じゃじゃーんとファンファーレが鳴り響き、画面に数字が映し出される。

「……む、この機械は厳しいな。五十点以上が出たためしがない」

 アーディスが不満げに、だが少しも表情を崩すことなく述べる。

「いや、その、言いたいことはいろいろあるんだが……なんで低音パートなんだよ!?」

「そこじゃないだろ中田」

 すっかりツッコミ役と化してしまった中田に、水市がやんわり告げる。だがその表情は先ほどにも増して帰りたいオーラを発していた。そしてそれは、いまやなる子を除く全員に伝染していた。

 確認しよう。

 ここは幽霊が出ると噂のカラオケボックス・エリア91の一室。ステージに立つのはおそらくその正体と思われる人物。その手に握られているのは一本のマイク。さっきまで室内に流れていたのは故郷の情景を歌う国民的童謡。百点を取りやすいといわれるその曲だが、画面に表示された点数は二十八点。さてその歌い手は?

「なんでアーディスがカラオケなんてしてるわけ? ていうかその選曲は何?」

 中田の感情的なツッコミに代わり、水市が冷静に的確な質問をする。

 幽霊?に突然カラオケを披露された日には、さすがの碧乃も閉口せざるを得ない。なる子だけはただひとり、変わらず瞳を輝かせてデジカメのモニターを見つめているが。きっと彼女には、先ほどの抑揚のないお経のような歌が聴こえていなかったからだろう。

「おまえたちの学校で流行っている曲だろう。よく歌っているのを耳にする」

「ああ歌ってるよ……音楽の授業でな!」

 たえかねたように中田が叫ぶ。だがやはりアーディスは眉ひとつ動かさない。

「ほかの曲のほうがよかったか。『大地讃頌』と『あの素晴らしい愛をもう一度』ならもう少し点数を取れたのだが」

「だからその選曲は何!?」

「みな放課後遅くまで残って歌っている。よほど人気のある曲なのだろう」

「合唱コンクールもうすぐですしね!!」

 ぜーはーと肩で息をする中田と、無感情の声と表情で返すアーディス。その温度差のあるやりとりをカメラ越しに眺めながら、碧乃が呟いた。

「……なんかアーディスさん、石蕗さんに似てるかも」

「え! 確かに容姿はどことなく似てますけど、しゃべりかたもですか!?」

「うーん……なんか天然っぽいとことか」

「――それで、結局噂の幽霊はアーディスだったってこと?」

 広塚が本題を進める一言を発する。できる限り傍観者でありたい彼だったが、横道にそれて話が長引くのは勘弁願いたかった。

 早々に切り上げたいのは水市も同じだ。なにせもう日付が変わる深夜である。

「そうそう、そこをはっきりさせれば俺たちも帰れるんだよ。いくらでもカラオケしてっていいからさ、その前にそれを確認させてくれない?」

「……確認? 噂とはなんだ」

「機械の電源が勝手に入ったり、内線がかかってきたり」

「昨日はデザートに飾りつけられたいちごが消えたそうですよっ!」

「え、そんなこともあったんすか?」

 一同初耳の事実だった。

 ふむ、とアーディスは腕を組む。それから記憶をたぐるようなしぐさをして、ぽつりと一言。

「おなかすいてたんだ」

「…………」

 沈黙。

「アーディス……俺んちのおやつをつまみ食いするならともかく、店の料理に手を出すのは無銭飲食も同然だからな」

 広塚のしごくもっともな指摘に、さしものアーディスもばつが悪いのか顔を背ける。

 少年三人は盛大なため息を吐き出した。知り合いの幽霊?の娯楽と空腹のせいで小野に駆り出され、深夜まで他区に滞在し、終電を逃すはめになったのかと思うと、骨折り損のくたびれもうけ以外のなにものでもない。それに付き合わされた柊一朗と碧乃もたいがいいい迷惑だ。……なる子は別として。

「ったくよー。ここ一ヶ月カラオケ三昧だったのかよ。金もかからないしいいご身分だなあオイ」

「一ヶ月?」

 中田のこぼした愚痴に、アーディスがわずかばかり眉をひそめた。

「私がここに来たのは昨日のことだが」

「はあ? でも噂になってたのはひと月前からだろ? そっすよね、なる子さん」

「はい! わたしの情報に間違いはありません!」

「ほらな? いまさらごまかさなくてもいいって。カラオケにはまるのは、人も幽霊も、歌のうまいへたも関係ないからなっ」

 中田はアーディスがカラオケ通いをしていたことを隠そうとしているのだと思ったのだろう。からかうように笑ってそう言うのだが、しかし、アーディスの表情はどこか険しい。

「……やはりか」

 その呟きと、かすかな違和感を、広塚は逃さなかった。

「アーディス、ほんとにカラオケをしにここへ来たのか?」

「……来た」

 それは広塚の問いに対する回答ではなかった。アーディスが呟いた瞬間、柊一朗が突然席を立つ。

「なっ、なんですか先生、いきなり」

「……なにか、いる」

「なにか?」

 ――ってなんだよ、と全員が心の中で問いかけたとき、それは現れた。

 ブツン、と音を立ててテレビが暗転する。一同がいっせいに目を向けると、真っ暗な画面の中に、ナニカが映り込んでいた。ぼんやりとしたそれは、しだいに輪郭をかたどっていく。やがてそれは、はっきりとした人の姿に変わった。

 長い前髪で目元を隠した、痩せ細った白い肌の少女。

 誰もが目を釘づけにされる。画面に映るその姿は、どんどんこちらへと迫り、それどころか平面から立体へと変わっていく。画面の向こうから、こちらへ出てこようとしているのだ。

 即座に行動に移したのは碧乃だった。弾かれたように卓上にあったそれをつかんで口元へ引き寄せる。

「来〜る〜! きっと来る〜! きっと来る〜!」

「……よゆうありますね、芹川さん……」

 緊迫ムードが一気に崩れた室内に、中田の呟きがむなしく響いた。

 あきれていいのか感心していいのか。この場においてとっさにマイクを握り、あまつさえ誰もが連想したであろうが、とても口に出すにはいたらないフレーズを歌ってのけるなんて。

『…………て……』

 そのとき、かすかな声が聞こえた。一同が再び画面に、いや、すでに画面を抜け出し実体化した少女に目を向けた。今にも消え入りそうなその声は、確かに彼女が発したものだった。

 アーディスを含めた七人が耳を澄ます。しかし、またしても緊迫感は続かない。

「聞こえましたっ! 今度はわたしの耳にも聞こえましたよっ!」

 今度はなる子が空気をクラッシュ。幽霊の声が聞こえたとひとりはしゃいでいる。緊張感のなさは、先輩から後輩へ確実に受け継がれているようだ。

 思わず脱力仕掛けた一同だったが、その刹那、少女ががばりと顔を上げた。

『あたしと歌ってえええええ!!!』

 悲鳴にも似た少女の叫びが部屋中に反響した。少女は黒髪を振り乱して訴える。

『あたしと歌ってよおおおおお!!!』

 共鳴するように、スピーカーから金切るようなノイズ音が吐き出される。アーディス以外の六人は思わず耳をふさいだ。少女はなおもわめき続ける。

「アーディスがここに来た理由って、こいつ!?」

 広塚の問いに、アーディスは無言でうなずいた。広塚はやはり、と納得する。いくらなんでも、アーディスがカラオケをしにこんなところへ足を運ぶはずがないと思っていたのだ。

「PoPの気配を感じた。やはり潜んでいたようだな。……だが」

「なに? なんかヤバイやつなの!?」

「……いや、まだ完全なPoPではない」

「なりかけってことか!?」

 再びアーディスが首肯する。

 ならば完全なPoPになってしまう前にどうにかすべきなのではないだろうか。広塚は問おうとするが、しかし、少女の叫びとノイズが一段と音量を増して襲い掛かる。頭が割れてしまいそうだ。

「ちょっ、オイ、なんだよこれ!」

「耳が痛てー」

「先生なんとかしてくださいよう!」

「そう言われても……」

「まさかPoPになったのか!?」

「…………」

「よっぴー!?」

 暴力的な騒音の中、七人が――正確にそのうちの六人が――口々に叫ぶ。しかし、その中にあきらかにおかしな単語が混ざっていた。

 中田・水市・碧乃・柊一朗・広塚・アーディス――最後の台詞は、なる子だった。

「よっぴー? よっぴーだよね!?」

 なる子は繰り返す。

 は? なんだよそれ? 誰ともなしに言いかけたとき、ノイズと声がぴたりとやんだ。嘘のような静寂が戻る。少女の霊は、ゆっくりと顔を上げた。その唇が、かすかに動く。

『…………なるなる、なの……?』

 長い前髪にあいだから覗く目は、大きく見開かれていた。そこにある感情は、驚き。効果音を付けるとすれば、きょとん。そして一同は、ぽかん。なる子だけがなぜか福引を引き当てたように喜んでいる。

「そうだよ! やっぱりよっぴーだったんだっ! なんでこんなところに?」

 少女を肉眼で視ることができないなる子は、アーディスのときと同じようにデジカメに映ったその姿に問いかける。

 待て待て待て、と静止したのは碧乃だった。

「え、なに? 今度はなる子ちゃんのお知り合い?」

「はい! 高校のクラスメイトですっ」

「えっと、この、よっぴー……さん、と?」

「はいっ!」

『あ、はじめまして。なるなるのクラスメイトの佳夏といいます』

 一同額を押さえる。

 突然幽霊が現れ、わめき、それがつれのクラスメイトだと判明したかと思ったら、今度は幽霊みずから自己紹介ときた。アーディスのカラオケの次はこれか。幽霊を怖がらないメンバーもメンバーだが、今回ばかりは怖がれというほうが無理だろう。

「俺もう帰ろうかな……」

 水市がぽつりとこぼすと、俺も俺もと中田と広塚が続いた。

『ちょっとあんたたち! この哀れな美少女幽霊を前に、事情も聞かずに去ろうってわけ!? ひっどーいッ!!』

 少女・佳夏が抗議すると、再びスピーカーがキィキィと鳴りはじめた。少年たちはたまらず叫んだ。

「わかりました聞きます聞きます! おねーさんはなんでこんなところにいるんですか!?」

『――あれはふた月前のこと……』

 ノイズがやみ、自称・美少女幽霊は語りだした。

『初めてできた彼氏と初めてのデート。場所はここキューイチだった。待ち合わせ時間の三十分前から、あたしは入り口に立って彼を待っていた』

 佳夏はステージに立ち、大げさな身振り手振りで一人芝居をはじめる。なんだか長くなりそうな雰囲気に、なる子を除く一同は少々うんざりしながらもソファーに腰を下ろし、耳を傾けた。

『三十分、一時間、二時間……。なのに彼は待てども待てども来なかった。携帯にメールを送っても返事は返ってこない。待ち合わせ時間から三時間が過ぎて、もしかしたら先に入っているのかもしれないと思い、あたしはキューイチに足を踏み入れた。カラオケルームに通され、待つこと二時間……それでも彼は来なかった! もうメールじゃもどかしいから、あたしは直接電話をしたわ。そしたら彼は出てくれた! でもなんて言ったと思う?』

 その先は全員なんとなく想像がついた。

『は? おまえまだ待ってたの? ばっかじゃねーの! 誰がおまえなんかとデートするかよ。そもそも彼氏になった覚えもないっつーの! ぎゃはははは! ――ですって!!』

 ああ、やっぱり。誰もがそう思ったが、その言葉は呑み込んでおくことにした。

『だまされたのよからかわれたのよ! きっと罰ゲームかなにかだったんだわ。高校生にもなってそんな遊びするなんてばかみたい! そんなのにひっかかって浮かれてたあたしはもっとばかみたい! 悔しい悔しい悔しいいいい!!!』

 佳夏が恨み言を繰り出すたびに、部屋中のスピーカーが呼応して唸りを上げる。耳をつんざくノイズに一同は顔をしかめるのだが、なる子だけは「ひどいっ! 許せませんっ!」と憤慨していた。

 ノイズが消える。佳夏はいったん口を閉ざし、少しの間をおいて告げた。

『……だからあたし、ここでしたの』

 ――自殺を!?

 長らく失っていた緊迫感が戻ってくる。しかし、

『オールナイトでヒトカラしてやったの!!』

 それは三秒と続かなかった。

「ストレス発散にはもってこいだねっ! わたしもよくやりますっ」

『そう。のどがかれるまで歌いまくってスッキリした。でも、次の日学校であいつの顔を見ると、また憎しみと怒りがこみ上げてきて……気がついたときにはあたし、』

 ――男を殺していた!?

『購買でパンを買い占めてやけ食いしてたわ!!』

 ……もう、いい。このメンツに緊迫感を求めるほうが間違っていたのだ。一同は脱力してうなだれる。当然、ここでもなる子を除いて。

「体に悪いってわかってても、ついやっちゃうんだよねっ」

『そうなのよ……おかげでそれから一ヶ月、食べに食べて十キロも太っちゃったわよ! もとをただせば全部あいつのせい。そう思うと、あたしの中で眠っていた憎悪が目を覚まして……あたし、屋上で、とうとう、』

 ――飛び降り自殺!? ……なわけないか。

 さすがに学習している一同だった。

『バナナ一房食べちゃったのよ!! やだもう恥ずかしい! 花も恥らうお年頃の乙女がバナナまるごと持って登校してくるなんて……おまけにひとりで全部平らげちゃうなんて!

 でも、そのあと教室へ戻ろうとしたときよ。……私が階段から落ちたのは』

 ようやく事件らしき出来事が語られ、それまで聞き流しているだけだった者も身を起こす。なる子も深刻な面持ちになり、

「よっぴー、すぐに病院に運ばれたんだけど、打ちどころが悪くて、意識不明のままで……」

 そう言ってうつむく。

 経緯はどうあれ、クラスメイトが重態に陥ったことを思い返すのはつらいに違いないだろう。一同はそれを察するが、今は黙って見守ることしかできない。

 しばしの沈黙のあと、なる子はゆっくりと顔を上げた。

「……あれ? でもよっぴー、今も病院で寝たきりなんだよね?」

 その発言は豆鉄砲となって一同を打ち抜いた。もしくは寝耳に水をそそいだ。

 中田が全員の心を代弁する。

「は? じゃあよっぴ……じゃない、佳夏さん、まだ生きてんすか?」

『あたりまえじゃない、失礼ね! 誰が死んだなんて言ったのよ!?』

「だ、だって、現にこうして幽霊になって……」

「……生霊ですか」

 碧乃の呟きに、ですね、と柊一朗が返した。

 生霊というものは、たいてい本人の知らぬ間に魂だけが体を離れて霊となるものなのだが、ここまで自分の立場を自覚しているケースもめずらしい。本体に意識がないぶん、こちらに知覚能力が移っているのだろうか。……それ以前に、こんなすっとぼけた幽霊自体、そうはいるものではないのだが。

 

 ともあれ、こうして生霊となっているのからには、彼女にもなにか強い未練や思いがあるのだろう。それを解決しない限り、彼女はこのままだ。病院で寝たきりだという本体がどんな状態かはわからないが、魂が体を長く離れていいことなどひとつもない。

『さすがに寝たきりの点滴生活だと痩せるわね。おかげで元の体型通り越してガリガリよ。髪も伸び放題だしさ』

「うん、すっかり別人だねっ。おかげで最初よっぴーって気づかなかったよ」

 佳夏はからからと笑い、いい加減あたしも体に戻んないとなー、などとのんきなことを言っている。そう思っているのなら一刻も早く戻ってほしいものだ。

 しかし、ふと思い出したように佳夏はなる子を見た。

『……ね、なるなる。あたしって、なんで階段から落っこちたことになってる?』

「それは、確か、床が濡れていて、それですべって足を踏みはずして……」

『……そっか。やっぱりほんとの理由は伏せたままなんだ。そうだよね、とても公表できないよね……』

「ほんとの理由?」

 佳夏の言葉に、なる子だけでなく全員が怪訝な顔をした。佳夏は先ほどまでとは打って変わり、深刻な表情で目を伏せる。その様子に、なにか重大な理由が隠されているのではと勘ぐらずにいられない。

 まさか、誰かに突き飛ばされた? その犯人を恨んで、それとも、その犯人を見つけ出したくて――?

 いつになく重苦しい空気の中、佳夏は、だって、呟いた。

『――バナナの皮を踏んずけて転げ落ちただなんて、とても言えないよね……』

 バナナ?

 すっとんきょうな声で最初にそう言ったのは誰だっただろう。誰でもいい。みんながみんな言いたかったことだ。

『そうよ! バナナ! いまどきギャグ漫画でもないわよ、バナナの皮ですべって転ぶなんて! 一生の恥だわ!!』

 佳夏は真っ赤に染まった頬を両手で押さた。そしておそらく学校側に口止めしたのであろう両親に感謝を述べている。

 そんな佳夏に、さすがの中田も疲れきった表情を浮かべた。

「俺たちももう帰りたいんですけど……。それで結局、おねーさんは何がお望みなんですか?」

『何って? そんなの最初から言ってるじゃない。あたしと歌って! あたしとカラオケしてよおおおお!!!』

 久しぶりにスピーカーがキィンと音を立てる。

 そんなのが望みなの? そう六人の顔に書いてあったのだろう。佳夏は憤慨した様子で訴えた。

『だってあたし、カラオケデート夢だったんだもん! 男の子とデュエットしたかったんだもん! あいつに裏切られた日から、その思いは募るいっぽうで……でも叶わなくて。意識不明になったあとも、こうして体を抜け出して、もう一ヶ月近くここで一緒に歌ってくれる相手を待ってるのに、誰もあたしのこと見てくれないのよ……!』

 見てくれないのではなく、見ることができないのである。

『でもやっとあなたたちが来てくれた! やっと一緒にカラオケできる! 男の子とデュエットできる!!』

 佳夏は心底嬉しそうに飛び跳ねると、マイクを二本手に取り、ひとつは自分のもとへ、もうひとつはそっと前に差し出した。

『だから、あたしと歌ってくださいっ』

 語尾にハートマークを付け、佳夏はばちんとウインクを飛ばす。その先にいたのは――

「……え? 俺?」

 まったくの不意打ち、広塚だった。

『うんっ! あたしと一緒にデュエットしよ?』

「いや、ちょ、なんで俺?」

『だってぇ、あたしぃ、眼鏡男子萌えなんだも〜んっ!』

 佳夏は急にしなを作って広塚に迫りだす。広塚は思わずあとずさるが、すぐに壁際に追い詰められてしまった。

 その様子を見て、それまで無言を通していたアーディスが呟いた。

「やはりあいつは憑かれやすいたちだな」

「あれ、アーディスまだいたんだ」

「いた。が、もう行く」

 水市の問いにそれだけ返すと、アーディスはほとほとあきれた様子で去っていった。

 音もなく消えてしまった白フードの人物を見て、中田はここに来て何度目かになるため息をついた。できることなら自分もこの場から消え去りたい。

「広塚……女の子からの誘いを断るなんて男として最低だって、とある大先生がおっしゃっておられたぞ?」

「おお、いいこと言ういうなあ、その人。まさにそのとおりだ広塚」

「おまえら……そんなこと言って、さっさと帰りたいだけなんだろ!」

「何を言ってるんだ。俺たちはただ、いたいけな女性の願いを叶えてあげようとだな……なあ水市!」

「うんうん。男として、いや人として当然のおこないだよな、中田!」

 友人ふたりに裏切られ、広塚はすがるように柊一朗たちを見た。目が合うと、柊一朗・碧乃・なる子は無言でアイコンタクトを交わし、申し訳なさそうな苦笑を浮かべた。

「こういうときは、彼女の意思を尊重すべきだと思うよ」

「そうしないとこの子、ずっとこのままなのよ? かわいそうだと思わない?」

「生霊とデュエットだなんて、いい経験ではありませんかっ」

 ――だからみんなのためを思って、ね?

 それが柊一朗たちの、否、中田・水市を含めた五人の意見らしい。ブルータス、おまえもか。広塚はすべてに見放された気分になった。

 愕然として前を向くと、黒髪を垂らした生霊がすぐ目の前に迫っている。広塚にはもう、差し出されたマイクを握る以外の道は残されていなかった。

『だぁいじょうぶっ! あたし、年下もオッケーだからっ』

 

          * * *

 

 

 その後、翌日の昼近くまで生霊少女とのデュエットを満喫すると、佳夏はようやく満足して去っていった。エリア91を出る頃には、今度は広塚が意識不明の危篤状態となっていたが。それに付き合わされた者たちも、すっかりへろへろに疲弊しきっていた。駅まで送ってもらうと、少年三人は柊一朗たちと別れた。

 中田のもとには、その日のうちになる子からメールが届いた。なんでも、事故以来、病院で眠り続けていた佳夏が、奇跡的に目を覚ましたのだという。そのときの第一声が、

「あたし惚れたかも」

 だったらしいが、それが事実であるかはさだかではない。

 ともかく、こうしてエリア91の怪は無事解決し、九重区の七不思議がひとつ減ったのだった。なんにせよ、

「――とうぶんカラオケには行きたくない。以上。…………はあああああッ!?」

 教室中に響き渡る大声で叫び、小野は手にしていた原稿用紙を机に叩きつけた。

「なんっだよこのレポート! ふざけてんのか? 誰が創作小説書いてこいって言ったよ!?」

「……いや、かつてないほど正確かつ詳細なレポートなんだけど」

 冷静に答える水市に対し、小野はさらに声を張り上げる。

「嘘つけこんなでたらめな話! なんだよバナナって! 素人だってもうちょっとマシなもんが書けるぞ!? どーせまたサボって三人で遊びほうけてきたんだろ!」

「してねーって。おまえ、俺たちがどんだけ苦労したと思ってんだ……」

「まあ、一番の被害者は広塚だけどな」

 そう言って、中田と水市は窓際の一番後ろの席を見やった。そこには、先日、友人たちに人柱にされた哀れな広塚の姿があった。あれほどいやがっていたカラオケを歌い続けさせられたことがよほどこたえているらしく、登校して以来、机に突っ伏したまま顔を上げない。

 さすがに同情と罪悪感を覚えて中田と水市が振り返ると、そこには小野の笑顔があった。満面の笑みだが、弧を描いた唇の端が怒りでゆがんでいる。

「よーしわかった。おまえらがその気なら……」

 小野がくわっと目を見開いた。

「次はなる子さんから仕入れたばっかりの九重区七不思議その52を調査しに行ってもらうからな!!」

 中田と水市の悲鳴がとどろく。……広塚は、そんな気力すら起きなかった。

 

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