守るモノと守られる者
「お前らどうせ今週末暇だろ。わたしの家に来てくれないか?」
普段はあまり活動に関与しないはずのオカルト研究会顧問のまゆみが急に部室に来て、そんなことを言い出した。一瞬、里佳も光貴も夜維斗も、その言葉の意味が分からずにまゆみの顔を見つめるしかできなかった。
「え? もしかして、先生の家で合宿、とか?」
「ぶー。残念なことに違うんだよなあ、陽田」
里佳の言葉にまゆみがにやりと笑いながら楽しそうに返す。一体なんなんだと興味津々の里佳と光貴はまゆみを見つめ、全く興味のない夜維斗は持っていた本を読み続けていた。そしてまゆみは少し息を吸って、秘密ごとを言うように小さな声で言った。
「わたしの家の、片付け」
「……は?」
聞き違いか、と思って光貴はまゆみに聞き返した。
「だから、わたしの家の片付け。ほら、朱月が掃除得意って聞いたからさあ」
「どういう情報ですか、それ……」
「人が多いほうが助かるし、こういうの頼めるのって部活の生徒とかかなーって思ったらお前らがいたし」
「先生ー、部活の生徒は先生のパシリじゃありませーん」
ぶーっと頬を膨らませて里佳が手を上げて反論した。珍しく里佳が正しいことを言うので、夜維斗が話を聞きながら小さく頷いていた。
「お前ら興味ないのか? 先生がどんな風な生活しているのかって」
「うーん、そういわれたら興味がないとは言えないわねぇ……」
「確かに。まゆみ先生って一人暮らしでしたっけ?」
光貴が尋ねるとまゆみは「そうそう」と言いながら困ったように息を吐く。
「やっぱり、一人で暮らすと大変だぞー? 自炊とか掃除とか洗濯とかなぁ」
「先生料理できるの?」
「あんまり。だから結構惣菜頼りだな」
そういうまゆみを、里佳と光貴は少し同情の目で見る。いい年した女性が一人暮らし。それが料理も得意じゃない上に、片付けも苦手となると嫁の貰い手は少ないだろう。そう思って、里佳は「わかった!」と声をあげた。
「じゃあ、日曜日! まゆみ先生の家の大掃除計画ね!」
「さっすが陽田! わかってるなぁー」
「仕方ないなあ、まゆみ先生の頼みと言われたら断れないしね」
「あー、朱月! お前はいい男だなー!!」
まゆみの視線は夜維斗に向けられた。徹底無視を貫くつもりの夜維斗だったが、その視線が三つになったことに気づいてゆっくりと首を動かした。
「月読ー。俺、片付け頑張るからお前の料理が食べたいなぁ」
「これも活動のひとつだ。しかも、顧問直々に命令した、特別な活動な」
「いいじゃない夜維斗。あんた、一人暮らしのプロなんだからまゆみ先生に教えてあげなさいよ」
また巻き込まれるのか、と夜維斗は諦めの大きなため息を吐いた。それを聞いて里佳と光貴がぱん、と互いの手を合わせて鳴らして、まゆみは強く頷いた。
そして、日曜日。
「うあぁぁ?!」
最初にまゆみの家に上がった瞬間、夜維斗よりも先に歩いていた光貴が突然転んだ。その前を歩いていたまゆみと里佳が驚いたように振り向くと、そこには尻餅を打って「いってぇー……」と腰のあたりを押さえている光貴の姿があった。
「どうしたのしゅげっちゃん?!」
「なんか踏んだ……なんだ?」
「缶、だな」
夜維斗が言うとおり、光貴の足元にはビールの缶が転がっていた。ついで言うと、床にはビニール袋や使い終わったスプレーの缶などがごろごろと置かれている。置かれているというか、放置されているというか。
「想像以上にひどいわね。先生、本当に女の人?」
「陽田、そういうのは男女差別って言うんだぞ。世の中だらしない女性なんていくらでもいるんだ!」
「胸張って言うことじゃないですよ先生……」
里佳の言葉にまゆみが胸を張って答えれば、光貴が立ち上がりながら苦笑いを浮かべて言う。そんな様子を後ろで夜維斗は呆れたように見るのだった。そして、自分の足元に転がってきた缶を拾い上げて、本日最初のため息を吐く。
まゆみの家は、一人暮らしというにはやけに大きな家だった。
「元はね、亡くなったばあちゃんの家だったのさ。うちの家族は家族でマイホームがあるから引越しもできないし、しかもこの家は立派だから壊すのももったいないし」
「え、おばあさん一人で暮らしてたの?」
「じいちゃんと一緒だったよ。でも先にじいちゃんが亡くなってばあちゃんは一人暮らし。本当は一緒に暮らそうって話もあったんだけど、ばあちゃんがここに居たがって」
言いながら、まゆみは天井を見上げた。少し息を吐いた後、まゆみは三人のほうを向いてにっと笑った。
「で、空いた家がちょうど学校の近くだったから、わたしがここに暮らしてるってわけ」
「にしても先生……、そんな立派な家を持て余してる気がするんだけど……」
しんみりしかけた雰囲気を崩すように、里佳が言った。事実、家はちらかり放題といった様子である。
「だからお前ら呼んだんだって! 陽田と朱月は私と一緒にあっちの部屋の片付け。で、月読は食事係な」
「食事……」
「あ、エプロンはこれ使え」
そう言われてまゆみから受け取ったのは明らかに女性用、と言ったようなピンク色のエプロンだった。それを持つ夜維斗の姿を見て、里佳と光貴が同時に吹きだした。
「うあぁぁぁ?!」
どん、とまた大きな音がする。それを聞いてまた夜維斗はため息を吐いた。夜維斗の予想通り、光貴はまた転がってきた缶を踏んで転んでいた。さすがの里佳も呆れたような顔をして光貴を見た。
「しゅげっちゃーん、またぁ?」
「まただー……って、先生これ空いてない缶じゃん!」
「あれー? こんなところにもあるんだぁ。あっははははは」
光貴が半ば怒鳴るようにまゆみに言うが、まゆみは気にしていない様子で笑っている。本当にいい年した女性なのだろうか。
「先生、本当にお酒好きねぇ。でも、あんまり部屋は臭くないね」
「失礼だなあ。ちゃんとそういうスプレーも使ってるの」
「ああ、なるほどおぉぉ?!」
立ち上がろうとした光貴は再び転ぶ。今度はうつぶせに倒れた。
「しゅげっちゃん! 大丈夫?!」
「うぅーっ……いってぇ……」
泣きそうな声を上げる光貴の足元には、つい先ほどまゆみが言っていた部屋用のスプレーが転がっていた。
「……全く」
食事係を任された夜維斗は台所で昼食用のチキンライスを作っていた。そのとき、夜維斗の背後にあった食器棚の扉がひとりでにゆっくりと開かれた。
「……」
隣の部屋で里佳と光貴とまゆみがぎゃあぎゃあと騒ぎながら片付けをしている。夜維斗は面倒くさそうな顔を浮かべて材料を炒めている。開かれた食器棚からかちゃかちゃと小さな音がするが、里佳たちの騒ぎ声にかき消されていた。
瞬間、食器棚から皿が一枚飛んだ。皿が、夜維斗の後頭部にぶつかる――前に、夜維斗の手に掴まれた。ちゃんと火を止めて、食器棚のほうを向いている。
「……何だ」
食器を掴んだ夜維斗は、食器棚の方に向かって言った。それは何が起きたかわからないといった様子ではなく、むしろそこにいる誰かに問いただすような口調だった。
[……気づかれましたか]
夜維斗の耳に、男の声が響く。それから食器棚の前に、一人の男が現れた。男は睨むように夜維斗を見つめている。
[申し訳ありませんが、さっさとここから出て行ってもらいましょうか]
口調は丁寧だが、男の声には刺々しいものが含まれていた。本当に面倒ごとに巻き込まれたな、と思いながら夜維斗はため息を吐いた。
「誰だ、お前」
[この家の者です]
「は?」
はっきりとした口調で言う男は、もちろん生きているモノではない。夜維斗はわかりやすいほど面倒くさそうな顔をして男を見た。
「名前は?」
[ヤナギと申します]
「で? さっきから何してんだお前」
夜維斗に言われて、ヤナギは驚いたような顔をした。
[さっきから……ということは、気づかれていたのですね]
「気づきたくなくてもな……」
そう言って、夜維斗は隣の部屋のほうを見た。先ほどから光貴の足元に缶が転がってきたのはヤナギの仕業だったらしい。もちろん、夜維斗は部屋に入った時点から『何か』がいることには気づいていたため、転ぶことはなかったのだが。
「出て行けって言うのはどういう意味だ?」
[どういう意味も何もありません。出て行っていただきたいのです]
「何で」
[あの人につく、悪い虫は払わねばなりませんから]
あの人、と言われて一瞬誰のことかわからなかった夜維斗だったが、隣の部屋から聞こえてきた声で思い出した。
「杉原先生?」
[先生かどうかは知りませんが、彼女を守るのが私の使命です]
これはやっかいだな、と夜維斗がため息を吐きながら頭をかいていると、
「つっきよっみー! ご飯できたぁ?」
にこにこと笑いながら楽しそうにまゆみが台所にやってきた。そのまゆみの顔を見た瞬間ヤナギの先ほどまでの鋭い目つきが緩くなり、幸せそうな顔をしてまゆみの方を向いて言った。
[あゆみさん!]
「あゆみ?」
驚いたような顔をして、まゆみが呟く。それを聞いた夜維斗も驚きを隠せないような顔をした。
「あゆみっていうのはうちのばあちゃんの名前。で、この半透明人は何だ、月読?」
しばらく呆然としていた夜維斗だったが、まゆみに「あゆみ」という名に心当たりがないか尋ねたところ、このような返答があった。そして、まゆみはヤナギのいるあたりを指差しながら興味ありげに夜維斗に尋ねた。
「……さあ」
もちろん、関わり合いたくない夜維斗はごまかすような返事をした。実際、ヤナギのことを何も知らないのでそう答えるのも間違いではないのだが。
「それよりも、見えるんですか」
「何が?」
「こいつ」
夜維斗が指差す先のヤナギは先ほどまでの鋭い視線が嘘のように、穏やかに微笑んでいる。まゆみは夜維斗の言葉を受けて数回ほど瞬きをしたが、「ああ」と言って頷いた。頷くのかよ、と夜維斗は内心ツッコミを入れる。
「見えてた。でも別に何もしてこないからいいかな、って」
「何もしてこない、ですか……」
夜維斗がちらりとヤナギに視線を送ると、いつの間にか夜維斗のほうを睨んでいた。これのどこが無害なんだ、そう思いながらも言えない夜維斗は、大きく息を吐いた。
「で? こいつって何者?」
「俺は知りません」
夜維斗の言葉を聞いて「えー」と不満げにまゆみが声を上げた。しかしヤナギについて何も知らない夜維斗にとってはそれしか答えられないのだ。
[しかし、私はどうやら勘違いをしていたようですね……この方は、あゆみさんではなかったとは……]
「はぁ……」
[あゆみさんはもっとおしとやかで、女性らしく、性格も落ち着いていて、それから――]
夜維斗の隣に居るヤナギがぺらぺらと話し始める。夜維斗が大きなため息を吐くと、まゆみが首をかしげる。
「お? どうしたんだ、月読?」
「いえ、別に……」
「せーんせー! 夜維斗ー! ご飯はー?!」
その時、里佳が部屋から出て夜維斗たちに声をかける。同時に、ヤナギの姿がすっと消えた。
「おお、そうだった。月読、できた?」
「あー、はい」
「よーし! じゃあ、朱月も呼んで昼飯にするぞー!」
まゆみが勢いよく言うと「はーい!」と里佳が手をあげ、夜維斗は返事代わりに大きなため息を吐いた。そしてそんな様子を、少し離れた場所からヤナギが見つめていた。
[私は一体、今まで何をしていたのか……]
本来なら、あゆみを守るためにずっとここに居たのに。もう潮時だろうか、と握ったり開いたりしている半透明の手をヤナギは見つめながら考える。
[何ででしょうかねぇ……楽しいと、思ってしまったんでしょうか]
もう、自分は居なくてもいいはずなのに。
[もう少し、ここに残ってもいいでしょうか? あゆみ、さん]
小さく微笑みを浮かべながら、ヤナギは天を見上げる。