活動記録:先を行くを追う

 

 今から一年前。月原高校で入学式が行われてから約一週間経ったその日から、一年生の部活見学が始まった。

「えーっと、柔道場、柔道場……」

 左手に部活動案内の冊子、右肩には大きなエナメルバックをかけている暁彦は辺りをきょろきょろと見ながら柔道場を探していた。しかし、まだ一週間しか経っていないということもあって、暁彦は軽く迷子になっていた。

「ったく、地味に入り組んだ場所じゃねぇかよ……わかるかっつーの」

 ぶつくさと文句をいいながら歩いていると、前方に女子生徒がいるのが見えた。スリッパを見ると、自分と同じ色のものを履いていたため、同級生であるとわかった。訊いてもわからないだろうな、と思いながら暁彦はその女子生徒に場所を尋ねることにした。

「あーの」

「え?」

 声をかけられた女子生徒は暁彦のほうを向く。その顔を見て、暁彦は「あっ」と声を上げていた。

「お前、もしかして……長月の、陽田?」

「そう、だけど?」

 突然名前を言われた女子生徒――陽田里佳はぱちぱちと瞬きをして暁彦を見つめている。その顔にはどうして自分のことを知っているのか、と言いたげな表情がついていた。

「やっぱり。夏の大会で個人優勝したもんな、お前」

「いやあ、そんなにあたしって有名?」

「えっと、普通に有名だけど……。もしかして、柔道部の見学、行くとか?」

「うん、そのつもり」

 里佳がにっこりと笑いながら言ったのを聞いて、暁彦はほっと安心していた。

「あたしを知ってるってことは、柔道部だったんでしょ? 何処出身なの?」

「八津下中学だけど」

「ああ、八津中ね。で、名前は?」

「高島、暁彦」

「八津中の高島……ああ! 去年春の第三位!」

 びしっと指を指されて暁彦は驚きのあまり一歩引いた。里佳はそれ以上に驚いたような顔をして、暁彦を指差している。

「よ、よく覚えてたな……」

「春と暁で、春眠暁を覚えず。なんかそれで頭に残ってたの」

「どういう覚え方だよ、それ……」

 優勝したならまだしも、ぎりぎり表彰台に乗った三位でそんな覚え方をされるとは思っていなかった暁彦は、引きつったような表情を浮かべて小さくツッコミを入れた。

「じゃ、見学行きましょ。見学しなくても、どうせ入部するつもりなんだろうけどさ」

 そう言って里佳は柔道場に向かって走っていた。暁彦は頷いて、里佳の後をついて行った。

 

 それまで暁彦の中にあった『陽田里佳』という存在は、ただ『柔道が強い』というだけだったのだが、同じ部活に入って関わりを持ちはじめると、それだけで収まらなくなっていた。

「次、お願いします!」

 練習中、気がつけば暁彦は里佳の姿を追っていた。里佳は月原高校の柔道部の中でも強く、上級生とも対等に試合を行えるほどだった。

「さすが長月最強の女、って言われただけあるよなあ。なあ、高島」

「あー……はい……」

 暁彦に声をかけた二年の柔道部員はじっと里佳を見つめる暁彦の顔を見て、にやりとした笑みを浮かべた。

「お前、陽田に惚れた?」

「はっ、はぁ?!」

 先輩の言葉に暁彦は大げさなくらい驚いたような声を上げた。

「何言ってるんですか、先輩! 別に俺、陽田のことなんか」

「みなまで言うな高島。お前が陽田に惚れたことぐらい、パッと見でわかるって」

「だから、違いますって!!」

 顔を真っ赤にさせて暁彦が大声で否定をする。そのとき、

「おい、高島! そんなに騒ぎたいんだったら練習でもしたらどうだ?」

「えっ」

 顧問に指名された暁彦は引きつった顔をして立ち上がった。その隣で、二年部員は笑い声を抑えて笑っている。

「先生、私がやっても良いですか?」

「陽田? いいのか」

 突然名乗り出た里佳を見て、顧問も、暁彦も、驚きを隠せないような顔をしていた。一方の里佳は自信満々な笑みを浮かべて頷いた。

「私なら大丈夫です。良いでしょ、高島くん」

「あっ、ああ……」

 笑顔を向けられた暁彦は何も言えずに頷くしかできなかった。顔を真っ赤にさせていた暁彦だったが、試合が終わる頃にはすっかりその赤さが引いていた。

「……つ、よ」

 きれいに投げられた暁彦を見て、先ほどまで暁彦をからかっていた二年部員は表情を引きつらせていた。ハンデは里佳本人の希望により、なしということだった。それなのに、対等どころか暁彦を上回るような勢いで里佳は試合を制した。

「ありがとうございました」

 立ち上がった暁彦はほかに何かを言うわけではなく、里佳に向かって深く礼をして一言言った。里佳のほうも同様に、深く礼をする。

 そのときの暁彦には里佳本人に対する感情と、里佳の強さを越えたいと思う願望の二つが生まれていた。里佳に対する好意は、単純な一目ぼれから強さに対する憧れへと変化した。

「決めた」

 陽田と対等に戦って勝つことができたら、俺は――

 

 それから数ヵ月後。

「……陽田が、退部?」

 突然顧問が告げた事実に、暁彦は呆然とした。試合が終わった直後のミーティングから姿を見せなかった里佳に対して疑問はあったものの、クラスも違ったため詳しく事情を知らなかった暁彦は、そこで初めて状況を把握した。

「な、何でですか?! 何で、陽田が!」

「本人が言うには『他にしたい事があるから』、だそうだ。陽田本人が決めたことだ。止めを聞くようなやつではないからな、陽田は」

 顧問が言うような性格の里佳が、制止の言葉を聞いてあっさりと戻ってくるようなことをするはずがない。ほとんどの部員は何も言わずに納得したように頷いていたが、たった一人だけ納得していない人物がいた。

「そんなに、あいつ、本気だったんですか」

 沈黙の中で、暁彦が言った。それは動揺から出たような言葉ではなく、真剣に問うような――顧問に対して問いただすようなものだった。

「高島……」

「あいつが、柔道以外に、本気になったんですか。本当に」

「そう言ってるお前が、一番わかってるんじゃないか? 陽田が、柔道を切り捨てて本気になってること」

 顧問の言葉に、暁彦ははっと驚いたような表情を浮かべた。それから、何かを言いたげに口を開きかけたが、結局何も言わずに口を閉ざした。

 里佳の退部によって、部員の士気は下がるかと思われていたが、逆に上昇した。

「次! お願いします!!」

 その熱の原因は、暁彦の異常なまでの気合の入りようだった。それに触発された部員たちは今まで以上の練習を行うようになった。里佳が抜けたことによって弱体化されるかと思われた月原高校の柔道部は逆に強くなった、と周囲の学校を驚かせた。

 

 そして、暁彦が二年生に進級してから数週間後。

「なあ、石倉。マジでできたのかよ、オカ研って」

「うるさい、黙れ。その話題を俺の前でするな」

 二年になって同じクラスになった生徒会長、石倉悠吾がとある話題を振られて不機嫌そうな表情を浮かべる姿を暁彦はよく目撃していた。その話題には必ず『オカ研』というまとわりついていた。何処となく、悠吾が何者かに脅迫されてその『オカ研』を立ち上げたという話を聞いていた暁彦は、からかわれている悠吾をいつもぼんやりとした表情で見ていた。が、その日は事情が違った。

「だって、お前が女に投げられたんだろ? 柔道部の」

「柔道部じゃなくて、元柔道部だ。ったく、人の傷を広げるなっつーの……」

「元、柔道部……?」

 呟くと同時に、暁彦は悠吾のもとに向かっていた。悠吾をからかっていた同級生は、近づいてくる暁彦の剣幕にびくりと肩を震わせてその場を去った。

「おい、人をからかうだけからかって逃げるとは――」

「石倉」

 暁彦に気づいていなかった悠吾は、名を呼ばれてすぐそばにいた暁彦の存在に気づいた。

「……た、高島?」

 振り向いたときに目の前にあった剣幕に、悠吾は若干声を裏返させた。まるで睨みだけで人を倒そうとする表情に、悠吾は確かに逃げたしたくなった。だからあいつ逃げたのか、と思いながら悠吾が視線を泳がせていると、暁彦のほうが口を開いた。

「その元柔道部員の女子、もしかして」

「も、もしか、して?」

「陽田里佳、じゃないか」

「あ、ああ……」

 事実なので頷いたのだが、暁彦の口調は「否定させない」と言うような強い口調だった。悠吾の反応を見て、暁彦は問いを続けた。

「その陽田が立ち上げたって『オカ研』。何だよ、それ」

「オカルト研究会、の略称だ。本人たちが言うには、七不思議とか怪奇現象を調査する、同好会らしい」

「本人たち?! じゃあ、他に会員が居るのかよ!」

「同好会は最低三人からじゃないとできない校則になってんだよ! で、あいつらはぴったり三人いる!!」

 暁彦の強い口調に釣られて、悠吾も怒鳴るように叫んでいた。ぜいぜいと肩で呼吸をしている暁彦と悠吾の姿を、周りのクラスメイトが驚いたような表情で見つめている。傍から見ればケンカをしたような光景である。

「……っくそ、ふざけやがって……」

「え?」

 小さく呟いた暁彦の言葉が聞こえず、悠吾は反射的に聞き返していた。ぱちぱちと瞬きをする悠吾を見て暁彦ははっと冷静になってぶんぶんと首を振った。

「ど、どうしたんだよ、高島?」

「何でもねーよ! ……悪いな、大声上げて」

「あ、ああ……。いいけど」

「あのさ、石倉」

 急に態度を変えた暁彦に対して、悠吾は少し不気味に思っていた。しかし、そのあまりにも真剣な表情(というよりは睨みに近いような視線)から目をそらせず、悠吾は小さく頷いた。

「頑張れ」

「……はい?」

「俺、応援してるから」

 それだけ言い残して、暁彦は教室を出た。よくわからないまま、悠吾は去ってゆく暁彦の姿を見ていた。

 

 

 いつも通り役員のいない生徒会室にいた悠吾はいつも通り書類に目を通したり、次の生徒会会議で何を話し合うか考えたり、書類の整理をしていたり、と過ごしていた。が、今日は少しいつもと違った。

「っていう要望書を出しに来たわけだけど」

「……暇だな、高島」

 呆れた表情を浮かべる悠吾に対して、眉間に皺を寄せている暁彦は二枚の紙を悠吾に突きつけている。

「今日は大会が終わった後だからな。ミーティングと筋トレだけした」

「で、これを見せに?」

 暁彦が突きつけた紙を受け取り、それぞれに目を通す。一枚は暁彦の生徒会に対する要望書であり、もう一枚は先日の大会の賞状だった。そこには、『陽田里佳』の名前が記されている。

「これだけの成績を取れるやつが、どうしてオカルト研究会なんかしてないといけないんだ。と、言うことでオカ研をどうにか解散させろ」

「それは俺もそう思ってるけどさあ……」

 はあ、と大きなため息をついて悠吾は呟く。できれば今すぐにでもオカ研を廃止させたいものだが、生徒会長の一言でどうにかできるものではない。それに、オカ研は何故か周りに味方が多いのだ。

「陽田を説得できれば、あっさり解決するけどな。できてないだろ、お前も」

 悠吾に言われて、暁彦はうっと言葉を詰まらせた。やっぱり無理か、と思いながら悠吾は暁彦の要望書を机に置き、賞状を暁彦に返した。

「どうにか説得するつもりだ。俺もただで認めたわけじゃないから」

「石倉……」

 瞬間、悠吾の手を暁彦がぎゅっと握った。突然の行動に、悠吾は目を大きく開いて「は?!」と声を上げていた。

「本当に頑張れ。マジで頑張ってくれ」

「お、おおう……」

 朱月じゃないけど、さすがにヤローに手握られるっていうのも嫌だな……。そんなことを思いながら、悠吾は暁彦に向かって頷いていた。

 

 

 

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