幼馴染の喧嘩は犬も食べれない
それは、何がきっかけだったのか。
「あんたなんか、もう知らない!」
「……好きにしろ」
きっかけが何かはともかく、こう言ってしまったら互いに引き下がれない。それが、喧嘩というものである。
「なあ、仲直りしないわけ?」
「知らない」
光貴が穏やかに尋ねると、里佳はむすっとした表情のままで光貴の顔を見ずに答えた。わかりやすいほど苛立ちの表情を示している里佳に、光貴は呆れたように肩をすくめた。
「あたしは悪くない。夜維斗が悪いのよ、夜維斗が」
悪くない、悪くないもん、とぶつぶつと呟き続ける里佳にため息一つ吐き出し、光貴はゆっくりと里佳から離れた。それから教室の一番後ろの席に居る夜維斗のもとへと向かう。
「月読ー」
「……」
いつもと同じように文庫本を読み続ける夜維斗。しかし、その周辺から漂うオーラは明らかに、いつもと違う。いつもはオーラすら発することは面倒、と言うように空気と同化して夜維斗の存在感は薄いものなのだが、今日は周囲に人を近づけさせないような、刺々しい空気が漂っている。周辺の席の生徒が引きつっている表情を浮かべる理由を容易に感じ取った光貴も、苦い笑みを浮かべた。
「なあ、月読」
「五月蝿い黙れ」
早口でつむがれた言葉は棘だった。別に何も悪いことしてないのに……と光貴は少しだけ寂しく思いながら、やはりそっと夜維斗の下から離れた。
十年以上の幼馴染が喧嘩するとこんなことになるのか、と夜維斗と里佳を見ながら光貴は苦笑いを浮かべた。ただの幼馴染二人が喧嘩するだけなら光貴も放置するのだが、その二人が自分と同じ部活に所属していて、何かと三人セットで動くことが多いとなると、喧嘩モードのままであると苦労するのはその間に挟まれる光貴である。どうにか二人には仲直りしてもらいたいものだが、高校生にもなって他人の喧嘩に口出しするのもどうかな、と光貴は考えていた。
「……とりあえず、様子見かな」
そして翌日。
「避けんな夜維斗!!」
「お前の動きはわかりやすいんだよ」
「何ですってぇ?!」
「……あのね、君ら。ここで大暴れしたら本当に部室壊れるから」
光貴の制止の声は、怒りで頭の容量がいっぱいいっぱいになっている里佳にも、そんな里佳の攻撃を淡々と避け続ける夜維斗にも届いていない。
旧校舎にあるオカルト研究会の部室は、特に使用頻度が低いために老朽化が他の部屋と比べて進行しているように思われる。そんな部室で暴れると、木の床がぎぃぎぃと軋み、壁のひびも先ほどより深く入ったように光貴には見えた。気のせいだと、信じたい。
そんな光貴のささやかな願いを知る由もない里佳と夜維斗は、部室の奥にある本棚の前で喧嘩――というよりは決戦を続けていた。
「こんっ、の! バカ夜維斗!!」
ぶんっ、とキレのいい音がして里佳の強く握られた拳が夜維斗の顔面に向かう。が、夜維斗は自分の顔にぶつかる直前に顔の前に手を出した。
そのまま里佳の拳を受け止めるはずだったのだが、夜維斗が思っていた以上に里佳の勢いは強かった。
「なっ?!」
「きゃっ?!」
どすん、と大きな音がする。それから続いて、ばさばさばさ、とリズムのよい音がして、部屋の中の空気が一気に埃っぽくなった。部屋の隅の一帯が、埃にまみれてまるで霧のようにぼやけている。
「お、おい!! 里佳! 月読!」
予想外の出来事に光貴は慌てて埃の向こう側にいるであろう里佳と夜維斗に声をかける。
「しゅげっちゃーん、あたしは大丈夫ー……」
げほげほと咳き込みながら、里佳はゆっくりと目を開いて光貴に返事をしようとした。が、目の前に現れた光景に里佳は目を大きく開いた。
「……夜維斗? って、ちょっと、何やってんの?!」
「お前、あのパンチ……、女が打つようなもんじゃねえぞ」
里佳の目の前には夜維斗の顔。夜維斗が呆れたように言うと、ばさっ、という音がしてまた一冊、本が夜維斗の背中を直撃した。
「なっ、何?! 何で、あんた、あたしの上にいるのよ?!」
「……里佳ー、それはいろいろ誤解を招く発言だと思うぞー」
光貴はそう言うが、実際は里佳の言葉が示すとおりである。仰向けに倒れている里佳の上に、倒れこまないように両手と両膝を床に就いた状態で夜維斗がいた。女子高生と男子高生がそんな体勢にあったら互いに頬を染めてしまう、というのがよくある展開なのだろうが、この幼馴染は違った。
「何よ、夜維斗のくせに!! あたしを助けたと思ってんの?!」
「……だとしたら、俺は何度お前を助けたと思えばいいんだ」
「はあ?! 調子乗ってんじゃないわよ! こんなの、あたしだけでも何とかなったわよ!」
「……はあ」
怒りを前面に出してくる里佳に、夜維斗は呆れのため息しか出せない。そして、ゆっくりと里佳から離れると、学ランを脱ぎ、背中についたほこりをはらった。それを見ていた里佳の表情から、少しだけ、怒りの色が消えた。
「……まあ? あたしが埃まみれにならなかったお礼は言ってあげてもいいけど?」
そんな言葉に気付いた夜維斗が、里佳のほうを見る。里佳は夜維斗から顔をそらし、腕を組んで立っていた。それを見ていた光貴は、里佳の様子を微笑ましく見ていた。ものすごく不器用な、謝罪だ、と。
「……は?」
しかし、そんな里佳や光貴の心情を知ることもない夜維斗は、ただ単純に、その言葉の意味を聞き返していた。ぴし、と空気にひびが入る音を光貴は聞いた気がした。
「……はあ?!」
そして空気の亀裂から、里佳の怒鳴り声が再び上がる。
「ふっざけんじゃないわよ、夜維斗!! 何よそれ、何でそんな……っ、ああもう!! この、ポンコツ夜維斗!!」
「……誰がポンコツだ、誰が」
「わざわざ丁寧に名前付けて言ってるのに、わからないんですかー? 本っ当にあんたってポンコツね!!」
せっかくの雰囲気も、台無し。そんなテロップが二人の頭の上に見えた光貴は、そっと二人のそばにある窓を開いて埃まみれの空気を入れ替えることとした。
「……ま、見てて面白いからいっか」
ふっと笑いながら光貴は空を見上げて、二人を止めることを、放棄した。