Story four 過去の未来と、今現在
晴時さま、晴時さま・・・
いつか、そんな風に呼ばれた。その懐かしい声が、俺の耳に届く。
何で、もう違うのですか・・・
悲しげな声がした方へ、顔を向ける。苦しげな表情をした彼女がいた。いつものあの穏やかな表情は何処へ行ったのだろう。
私は、貴方が好きなのに・・・
そして、彼女の目からぼろぼろと涙が溢れ始めた。そんなに、泣くな。俺とお前は関係ないだろう。
だから・・・さようなら。
そう言って、彼女は後ろを向いて歩き始める。俺もまた、彼女に背を向ける方に歩く。
ごめん・・・
小さくそう、呟いて。
「・・・夢。」
目を開くと、天井が広がっていた。どうやら、今まで見ていたものは夢らしい。
「晴時、朝よ。」
こんこん、とドアがノックされる音と母親の声がした。
「わかってる。」
俺は起き上がる。目の筋に、何か冷たいものを感じた。
「晴時、顔色変だぞ。」
学校に来て最初に言われたのが、その小野の言葉だった。
「変?」
「変。なんか、無意味に暗いって言うか、やつれてる?」
「・・・かもな。」
「でも、重傷はアイツだよ。」
小野は、すっと視線を変えた。その視線の先には、広塚がいる。朝だというのにぐったりと机にうつぶせている。
「来た時の顔はお前よりも暗かったぞ。どうしたんだ?」
「・・・」
どうしたのだろう、と一瞬考えたが思い出した。
「つかれやすいんだよ、あいつ。」
そう言って、俺は席につく。それに小野がついてくる。
「疲れやすい?何やったんだ?」
「とりあえず、つかれやすいんだよ。」
疲れやすいんではない、『憑かれやすい』。俺の言葉を理解できない小野は、困ったような表情をした。そして「ああ」と声をあげる。
「そういえば、今日から転入生が来るらしいぞ。」
「転入生?」
「マジでか!小野!」
その時、小野の後ろから中田がやってきた。やってきた、というよりは小野の背中にのしかかっている。
「おはよう、中田。」
「おーっす晴時!で、どんな転入生なんだ、小野!?」
「それは俺よりもー、あっちあっち。」
潰されかけている小野は、苦しそうな声で言いながら指をさした。
「望田?もっちーもっちー、教えてー」
「もっちー言うな!!」
中田が小野から降りて、望田の方へ走り出した。なるほど、クラス委員の望田なら転入生のことなどわかるだろう。
「で、何を教えろって?」
「だーかーら!転入生さん!いるんだろ?!」
「さあ。」
しかし望田はきょとんとした表情で中田の質問に答えた。
「そんな話、あたしが聞くはずないじゃん。」
「何で!?」
「たかだかクラス委員に話が回るわけ無いでしょうが!」
望田の意見は当たり前だった。クラス委員よりも担任に聞いた方が早い。そう思ったとき、がらがらと扉が開いた。
「はーい、席ついてー。」
担任が、入ってきたのに気付いた生徒がばたばたと席につく。
「で、いいお知らせね。」
にっこりと笑った担任が、そう言った。この場合、高い確率で何故か抜き打ちテストだとかノート点検だとかがあるのだがそうではなさそうだ。
「転入生が来ました。じゃ、入って。」
「はい。」
扉の向こうから高い声が聞こえた。どうやら女のようだ。何人かがため息をつく。
そして扉から一人の女子が入る。制服は何処のものだろうか。どこかで見た覚えがある。その女子の横顔を見た男子何人からか「おぉ」という声があがった。
教卓の前に立ち、顔をこちらに向ける。どこかで、見た覚えがある・・・
「それじゃあ、自己紹介して。」
「はい。」
フッと、穏やかな笑みを浮べる。この表情は・・・・・・
「始めまして、幸橋泉です。宜しくお願い致します。」
その笑顔と同じくらい穏やかな声で言った。
「・・・いず、み・・・」
「え・・・あ・・・」
そして、幸橋泉ははっと俺のほうを見た。驚いたようにぱちぱちと瞬きをする。
「晴時さま・・・!」
ぱあっと表情を明るくした泉が俺の名を呼んだ。
「晴時さま!!お会いしたかったです!」
そう言って、俺のほうへ走り出す。担任が「あっ」と声をあげて止めようとしたが、もう泉は止まらなかった。
「いっ・・・?!」
そのまま泉は俺に抱きついた。その瞬間、クラス中から声があがる。
「婚約者の晴時さまとこんな形でお会いできるなんて・・・!感激ですわ!!」
婚約者、その単語はクラス中を悲鳴と絶叫で埋め尽くすには十分な効力を持っていた。
水市の婚約者を名乗るその女子は半ば強引に教室を退場した。うつ伏せた水市に近付こうとするものはいない。
「そりゃそうだろ・・・アレに近付こうとする奴がいるか。」
中田が哀れみの表情でうつ伏せている水市を見て呟いた。
「でも婚約者ねぇ・・・まぁ水市病院の1人息子だからそういうのも居るか・・・な。」
「病院の息子だから婚約者が居るってそういう考えは古いと思うぞー」
小野の言葉に俺がそう言うと、「そうかぁ?」と言った。普通そんな婚約者とかはドラマか漫画の世界の話だけと思うだろう。
「実際居るから古くは無いんじゃないか?お見合いだって今のご時世でもやってるわけだし。」
「まー・・・そうだけどなー」
心配そうに、中田が水市を見る。確かに、ずっとうつ伏せているから心配もしてしまう。
その日、あの転入生が再び教室に現れることは無かった。そして、その日・・・授業を含めて水市はずっとうつぶせていた。放課後、水市は職員室に呼ばれた。
「やっぱりな。」
呆れたように中田がため息混じりに言った。確かに、普段わりと真面目な水市がずっとうつ伏せていたなら心配もするし、指導もするだろう。
俺と中田は職員室に行く際に忘れた荷物を持って、職員室の前で待っていた。
「しかし荷物を忘れるとはな・・・これ、部活参加できると思うか?」
俺は水市の荷物を見ながら中田に尋ねる。中田はやはり首を小さく振った。
「そりゃ、無理だろ。あの状況から部活に参加させる奴はいないだろ。」
「じゃあ、部活参加するなって呼ばれたのか?」
ちらりと職員室を見る。今ごろ、中で水市は何を言われているのだろうか。
「それもあるだろうし、あと授業真面目に受けろ、見たいな。」
「なるほど。」
どっちも言われそうだな。そう思いながら俺は水市の荷物を持った。その時、水市が職員室から出た。
「あ、お帰りせい・・・」
中田の言葉が途中で途切れた。俺もまた、言葉を失った。水市と一緒に出てきたのはなんとあの転入生・・・幸橋泉だったのだ。
「こんにちは。」
にこり、と上品な笑みを浮べて幸橋はあいさつをする。会釈をされたので、俺と中田も幸橋に小さく会釈をした。
「どうしたんだ、水市・・・?」
「・・・その・・・」
水市が説明しようとした時、職員室の扉からひょこりと担任が現れた。
「あ、中田君に広塚君。ちょうどよかったわ、じゃあ3人で幸橋さんの学校案内おねがいね。」
「は?」
中田が間抜けな声をあげた瞬間、ぴしゃりと扉が閉められた。なるほど、これで水市は呼ばれていたのか。
「何でお前が?」
「幸橋と知り合いだから」
不機嫌そうな表情をして、水市が中田の質問に答えた。
「宜しくお願いします。」
「あ、こちらこそ・・・」
何となく幸橋とはやりにくいな、と思った。悪い人間ではないのだろうけど、逆に良い人間過ぎて近づけない。
「じゃあ、俺、これ届けるだけだったからさ!じゃ、じゃあな!晴時!行くぞ広塚!」
中田は早口にそう言って、俺の腕をがっと掴んだ。いきなりのことで俺は、何も出来ずに引っ張られてしまう。
「え?!ちょっとま、て?!」
「じゃーなー!!」
「な、中田!?」
水市が口をぱくぱくとさせて、こちらに手を伸ばしている。
「・・・晴時さま?」
取り残された俺は、ただ呆然と立ち尽くすしか出来なかった。
「でも、嬉しいですわ・・・晴時さまとまたこうやって会えて。」
「・・・。」
「また会えるなんて、運命的ですわね。」
「別に・・・」
何で、コイツは帰ってきたんだ。あの頃の嫌なコトを思い出してしまう。
「・・・私は、嬉しいですわ。もう一度、お会いしたかったから・・・」
「俺は会いたくなかった。」
そう言って、俺は歩き出した。泉が一瞬、驚いたような表情をした。
「ま、待ってください・・・!」
慌てたように泉が俺を追いかける。
「・・・もう家庭の関係はない。婚約者とか、そんなものは無いんだ。」
「でも、一度は誓った・・・」
「五月蝿い!!」
自分でも思った以上の声が出た。泉が目を見開いて、一歩引いた。
「関係ないんだよ!お前と俺は!!もういいだろ!!!」
もう、会いたくなかった。
「な・・・」
「勝手に現れて、勝手に居なくなって、勝手にまた会いたかった?ふざけるな!!!」
俺はただ、叫ぶしか出来なかった。俺の言葉を聞くたびに、泉の目に涙が溜まる。
「・・・もう、嫌なんだ。」
そう言って、俺は泉の前から去った。視線の端に見えた泉の瞳から涙が落ちた。
一人で泣いている少女の中に、悲しみが溢れる。その時、小さな黒い何かが揺れた。
「・・・私は・・・」
すっと、少女の瞳から光が消える。そして、彼女は・・・・・・・・・