活動記録:名を呼ぶのは亡霊か
[少年、そこの少年]
今から約一年前。その日はよく晴れていた。
[おーい、少年。学ランの少年、聞こえてるだろー?]
珍しく学校に出た夜維斗は、早退することもなく全ての授業に出たあとに帰宅していた。当時はまだオカルト研究会ができていなかったため、夜維斗はさっさと帰ることができた。
[少年、おーい、少年! ああー、名前呼んだほうがいいかー?]
夜維斗はぼんやりとした表情ですたすたと歩いている。心なしか、先程より早歩きになっているようだった。
[ツキヨミヤイト]
瞬間、夜維斗は足を止めた。そして、ゆっくりと振り向いて背後を見た。夜維斗の目の前に、一人の男がいた。黒い長髪を後ろで高く結い、夜維斗を見てにやりと笑っている。その体は、半透明だった。つまり、夜維斗の目の前にいる男は幽霊である。
[やっと反応したな、少年]
「……なんで俺の名前を知っている」
明らかに不快だ、と言いたげな顔をして夜維斗は男に問う。しかし男はそんな夜維斗の表情を気にすることなくへらりと笑って答えた。
[お前、有名人だぜ? 普通じゃありえない存在だって]
その言葉を聞いて夜維斗の顔はさらに不快そうなものになる。男に対して鋭い睨みを飛ばしているが、男のほうは相変わらず笑っている。
[まあ、別にお前がありえなくてもありえても、どうでもいいんだけどさぁ]
「なら消えろ」
[そんな言い方するなよ、少年!]
男は楽しそうに言いながら、夜維斗に抱きつくように首に腕を回した。夜維斗はすぐ隣にある男の顔を、ぎっと睨む。
「近付くな、離れろ」
[なんだよ、どうせ重くないだろ?]
「そういう問題じゃない」
[じゃあ何? あ、もしかしてオレが女の子だったらよかったワケ?]
「黙れ、離れろ」
夜維斗の表情は明らかに苛立ちを露わにしている。普段からそんなに感情の変化を表に出さない夜維斗だが、今回は本当に苛立っているらしい。男は少しつまらなさそうにため息を吐いて、夜維斗から離れる。
[ったく、つまんねぇの]
「今後一切、俺に近付くな」
[それは無理な相談だ。オレ、お前に助けてもらいたいから]
「……は?」
助けて、というような様子ではなかった男から出た言葉に夜維斗は呆れたような声を上げた。今まで悠長な態度でいたくせに、どこが助けを求めているのか、と夜維斗は男を見る。
[いや、オレじゃなくて……オレの相方って言った方がいいかな]
にっと歯を見せて男は笑った。
こんな所に店があったのか、と夜維斗は内心驚いていた。男に案内されてしぶしぶついていくと、公園の奥のほうにひっそりと一軒の店があった。
「……『刀屋』?」
[昔は、な。今はただの骨董品店って所だな]
夜維斗の呟きに答えた男は閉ざされた扉を通り抜けて中に入る。直後、扉からガチャという音がして、扉が開かれた。ここまで来たら入るしかないのだろう、と夜維斗は半ば諦めたように店に入ることにした。
中は薄暗く、店と言うには商品がよく見えない。まだ夕方になる前だと言うのに、店の中はまるで夕暮れ時のようであった。両脇にものがごちゃごちゃと置かれている通路を進んでいると、目の前にカウンターがあった。カウンターの上には、横に置かれた人間の頭が見えた。
「は?」
目の前の光景が信じられず、夜維斗は言葉を零す。目の前にある頭は幽霊でも何でもない。
「な、ちょ、おい、ま、え」
夜維斗が混乱したように声を出すと、横に先ほどの男が現れた。
[落ち着けって。大丈夫、死んでないから]
「そっちの方が問題だろ! だ、大丈夫で……」
夜維斗が頭に向かって手を伸ばしたその時、頭がぐらりと動いて、落ちた。
「なっ?!」
慌てて夜維斗はカウンターを乗り越えて、中に入る。そこには、一人の男が倒れていた。
「だ、大丈夫ですか?!」
さすがの夜維斗も大きな声を出して、男に呼びかける。どうやら呼吸はしているらしく、胸の部分が上下していた。肩を揺らして、夜維斗は呼びかけ続ける。
「しっかりしてください、大丈夫ですか?!」
その時、ぐー、というとても間抜けな音が薄暗い部屋に響く。肩を揺らしていた夜維斗は「え?」と小さく零すと、男の口が小さく開かれた。
「腹、減った」
「で、お前は何だ?」
[オレ? カイっていうのー、よっろしくね]
「そうじゃなくて」
[えーと、文葉の守護霊的な?]
「……意味がわからん」
夜維斗と男――カイはカウンターの奥にある休憩室の、さらに奥にある台所で料理を作っていた。と、言っても作っているのは夜維斗だけだが。
[いやぁ、助かったぜ少年。お前、料理できるからさぁ]
「その少年呼びはやめろ。腹立たしい」
[んじゃあ、夜維斗。でもすげーな、めっちゃ料理上手そうじゃん]
感心したように夜維斗の調理風景を見るカイに、夜維斗は呆れたようにため息を吐く。細かく切った葱を隣で温めていた鍋に入れて、お玉で中身をかき混ぜる。そして火を止めて、鍋の中身をどんぶりに入れた。
「それで、あの人は?」
[井出文葉。ここの店長]
「店長……?」
[ああ、もちろん他に店員なんていねぇからな]
そうだろうな、と夜維斗は納得していた。そして、ご飯を入れた茶碗と一緒に先ほどのどんぶりをお盆に乗せて、キッチンを出た。休憩室のソファには、先ほど倒れていた男でありこの店の店長である、井出文葉が横たわっている。
「……どうすればいいんだ」
[大丈夫。今回は腹減ってるって自覚あるからにおいで目が覚める]
カイの説明になっていないような説明を聞いて、どこの犬だ、と呆れていた夜維斗だったが、テーブルにお盆を乗せた瞬間、文葉の目が開かれたのを見てしまった。
「……」
文葉は起き上がって、目の前にあるご飯とどんぶりの中の豚汁を見ていたが、すぐに箸を取って食べ始めた。数分間、文葉の食べる音だけが辺りを包んでいた。そして、食べ終えた文葉が箸を置くと、ようやく向かい側のソファに座っている夜維斗の存在に気づいたらしい。
「……誰だ」
「……あー、えっと……」
幽霊に頼まれて食事を作りました、なんて言えるはずもない。カイの勢いに負けてここまでしたが、実際に説明するとなるとかなり面倒なことに巻き込まれたのではないか、と夜維斗は激しく後悔していた。しかし、そんな夜維斗の後悔を知るはずもないカイは、ふわりとどこからともなく現れ、文葉の隣に座った。
[文葉、こいつ、お前の命の恩人だぜ?]
「……は?」
カイの声が届いているらしく、文葉はカイのほうを向いて不思議そうな顔をする。そして、それを見ていた夜維斗もまた驚きを隠せないような顔をしていた。
「お前、何して……」
[ああ。夜維斗に言ってなかったっけ? 文葉、見えるヤツなの]
「何の話だ、カイ」
[だーかーら、お前がぶっ倒れてたから、俺がこいつに助けるように言ってやったの]
文葉は理解しているのかしていないのかよくわからない表情を浮かべて、夜維斗を見る。
「じゃあ、さっきのは」
「俺が作りました」
「美味かった」
「あ、どうも」
[いや、違うだろ!!]
カイが文葉の頭を思いっきり叩くと、ばん、といういい音がした。どうやら、物理的に触れることもできるらしい。
[お前さぁ! 一応、こいつ命の恩人だからもっと言う事があるだろ?!]
「……ありがとう?」
[何で疑問系なんだよ!]
とうとうカイが文葉の胸倉を掴んで叫ぶ。このやりとりを止めるべきか否かわからない夜維斗はただ、呆然と見るしかできなかった。正直、見ていて面白いのだが、とは言わなかったが。
「で、お前。名前は」
胸倉をつかまれながらも夜維斗の方を向いて、文葉は平然と尋ねる。一瞬自分に訊かれていることがわからなかった夜維斗は「あっ」と少し詰まらせて答えた。
「月読、夜維斗です」
「夜維斗、か」
ぼんやりとした顔を夜維斗のほうに向けて、文葉は名を呟く。覚える気があって呟いたのか、言われたからそのままオウム返ししたのか、よくわからない夜維斗は小さく頷いた。
それからカイがぎゃあぎゃあと文葉に向かって騒いでいる間に、夜維斗は帰った。扉をくぐりぬけた後、店を振り向いた。
「なんだったんだ、一体……」
自分は何に巻き込まれたのだろうか、と夜維斗は疑問に思いながらその場を去った。
「って、覚えてますか」
「さあ」
夜維斗のいれたこぶ茶をすすりながら、文葉は夜維斗に一言返した。そんな平然とした文葉の態度に呆れたような夜維斗のため息が出た。すると、文葉が「あ」と何かを思い出したかのように口を開いた。
「あの時の豚汁は美味かった」
「……そこかよ」
この人本当にダメだ。夜維斗はがくりと肩を落としていた。文葉は夜維斗が何故肩を落としたのかよくわかっていないらしく、ぼんやりとした顔で夜維斗を見ている。
「何か問題があったか?」
「もう、色々と……」
[夜維斗、諦めろ。文葉はお前と違って、必要最低限のことすら覚えてねぇもん]
「必要最低限は覚えている」
「どこがですか」
必要最低限のことを覚えているというのなら、何故また食事を抜いて倒れるんだ、と夜維斗は目頭を押さえながら大きくため息をつく。文葉と会話するのは、ある意味里佳たちのオカ研の活動に巻き込まれるよりも面倒だと夜維斗は痛感した。
「そろそろ食事抜いて倒れるのやめてください。俺が迷惑です」
「倒れるつもりはないんだが」
[現実倒れてる人間が何言ってんだか]
「寝てただけだ」
カイに対して文葉が返すが、全く説得力がない。これでもう、何度目だろうかと夜維斗は頭の中で数え始めていた。
「この間から週一でカイが俺の所に来るんですが」
「それはこいつに文句言え」
[お前のためだろうが!]
「お前が夜維斗に会いたいから、してるだけだろう」
「文葉さん、それは冗談でも勘弁してください」
[オレだって嫌だぜ……。会うなら里佳ちゃんの方がいいし]
自分が言ったことにどんな意味があるのかよくわかっていない文葉は二人の反応に首をかしげながら、こぶ茶の残りをすすった。