魔法の本と少年と少女

 

 月原高校の図書室には、基本的に人がいない。普段いるのは図書司書の教員と、図書委員の生徒である。テスト週間になれば多くの生徒が勉強をするために図書室に来ることが多いが、普段はがらんとしている。時々、図書委員ですら来る事がないこともある。

 そんな図書室に彼女はいた。長い髪を三つ編みにして、いつも図書室の奥の本棚を見つめている。奥の本棚は古い本しかなく、この本棚があることを知っている生徒は少ないだろう。

 彼女は、そんな人に知られていない奥の本棚のそばにいることが好きだった。人のいない図書室は静かで、彼女にとって心地よい空間だった。奥に行けばさらに静かな空間となり、心が落ち着くような気もした。そして、あたりに誰もいないことを確認して本棚のある一冊に手を伸ばそうとしたとき、だった。

「あ」

 背後から声が聞こえたことに驚いた彼女は、勢いよく振り向いた。そこには、一人の男子学生がいた。

「その本、もしかして読む?」

 男子学生の問いの意味がわからず、彼女はしばらく瞬きをした。それに、彼女は男子学生の姿にも疑問を抱いていて言葉が出なかったのだ。

 彼は制服をきちんと着こなしているのだが、何故かその上に黒いマントのようなものを羽織っている。

「あ、ごめん。急に声かけて、ビビらせた?」

 何も言わない彼女に対し、男子学生は心配そうな顔をして彼女に尋ねた。彼女が小さく首を振ると、男子学生はほっとしたような顔をして笑みを浮かべた。

「よかったー。おれ、結構何にも考えずに言っちゃうから人ビビらせたりすんだよなー」

 変な人だけど、悪い人じゃないみたい。彼女はぱちぱちと瞬きをして男子学生を見つめた。

「そうそう、それであの本。もしかして、これから読むつもりだった?」

 一応読もうと思っていたので、彼女は頷く。すると男子学生は「マジで?!」と大きな声を上げた。彼女はびくりと方を震わせ、それからあたりを見た。図書室には彼女と男子学生だけしかいないようだったが、彼女は口元で人差し指を立てて静かにするように、という注意をした。男子学生が口に手を当てて彼女と同じようにあたりを見た。

「ごめん、つい。で、あの本って読んだことあるか?」

 男子学生は声を小さくして、囁くように彼女に尋ねる。一通り図書室にある本は読んだことがあったので、彼女は頷いた。

「本当か?! うわー、超嬉しい!」

 声を抑えようとしているが、普通のときの声量と同じほどになっている男子学生を見て、彼女は苦笑いを浮かべる。どうして彼は、こんなにも喜んでいるのだろうか。

「この本、おれも読んだことあるんだ。でも、周りで読んだことあるやつって居なくて」

 同士を見つけて、喜んでいるらしい。そうやって理解した彼女は小さく頷いた。確かに、自分が読んでいる本を誰かが読んでいる姿を見れば、少し嬉しくなる気持ちもわかる。そして、男子学生は本棚から話題の本を取った。

「すっげーガキっぽいけどさ、この本って面白くねえか?」

 彼女は頷く。

「だよな! この本読んだときから、絶対この世に魔法ってあると思ったんだよ」

 その本は、小さな魔法使いの物語である。どちらかというと高校生が読むようなものではなく、小学生以下の子どもたちが読むような内容だ。それでも高校の図書室にあるのは、昔の生徒にこの本のファンがいて、図書室に入れてもらったという経緯がある。

「でもさあ、何で魔術がダメでオカルトが有りだと思う?」

 男子学生の問いの意味がわからず、彼女は首をかしげる。

「ほら、オカ研。オカ研があっていいなら、魔研だってあってもいいと思わねぇ?」

 まるで別の国の言葉を聞いているかのように思いながら、彼女はぱちぱちと瞬きをした。オカ研は、何とかオカルト研究会であることは理解できたが、もうひとつの『まけん』というものが彼女は理解できなかった。

「絶対これ読んだら魔術開発研究同好会があってもいい、って思うはずだぜ? なあ」

 そこでようやく、彼女は『まけん』の正体がわかった。そのわかった勢いで頷いたのだが、男子学生はそれを勘違いしていた。

「そうだよな! なあ、もし良かったら魔研に入らないか?!」

 まさかの入会勧誘。驚きのあまり、彼女は一歩身を引いた。魔研、といわれても自分には入ることはできない。おろおろとあたりを見るが、図書室にはやはり、誰も居ない。助けてもらう、というよりはこの異常事態に誰か気づいてくれないかと思ったが、無理のようだ。

「おれ、野木原! 一年の、野木原春弥! それで、お前は?!」

 一歩引いた彼女に対し、男子学生――野木原春弥は一歩彼女に近づいた。

[あっ、アヤネ……]

 名前を言ったあと、彼女ははっと目が覚めたような顔をして口をふさいだ。春弥はそんな彼女――アヤネの様子を気にしていないようで、目をキラキラと輝かせている。

「そうか! それで学年は? クラスは? 他に部活とか入ってるのか?!」

 一気に質問攻めをする春弥。アヤネは泣きそうな顔をして、小さく首を振っていたが、春弥には気づいてもらえなかった。それから、アヤネはぎゅっと目を閉じて春弥に背を向けた。

「……アヤネ?」

[ごっ、ごめんなさい!!]

 震えて裏返ったような声で、アヤネは叫ぶ。それと同時に、走り出した。

「え?! ちょ、アヤネ!!」

 突然走り出したアヤネに驚いた春弥は声を上げて、追いかけた。アヤネが向かった先は、図書室の出入り口。本棚の角を曲がってしまったアヤネを、春弥はスピードをあげて追いかけた。

「待てって!」

 春弥が叫んだと同時に、曲がった先にあった図書室の扉が開かれた。

「あやっ……え?」

「おぉっ……、野木原?」

 驚いたような声を上げたのはちょうど図書室に入ろうとしていた光貴だった。その後ろには夜維斗の姿もあった。

「朱月光貴に、月読夜維斗……?」

「びっくりしたー。どうしたんだよ、そんな走って」

 まさか現れるとは思わなかった人物を見て、春弥はしばらく呆然として二人の姿を見ていた。何も言わない春弥に光貴は首をかしげた。

「おーい、野木原?」

「あっ、ああ!」

 声をかけられた春弥が大声を上げる。突然の大声に光貴がびくりと肩を震わせた。

「なあなあ?! さっき、女の子見なかったか?!」

「おんな、のこ?」

 ぱちぱちと瞬きをしながら光貴は春弥に訊き返す。困ったような顔をして、光貴は夜維斗を見た。

「そうだよ女の子! 三つ編みの、アヤネっていう!」

「アヤネ? 聞いたことねえなあ……」

 首をかしげて光貴が春弥を見る。月原高校のほぼ全ての女子生徒を把握しているはずの光貴がわからないと言うのを見て、春弥が「え?」と声を上げた。

「知らねぇの? っていうか、さっきすれ違っただろ?!」

「いや、誰にもすれ違わなかったけど。なあ、月読」

「……ああ」

 光貴の言葉に夜維斗は頷く。その二人の反応に今度は春弥が大げさな瞬きをして、驚きを隠せないような表情を浮かべた。

「だれ、にも……? で、お前らは、何で……」

「俺は授業で使った本の返却。で、月読も借りてた本を返しに来たわけ」

「そ、そうか……」

 春弥はがくりと肩を落とす。状況がよくわかっていない光貴は不思議そうな顔で春弥を見て、夜維斗は大きな息を吐き出した。

「……そっか。うん、わかった……」

 小さく呟いて、春弥はどことなく悲しそうな声で返事をした後、ぼとぼと図書室を出て行った。そんな様子の春弥を見て光貴は何もわからないというような顔で去ってゆく春弥を見ていた。

「どうしたんだろうな、あいつ」

「さあな」

 どうでもいい、と言いたげな夜維斗の反応に光貴は「ふーん」としか反応できずに、さっさと図書室に入った。一方の夜維斗は、春弥が行った方とは逆の、廊下の隅を見ていた。

「……何、してるんだ」

[えぇっ?!]

 そこには、長い髪を三つ編みにした少女――アヤネの姿があった。しゃがみこんでいるアヤネは驚いたような声を上げて、夜維斗の顔を見た。アヤネの表情は泣きそうな、混乱しているような、どちらにも取れるものだった。

[……本当は、何も言うつもりはなかったのに。彼の、ペースに巻き込まれてしまって]

 それからアヤネは顔を押さえて泣き始めた。泣かせるつもりはなかったのだが、と思いながら夜維斗は大きくため息をついた。

「全く……、それならさっさと成仏でも何でもすればよかっただろ」

[だっ、だって、まだ全部の本読めてなかったし! あと、……私も]

 アヤネは言葉を詰まらせる。何を言おうとしているのか読み取れない夜維斗は、じっとアヤネの言葉を待った。

[私も、あの本、好き、でした……]

「言えばいいだろ、本人に。多分、あいつはお前を探してるぞ」

 むしろ、目の前に居る幽霊の事に関して春弥に突っかかれることを避けたい夜維斗としてはさっさと解決したいことなのである。

[……うん、ありがとう]

 アヤネは頷いて、立ち上がった。そして夜維斗に背中を向けて走り出そうとしたが、一度夜維斗のほうを向いて深く礼をした。

「おーい、月読ー? なにやってんだよー」

 図書室の中から光貴の声がした。夜維斗は走り去るアヤネの背中をしばらく見たあと、大きく息を吐いて図書室に入ったのだった。

 

 

 

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