色の瞳は、俺を映している。俺は一体、アーディスにどう映っているんだろう。
「じゃあ、何でお前は・・・俺のそばにいるんだ?」
「・・・何?」
僅かにアーディスの眉が動いた。アーディスがじっと俺を見つめる・・・いや、睨んでいるのかもしれない。
「前に、お前言っただろ・・・俺にはPoPが欲しがるような力がある、俺は『餌』だって」
「ああ。」
「お前は、俺たちには、普通見えない。まるでPoPみたいな、」
「何が言いたい」
何も感情のない声が俺の頭の中に響いた。体がびくりと震える。
言いたくない言葉。知りたいのに、知りたくないと頭が叫んでいる。けれど、口は動いていた。
「お前は、俺の力を欲しがっているんじゃないのか?」
時間が止まって、空気が固まったような気がした。
「・・・」
「・・・」
「・・・私は、」
アーディスの瞳が動いた。僅かに下を向いて、俺と目を合わせないようにしている。
「私は、お前たちと違う。PoPでもない。確かに、お前たちの・・・PeaPの目には映らない。」
普段と同じはずの声なのに、何かが違って聞こえる。
「だから、お前のような力を持つPeaPはPoPに狙われる。」
「ああ・・・」
「私は、PoPを送るために、お前たちのそばにいた。」
初めて、アーディスがこんなに喋るのを聞いた。淡々とした言葉がずっと続く。
「お前たちに会ってから、PoPは多く現れた。きっとお前の力を狙ったのだろう。」
「・・・」
「だから、」
アーディスは自分の右手を見た。輝くように白いその手でPoPを送っている。
「私も力を使うことになった。」
「うん、それはわかる・・・」
「私にも力が必要になった」
アーディスは深く目を閉じて、開いていた右手を静かに握った。
「結果的に、私もお前の力を求めることになった」
「そんなんじゃ・・・」
「ただ、私は・・・」
ゆっくりとアーディスが目を開いた。銀色の輝きが、揺れた。
「力を求める為にお前のそばにいたわけではない。」
そして、アーディスは握っていた右手を開く。その右手が、半透明に見える。
「・・・え?」
「私の力が弱まった、それだけだ。」
「それだけって?!どういう事だよ!」
「お前の力を頼りたくは無かった。お前を苦しめてしまうから」
「何言ってんだよ・・・」
アーディスの言葉の意味が理解できない。気付けば、アーディスの全身が半透明になっている。後ろの景色とアーディスが同化してゆく。
「なんだよ、それ・・・何だよ!?」
「姿を現す力も、残っていないようだ」
銀色が、消えてゆく。
「すまない」
その言葉が終わった瞬間、
アーディスは消えた。
「・・・アーディス・・・?」
俺の言葉だけが、部屋に響いた。
作品に集中していたら、いつの間にかみんな帰っていて、結局あたし一人で帰ることになった。寂しい。
「今日テニス部無いって聞いてないよ・・・」
ため息の1つや2つも出てしまう。結局今日は話せなかったし・・・と思うとちょっと悲しくなってしまった。
「はぁあ・・・瑞菜も教えてくれればよかったのに・・・」
ちなみにテニス部が無いのを知ったのは他の部活の友人から話を聞いたからだ。全く、瑞菜のばかやろー。
そういえば、昨日の帰り道もこのぐらいの暗さだっただろうか。
「広塚、よく気付いたなぁ・・・」
あたしのスクールバッグについている、金色のネックレス。この暗さではほとんど見えなくなるのに、広塚は『光って見えた』と言ったのだ。
「意外とロマンチストなのかな、広塚って」
いやいや、それはないだろう。うん、ない。だって『札幌雪景色殺人事件』だぞ?・・・いや、あったら面白いけど。
「・・・はあ。できれば今日も帰りたかったなぁ」
そう思いながら歩いた時、突風が吹いた。
「きゃあ?!」
まるで誰かにぶつかったような衝撃。
「びっくりした・・・?」
視界の横を、見慣れた金色が過ぎていった。まるで、流星のように。
「うそ、」
風に流されたように、ネックレスは飛んでいった。うそでしょ?
「待って!!!」
手を伸ばして、走る。あと少し速く、あと少し!あと少しで届く!!
「届く・・・!」
その瞬間、まるで弾けるように、消えた。
「きえ・・・」
手の先には何もない。ただ、あたしは手を伸ばして立ち止まっている。
「うそ、でしょ」
金色の輝きは、お母さんの思い出が、
「消えた・・・?!」