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何度目に、正直?
やってしまった。なおこは大きなため息を吐き出しながら、現代社会のノートを開いた。
「なおこも運がないわねぇ。現社、再テストなんて」
「本当ですねー」
にやにやと笑いながら言う友人に対し、なおこはむすっとした表情で返す。元々現代社会があまり得意ではなかったなおこにとって、この現代社会の小テストで追試を受けることは予想できていた。が、実際追試となると、周りの友人たちはみな合格していて、受けるのはなおこ一人だけだった。
「はあ……最悪」
「自業自得よ。でも追試は三日間のどれかで受ければいいんでしょ? わざわざ初日にしなくてもいいじゃん」
「さっさと終わらせたいの。それに、最終日とか絶対人多いじゃん」
本日追試を受けるのはなおこともう一人だけらしい。多くの人に自分が追試であることをあまり知られたくないなおこにとって、さっさと終わる上に都合がいいという一石二鳥な話のため、本日追試を受けることにしたのだ。
「いいの? 二人だけとか」
「もう一人、一組のヤツだって言うから問題ないわよ。どうせ関わりないヤツだろうから」
なおこがそう言ったのは昼休み、約三時間前のこと。放課後、なおこは追試会場の自習室に向かっていた。
「あーあ……、全然ノート見れてないのにー……」
ノートを見ながら自習室に入ろうと扉に手をかけたとき、中から声が聞こえた。男の声ということはわかったが、その声は二つだった。
「先生の嘘吐き……」
どこが一人だけ、だ。話が違うじゃないか、と苛立ちを募らせながら、なおこは扉を開いた。
「あ、なおこちゃんだー。やっほー」
「……嘘」
そこには窓際の席でノートを開いて前を向いて座っている光貴と、その前の席に光貴のほうを向いて座っている夜維斗の姿があった。にこにこと手を振る光貴を見て、なおこは持っていたノートを落としそうになった。
「もしかしてなおこちゃんも、追試?」
「もしか、して、って……じゃあ、二人とも……?」
「いや、俺だけ。そんな、月読が追試なんてなるわけないじゃん、なあ?」
にやりとした笑みを浮かべて、光貴は夜維斗のほうを向く。夜維斗はわかりやすいほど不機嫌そうなため息を吐いた。そんな二人のやりとりに、なおこは首をかしげる。
「じゃあ、なんで?」
「俺のために月読がわーざーわーざ教えてくれたんだよ。優しいよなあ、月読は」
「お前が引っ張ってきたんだろうが。ったく……」
ぼやきながら夜維斗は席を立った。光貴が「え?」と声を上げて夜維斗を見上げた。
「あれ、月読帰るの?」
「そろそろ陽田が文句いい始める頃だから、あっち行く。追試終わったら、どうするんだ?」
「もちろん行くつもり。じゃ、里佳によろしく言っといてー」
光貴がひらひらと手を振ると、夜維斗はこの短時間で何度目かと言うような大きなため息を吐いて、なおことすれ違って教室を出た。一連の流れを見ていたなおこは驚きを隠しきれないような表情で、ぼんやりとその場に立っている。
「……なおこちゃん? どうしたの、固まっちゃって」
「え、いや……。月読くんがあんなに話すの、初めて、見たから……」
光貴と同じオカルト研究会であることは知っていたが、どちらかというと口数が少ない、というイメージが強かった夜維斗があんなにも話すとは思っていなかったのだ。
「月読はいつもあんな感じだよ。ま、普段はそう見えないんだけどなあ」
あはは、と笑う光貴に苦笑いを浮かべながら、なおこはため息を吐き出した。それから、扉のすぐそばの席に座った。なおこの座る様子を見ていた光貴が、ぱちぱちと瞬きをしてなおこに声をかけた。
「隣、来なよ」
「えっ?!」
瞬間、なおこの頬が赤く染まる。光貴を驚きの表情で見つめると、相手のほうはにこりと微笑んだ。微妙な沈黙が生まれかけたとき、なおこの口は意思とは関係なく開いていた。
「いいわよ、ここで!」
叫ぶように言うと、なおこは思いっきり顔を光貴から背けた。本当はそんなことを言うつもりはなかった、と激しく後悔しながら、なおこはぎゅっと目を閉じた。
そんななおこの思いを知るはずもない光貴は、小さく微笑んで静かに席を立った。
「なーおーこ、ちゃん」
背後から聞こえた声になおこが振り向くと、そこにはにっこりと微笑んでいる光貴がいた。隣の席に座る光貴の姿を見て、なおこは驚きのあまり椅子をがたがたと揺らし、壁際に寄った。
「なっ、うぁあ?! なんでっ?!」
「うわ、いいリアクション。でも、そんなに引かれるとはショックだなぁー」
「うっ、うるさい!!」
顔を真っ赤にさせてなおこは光貴を指差す。その指先は動揺のせいか、かなり震えている。
「ななっ、なん、なんで、とっ、隣、にっ、いるのよっ?!」
「何でって。だって、教室二人だけなのに距離あったら寂しいじゃん」
「別に寂しくなんかないわよ!」
「あ、俺って結構寂しがりやなの」
「知らないわよ!!」
なおこは再び勢いをつけて光貴から顔をそらし、ノートを開いた。隣からは光貴の視線を感じる。
お願いだから離れてほしい、と切実になおこは思った。今までクラスが同じになったことがないため、隣の席で話すということがなかったなおこにとっては喜びよりも先に緊張がきて、そして、素直になれない自分が出てきた。上手く話せたら、とこの短時間で何度願ったことか。
「ねえ、なおこちゃん」
「……何」
「ノート、見せてくれない?」
「……は?」
光貴の言葉の意味が分からず、なおこは声を上げた。どういうことか、と思いながらノートと光貴を見比べる。
「何で?」
「なおこちゃんのノート、きれいみたいだからさ。ね、どんなのか見せてよ」
「別にきれいでも何でもないわよ。まあ……みたいなら、見てもいいけど」
なおこはノートを閉じ、なるべく光貴と視線を合わせないようにしてノートを差し出した。受け取った光貴は「ありがとう」と言って、ノートをめくり始めた。
「やっぱ違うなあ。本当にまとめてる、って感じ」
「そんなこと、ないわよ……」
「いや、マジで。俺、ノートとか作れないから羨ましいなーって思うよ」
見終わった光貴からノートを受け取ったなおこは、自分のノートを開いた。光貴に褒められた自分のノートがどんなものだったか、一瞬忘れてしまったのだ。
「あ、そうだ。さっき教えてもらったんだけど」
と、光貴の人差し指がなおこのノートに乗った。とんとん、と軽くノートを叩く音を立てて光貴は言葉を続ける。
「ここ。月読が絶対覚えとけって言ってた。多分、出るって」
「え」
なおこは光貴が指差す文字よりも、光貴の指先を見るので頭がいっぱいだった。目の前にある光貴の指は、思ったよりも細くて、でも、男の人っぽい手だ、と思っていた。光貴は「それからー」と指を動かしてまた別の文字を指す。
「これとか。他のはいいから、これは覚えとけ、だって」
「ああ、うん……」
「さっさと終わらせないとねえ。これ、合格するまで続けるって言ってたよね?」
「うん、そう……」
なおこの返事は、聞いているのかどうかよくわからないようなものだった。なおこの様子に異変を感じた光貴がなおこに声をかけようとしたとき、扉が開いた。
「おお。お前ら、そんな近いところにいたのか。さて、テスト始めるぞ」
教室に入ってきたのは現代社会の男性教諭。持っていたプリントを裏に返して、光貴となおこの机の上に置いた。
「ほら、村井。ノート、片付けろ」
「あっ、はいっ」
教諭の声でぼんやりとしていた意識を取り戻したなおこは慌ててノートを机の中に入れた。
「では、始め!」
なおこはプリントを表に返して、問題を読んだ。
「……で、再々テストってわけ?」
翌日の昼休み。なおこの机の上には弁当と、現代社会のノートが広げられていた。そんななおこを友人が呆れたような顔をして見ている。
「しっ、仕方ないでしょ?! できなかったんだから!」
「仕方ない、って……。ただ、単純に朱月に気をとられてテストどころじゃなかった、って話でしょ?」
友人に言われて、なおこはうっと言葉を詰まらせた。それが事実であり、否定できないなおこ。
「だって、隣に朱月が来るなんて、思わないじゃない……」
これ以上は語りたくない、というようになおこは口いっぱいに弁当のおかずを含む。その時、教室の扉が開かれた。
「あ、いたいた。なおこちゃーん」
きゃあ、と教室内で小さな黄色い声があがった瞬間、なおこは口の中のものを喉に詰まらせそうになった。軽く咳き込んで、扉のほうを向くとそこには話題の人物がいた。
「っ、朱月?!」
「ちょっといいかな?」
にこにこと笑いながら光貴がなおこに向かって手招きをする。意味がわからない、という様子でなおこがあたりを見れば、友人たちはにやにやとした笑みを浮かべていた。
「ほら、なおこ。ご指名入ってますよー」
「さっさと行ってあげないとー」
「なっ、何で……?!」
なおこは混乱を隠せないまま、教室を出て光貴の元に向かった。教室の中で変な噂がされていないだろうか、となおこは心配していたが、光貴がこのように女子生徒を呼ぶことなどよくあることなので、実際は誰も気にしていなかった。
「なおこちゃんさ、この間のテスト、合格した?」
「は? 何で朱月に教えないと……」
「実は俺、落ちちゃって。だからさ、もし良かったら一緒に勉強しない?」
「はぁ?!」
傍から聞けば普通の流れなのだが、なおこにとっては意味のわからない展開だった。何か言おうと口を開くが、言葉が出てこない。
「この間のノート、わかりやすかったからもっと詳しく見せてもらいたいし。あと、俺も月読に教えてもらったところとか聞いたから、一緒に勉強したらいいかなーって……もしよかったら、今からとか大丈夫?」
「断る!! あんたみたいな奴と勉強しても、頭に入るわけないでしょ?!」
「ひっどいなあ。俺、結構教えるの得意なんだけどー」
「知らないわよ! 勉強するなら一人ですれば!!」
朱月と一緒に勉強したところで、そっちの内容が入るはずがないでしょ! とは言えないなおこは走るようにして教室に入った。
怒鳴られた光貴はしばらくぽかんとした表情でその場に立っていたが、その現場を目撃した里佳によってからかわれていた。
一方のなおこは教室に入った途端、一気に力を無くしたようにその場に座り込んだ。
「な、なおこ……?」
廊下の怒鳴り声がまる聞こえだった二年四組の一同は、気まずい表情でなおこを見ていた。そんな視線も、友人がかけた声も、今のなおこには全く届いていない。
「バカ……」
「え?」
「朱月の……っ、バカぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
なおこの泣きそうな叫び声は、里佳にからかわれている光貴の耳に届くことはなかったのだった。