Another Story 半透明少女日記
死後の世界というものは、案外生前の世界と変わらないものである。
私はとある事故で死んでしまった。そして、何となくこの世に残っている、ごくごく普通の幽霊。生前の名前は、確かカナだった。死んでしまうと、生前の記憶が結構飛んでしまうのだ。
ともかく、幽霊というのは意外とそこら辺にふよふよ漂っているのだ。どうやら、普通に死んであの世に行くという幽霊は少ないらしい。私の知り合いは大概そんな感じだ。私がよく一緒に行動するアオイという女性の幽霊もそうである。
「まあ、死後の世界なんてこんなものよ」
「そうなんですか?」
「そうそう。それに、あの世なんてあるのかどうかわからないしね」
くすりと笑うアオイさん。アオイさんはとても綺麗な女性で、生前は絶対もてただろうなーって思う。私といえば、告白されるよりもする方が多かったかな。付き合った回数は少ない。
「アオイさんは行ったことありますか?」
「まさか。行って帰ってきた奴なんて見たことないわ」
アオイさんは何も知らない幽霊の私に、様々なことを教えてくれた。最初、私は自分が死んだことに気付いてなく幽霊というものに恐怖を覚えていた。誰か呪っちゃうんじゃないかとか、物を勝手に動かしちゃうんじゃないかとか。
「そういうのは力がある奴がするのよ」
「力、ってどんな力ですか?」
「ほら、霊感とか言うでしょ? ああいうのを持ってる奴にあるんだって力が」
「へぇー……」
てっきり死んだらみんなそんなことができるのかと思ってた。
「力なんか欲しいって思っちゃいけないわよ」
「何でですか?」
「そういう奴は最終的になるのよ、PoPに」
…………ぽっぷ?
「って、何ですか?」
「まあいわゆる悪霊よ。そういう力をほしがる奴がPoPって呼ばれるのよ」
「何でそんなにかわいい感じの名前なんですか?」
「さあね。銀色がそう呼んでるからね」
またも新たな単語。アオイさんは本当に物知りである。
「何ですか、その銀色って」
「死神みたいなものよ。あ、あんまり関わらない方が良いわよ?」
身近にファンタジーは広がっているものだ。幽霊とか死神とか、いるとは思ってなかった。
「銀色は大概PoPを送るのよ。で、ついでに私らも送られちゃうから」
「送られるって?」
「それこそあの世かもね」
でも、悪霊と一緒に送られるって言うのはちょっと嫌かも。銀色さんとは、関わりあいたくないなあと思った。
死んでから気付いたのだが、幽霊って言うものは人間以外もなるらしい。良く見るのは犬とか猫とか。あと、夏場になると蚊が多いってアオイさんが言っていた。死んだ蚊は血を吸うことはないけれど、あの飛ぶときの音は相変わらず残っているらしい。
それはともかく、私は死んでからよくとある犬を見かけた。中型犬、と言うのだろうか。大型犬というよりは小さいけれど小型犬ほど大きくないから中型犬。あんまり犬に詳しくないからなんと言う犬かわからない。
「あの犬? あれ、死んでるのに気付いてないのよ」
アオイさんが犬を見て一言。犬はじっとある家を見つめていて、時々小さく吠えていた。吠えるときはすぐそばに女の子が居た。中学生に成り立てって感じの子だ。死んだ当時の私より少し年下だろう。
「じゃあ、あの女の子が飼い主ですか?」
「だろうね。相当ショックみたいね……あの女の子」
アオイさんの言う通り、女の子は暗く重い表情をしている。何もいない犬小屋を見て、涙を零していた。そのとき、犬は小さく吠えていた。けれど、女の子にはその声が届いていないようだった。
「ですね……大切にしていたみたいですね」
犬は女の子のそばに寄り添った。きっと彼女には、何も感じられないのだろう。それを思うと、なんだか悲しくなった。しかし、隣でその様子を見るアオイさんの表情はどこか険しいものだった。
犬小屋に書かれていた名前によると、犬の名はジョンと言うらしい。
「ジョン」
私がその名を呼ぶと、ジョンは嬉しそうに私の元に駈け寄った。死んでいるもの同士は触れ合うことができて、その感触は生前と一緒だった。ふわふわとした毛が、私の肌にやさしく当たる。
「ねえ、ジョン。あんた、もう死んでるんだよ。だから、あの子のそばから離れなくっちゃ」
しかしジョンはくりっとした黒い瞳で私を見るだけだった。きっとジョンには私の言葉は理解できていないのだろう。そう思っていると、ジョンは私の手をすり抜けてまたあの女の子の元へ駈け寄った。女の子はやはり犬小屋を見て泣いている。
「カナ」
アオイさんが私を呼ぶ。
「何ですか?」
「あんた、もうあの犬と関わらないほうがいい」
「え?」
その言葉の意味が理解できなかった。アオイさんの表情は今までに見たことのないくらい険しくて、恐怖を覚えた。でも、私はジョンをどうにかしてあげたいと思っていた。きっと、ジョンも女の子も悲しくて悲しくて仕方ないのだろう。
「ジョン」
私が呼ぶと、ジョンはすぐに私の元に駈け寄ってくる。このまま、私のことを飼い主だと思ってくれればいいのに、と何度も思った。けれど、ジョンは彼女のことを忘れられず、ずっとずっとそばに居る。ジョンは彼女のそばで吠える。
「ここにいるよ!!」
ジョンの鳴き声はそう言っているように思えて、私は泣きたくなった。どうやっても、その声が女の子の耳に届くことはない。しかし、異変は起きた。
「きゃあ!!」
ぱりん、と破裂音。女の子の叫び声が聞こえた。
「ジョン……?」
私が名を呼ぶ。ジョンが振り向くけれど、そこには私の知っているジョンの姿はなかった。鋭い黒い目、逆立った毛、それは犬と呼ぶよりは狼に近かった。女の子は突然家の窓ガラスが割れたことでその場から去っていたが、私は逃げられなかった。ジョンの鋭い瞳が、私を貫いていた。
「どうしたの……。あなた、ジョン……なの……?」
その瞬間、ジョンが私に駈け寄る。違う、飛び掛ってきた。アオイさんの言っていた意味がやっとわかった。嘘でしょ、そう口から漏れた瞬間。
「アーディス!!!」
叫び声。目の前に白。その次には銀。私と飛び掛ってきたジョンの間に人物が現れた。人、というにはやけに神秘的だった。それは、関わりあいたくないと思っていた存在。
「ぎ……銀、色」
白い背中、銀色の髪。正に『銀色』と言う名が相応しいと心から思った。
「下がれ」
こちらに顔を向けることなく、私に銀色は言う。下がれって言われても、動けない。そう思っていると誰かが私の腕を掴んだ。
「こっち!」
腕を掴んでいたのは、眼鏡の中学生。彼は、死んでいない。
「君……一体……」
「巻き込まれますよ、アレに」
そして中学生は私を引っ張り走り出した。何に巻き込まれるの、尋ねようとした瞬間銀色の光が輝いた。強く、まるで月が星もない暗闇で輝くように。
「うっそ……」
もしかしてこの中学生に引っ張られなかったら、私……本当のあの世逝きだったりした?
「ああああのさ、君一体何?! 幽霊じゃないよね?!」
「バリバリ生きてますよ。って言うか何で俺こんな事してるんだろ……」
銀色の光からある程度の距離をとった私は、彼に話を聞こうとした。が、彼はガクリと肩を落として激しく後悔し始めた。見た目どこにでもいそうな中学生なのに、幽霊である私に触れて、しかも引っ張るという不思議な少年だ。
「お前がそうすると言ったのだろう」
突然の声に私は振り向く。銀髪銀目の、銀色がそこにいた。
「そりゃそうだけど……また体力がなくなったら困るだろ」
「お前がいれば問題ない」
「お前じゃなくて俺の体力だ!!」
何なんだ、この二人。眼鏡くんはどうやら銀色も私も見えている。普通の人間でないことはわかったけれど、何で銀色と一緒にいるんだろ……
「だから余計なものまでまとめて送らせないようにしてるだろ!」
「私は問題ない」
「もう一度言うぞ……これは俺の問題だ!!」
眼鏡くんはどんと銀色を指さして叫んだけど、銀色は動じず無表情のままだった。完全に私、空気。と、思っていたら眼鏡くんが私のほうを向いた。
「それで、大丈夫ですか? 怪我とか」
「け、が?」
死んだ私に怪我の心配をするなんて、なんだか笑えた。
「ううん、ありがとう。それで……君は?」
私が尋ねると、眼鏡くんはびくりと肩を震わせた。それから引きつった表情をして一言。
「忘れてください」
それはとても…………無理な相談だ。
テニスボールがとある家の庭に入る。それはころころと転がって犬小屋の前で立っている女の子の足にこつんとぶつかった。
「……これ」
「あの!」
家の門の前から、男の子の声がした。男の子は眼鏡をかけていて、肩には学校の鞄と別にテニスのラケットが入っていそうな鞄をかけていた。
「すみません、ボール投げて歩いてたらそっちの庭に入ったみたいで……」
「ああ、そうなの。ちょっと待ってね」
女の子はボールを拾い上げ、男の子の元に向かう。
「はい、これ」
「ありがとうございます。本当にすみませんでした」
「いいよ。窓も何も割れてないし」
「ぶつかったりとかは……?」
「ううん、全然」
ボールを受け取った男の子は女の子の顔をじっと見る。女の子はその視線に気付いて、小さく首をかしげた。
「あの……?」
「泣いても、喜びませんよ」
男の子の言葉に女の子は「え?」と言葉を返した。
「ずっと泣いてても、喜びませんよ。多分、笑っていてくれたほうが嬉しいと思います」
「えっと、何のこと……?」
「それじゃあ」
男の子は逃げるようにその場を去った。女の子はしばらくその場に立ちすくんで、それから先ほどまで自分が居た犬小屋の前に戻った。
「……ジョン」
私、忘れないから。
女の子は犬小屋の前で小さく手を合わせて家の中へと入った。
「めでたしじゃないの、銀色」
振り向くと、相変わらずの無表情を浮べている銀色がいた。どうやら、あの男の子の様子を見ていたらしい。
「お前がしつこく付きまとうおかげで啓也がひどくつかれていた」
「憑かれて?」
「疲れて、だ」
銀色が珍しく訂正をする。そんなにもあの男の子に執着があるのだろうか。
「私に送らせて満足か、アオイ」
「あらあら、珍しい。私の名前を呼ぶなんて」
私が笑うと、銀色は小さく息を吐いた。ため息をつく銀色、というのも面白い姿。
「でも、私の後輩のピンチを助けてくれたしね」
カナがあの犬に興味を持ち始めた時から、犬がいずれ凶暴化することに気付いていた。だから、銀色がいつもそばに居る男の子に接近して、銀色に送らせた。まだまだカナとは仲良くなりたいしね。
「何故私に直接言わなかった」
銀色が尋ねる。確かに私と銀色は前から知り合っていたので、直接言った方が早かった。でも、男の子に近付いた理由は、
「引き寄せられちゃったしね」
としか言いようがなかった。すると、銀色が疲れたようなため息を大きく吐いた。
「ねえ、銀色」
「何だ」
「なんだか、変わったね」
「……かもしれない」
そういう表情も、悪くないじゃない。そう思いながら、私は男の子を見た。