学生と店長と幽霊
「いやぁ、テストが終わったって幸せ!」
両手を挙げて里佳がスキップをする。その顔には言葉どおり幸せそうな笑みがくっついており、スキップをする足取りもいつも以上に軽やかなものだった。
「見てるこっちも幸せ受けそうだぜー、里佳」
「やーん、ありがとうしゅげっちゃん!」
「それにひきかえ……」
と、光貴が隣の夜維斗を見れば、いつも通りの疲れたような顔をしている。
「月読ー、お前さぁ」
「何だ」
「何でテスト終わったのにそんな暗いわけ? お前も、もうちょっとはしゃいじゃえよ」
光貴が言うが、夜維斗にはテストが終わっただけで何故はしゃぐ必要があるのか理解できなかった。それ以上に、これから疲れることがあるのだ。
「お前らに昼飯作らないといけない中で何ではしゃがなくっちゃいけないんだ」
「いいじゃなーい。夜維斗の家、近いしー」
「それに月読の飯美味いしー」
「……はぁ」
こいつらといると、疲れる。そんな思いを込めてため息を大きく吐いたが、里佳と光貴には伝わらなかったらしく、二人は夜維斗の両隣に立った。
「ほらー、そんな風にため息吐くと幸せが逃げるらしいぜー」
「そうよ! 幸せが逃げるだけじゃなくって、オカルトも逃げるって偉大な先生が言ってたわ!」
「何処の誰だ、その偉大な先生って」
「そんなのあたしに決まってるでしょ?」
里佳の熱弁と光貴の笑い声に夜維斗は肩を落とした。今日も疲れるだろうな、と考えていた夜維斗だったが、それ以上の疲れが襲ってくるとはその時考えもしていなかった。
「あっれー、夜維斗じゃーん!」
突然、三人の後ろから声がかかる。三人が振り向くと、そこには赤銅色の髪の男がいた。にこにこと笑って、三人に向かって手を振っている。
「あれって……文葉さん?」
里佳が驚いたように言うと、光貴が頷く。驚きの表情を浮べる里佳と光貴に挟まれている夜維斗は、手を振っている文葉に向かって鋭い睨みを飛ばしていた。そんな夜維斗たちに気付いているのかどうかわからない文葉はにこにこ笑ったまま三人に近付く。
「やっほー、夜維斗! 元気そうだなぁ!」
「ああ、はい、先日会ったばっかりですから」
苛々とした様子で夜維斗が早口に答えるが、文葉は笑顔を崩さないで里佳に顔を向けた。
「あ、君この間来てたよねー。えーっとオカルト研究会、だったっけ?」
「あ、はい。オカルト研究会会長の、陽田里佳です」
「そっかー、里佳ちゃんかぁー。へー、かわいいねぇー」
文葉の顔はどちらかといえば整っている方なので、にこりと笑えば里佳でも頬を赤らめてしまうのである。そんな里佳の様子を見て光貴が複雑そうな顔になる。
「な、なんだかご機嫌みたいですね、文葉さん」
「えーっと、誰だっけ?」
「オカ研の会員、朱月光貴です」
「へー。で、里佳ちゃんさー」
光貴の話を一蹴。里佳に話し掛ける文葉の姿を見て光貴は夜維斗の方に、助けを求めるような瞳を向けた。
「あれ、文葉さんだよな……? 前会った時と全然違うよなぁ……」
「あー、まあ、そういう人だ」
光貴に適当に言った夜維斗は、少ししゃがんで里佳に話し掛けている文葉に近付いた。それから思いっきり文葉の耳を引っ張った。
「いだだだだだだっ?!」
「何してるんですか」
本気で痛がる文葉に対して、夜維斗の表情は先ほどよりも疲れたような顔になっている。文葉に声をかけられていた里佳ははっと目覚めたような顔をして、瞬きをした。
「あっ、夜維斗?! 何してるのよ!」
「別に。コミュニケーション」
「ひでぇぇぇぇぇっ、い、いでぇぇぇぇぇ!!」
半泣きになりながら叫ぶ文葉の声を聞いて、夜維斗は指を離した。文葉が引っ張られて赤くなった耳を押さえている前に夜維斗が呆れたような顔で文葉に尋ねた。
「で、何の用ですか」
「そう夜維斗! ちょっと、来てくれないか!」
耳を押さえたまま文葉が夜維斗に頼むと、夜維斗は「やっぱりな……」と小さく呟いた。
「悪い。こっち行く」
「えぇー……」
「まあ、仕方ないわよー」
夜維斗が言うといつもとは反対な光貴と里佳の反応が返ってきた。どうやら里佳は先ほどの文葉のアピールが気に入ったようで、逆に光貴は気に食わなかったらしい。
「いってきまーす」
にっこりと文葉が里佳に向かって手を振ると、里佳も「いってらっしゃーい!」と楽しそうに手を振り返した。その隣の光貴はむっとしたような顔をしている。そんな二人に見送られながら文葉と夜維斗は共に歩き始めたのだった。
「……里佳、なんか文葉さんのこと気に入りすぎじゃねぇか?」
「そういうしゅげっちゃんは、やけに文葉さんにイライラしてなかった?」
「で、何の用だ。カイ」
「あ、ばれてた」
べっ、と舌を出しながら文葉――の中に入ったカイが言うと、夜維斗がぎろりとカイを睨む。
「ばれないと思ったのか。俺に」
「いやー、ごまかせるかなって。あ、でも二人には内緒にしてるんだ? 見えること」
「言う必要もないからな」
「へぇー」
「で、お前は何しに来た」
話を反らすな、と言いたげな夜維斗の声にカイは小さく舌打ちをした。
「何しに、って言う必要がありますか? 夜維斗さん」
「……またか」
「いえーす!」
楽しそうに言うカイに夜維斗は眉間の皺を寄せた。明らかに、「面倒ごとに巻き込まれた」といった顔をしている。
そうこうしている間に、二人は『刀屋』に辿り着いていた。さっさと店内に入るカイに対して、夜維斗は大きく息を吐いてから店に入った。一歩進むごとにぎ、ぎっ、となる床の音を聞いて夜維斗の表情は険しくなる。
「あーあ、つっかれたぁ」
店の一番奥の休憩室にあるソファに倒れこんだカイは大きく息を吐く。その瞬間、文葉の体から半透明のカイがふわりと浮いて出てきた。
「何度見ても慣れないな、この光景」
[慣れてもいいことはねぇだろうけどなー。ま、俺としては楽しいから何でもいいんだけど]
へらりと笑うカイを見た後、夜維斗は文葉に目を向けた。ソファに倒れこむように座っている文葉は、すーすーと寝息を立てている。
「……寝てたのか」
[そうじゃなきゃ、俺が入るわけねぇだろ]
「確かに。それで、また食べてないのか?」
夜維斗が言った直後、カイは夜維斗の手を掴んだ。その顔は、先ほどまでの笑みではなく、泣きそうなものだった。
[そうなんだよぉ! まただぜ?! また、こいつ飯食わねぇの!]
「冷蔵庫は?」
[前に買ったのが残ってるはず、なんだけど……]
カイの泣きそうな声を聞いて、夜維斗は大きくため息を吐く。そして夜維斗は台所に向かい、冷蔵庫を開けた。中には夜維斗がつい先日確認したときと変わらないものが入っている。いくつか手にとると、まだ賞味期限などは切れていないようだ。
「……ったく、何やってんだか」
数分後。
「……夜維斗」
「お目覚めですか、文葉さん」
ソファで寝ていた文葉が目を覚ますと、向かいのソファには夜維斗がどんぶりを持って座っていた。どうやら、食事中だったらしい。視線をテーブルに向けると、文葉の前にもうどんが入ったどんぶりが置かれている。白い湯気がふわふわと立っている。
「何で、ここに」
「何でだと思いますか」
「……カイか」
ゆっくりと体を起こして、文葉は辺りを見る。
「あいつは」
「さあ」
それだけ答えて、夜維斗はずずずと麺をすする。文葉はまだ眠たそうな目をしていたが、目の前にあるどんぶりと箸を手にとって、麺をすすった。
「何で、飯食わなかったんですか」
「あ?」
先に食べ終えた夜維斗は文葉に尋ねた。文葉はしばらくぼうっとしたような目で夜維斗を見つめていた。
「……そうだったのか」
どうやら、食事をしていないことに気付いていなかったらしい。夜維斗は大きく息を吐いた。もう、これで何度目だ、という思いを込めて。
「文葉さん」
「何だ」
「もうちょっと人らしく生活したらどうですか」
「考えておく」
それだけ答えて、文葉はずずずと麺をすすった。
「カイ」
[んー?]
文葉が食事を終えた後、夜維斗は台所で食器を洗っていた。そのついでに、また別の食事も作っている。
「お前ってさ、何で文葉さんのそばにいるんだ?」
ずっと夜維斗の隣にいるカイに、夜維斗は訊いた。カイは、少し驚いたような顔をしたが、すぐに笑った。
[今の見てたらわかるだろ。俺がいなくなったら文葉、絶対死ぬぜ]
「……確かに、そうだろうけど。でも、何で」
[んー、あいつのそばが一番楽しいからじゃね? ほら、文葉のそばにいたから夜維斗にも会えたわけだし]
答えを聞いた夜維斗のほうが、今度は驚いた顔をしている。そんな夜維斗の顔を見て、カイがぷっと吹き出した。
[何だよ、その顔。うっわー、里佳ちゃんとか光貴くんに見せたら絶対良いリアクションしそう]
「あいつらは関係ないだろ……」
[いやいや、夜維斗。自覚ないかもしんないけどな、お前、あの二人のそばにいる時一番生き生きしてるぞ]
「……まさか」
夜維斗が答えると、カイは楽しそうに笑った。そんな笑みの理由がわからず、少し荒い口調で夜維斗は尋ねる。
「それと、お前が文葉さんのそばにいる話はどう関係するんだ」
[それと一緒って話。ま、文葉には俺が『ついて』ないとさ。俺、文葉の守護霊様だし]
「自称、だろ」
夜維斗が言うと、カイは笑った。