男のタテマエ、男のホンネ
「へ? 柔道の大会?」
里佳から話を聞いた光貴は、素っ頓狂な声を上げる。ぱちぱちと瞬きをする光貴に里佳は「そうそう」と頷いて、紙パックジュースを飲んだ。
「柔道の大会って、何で里佳が?」
「頼まれたのよ。何か、一人捻挫しちゃったらしくって、団体が出られないからって」
「あー、なるほどね」
その話を聞いて、光貴は納得する。里佳は、オカルト研究会を立ち上げる前は柔道部に所属していて、その成績は県大会に出場するほどもの。そんな生徒に代理を頼むことは、何らおかしいことではない。
「それで、里佳出るわけか」
「そ。だから、しばらく練習するからオカ研の活動は休止! あ、でもその間に二人で最低でも三つぐらいは何か面白い情報見つけてよ?」
「了解。大会は応援しに行くぜ」
「ありがとー、しゅげっちゃん!」
里佳は立ち上がり、光貴の腕に抱きつく。
と、こんな話をしたのが大会の二週間ほど前で、現在は大会が終わってから三日後である。
「いやー、久しぶりにここに入るって気がする!」
その日の放課後、久しぶりにオカルト研究会の活動が行われることとなった。里佳と光貴、それから夜維斗もいつも通り物理準備室に入って、それぞれ適当な椅子に座る。
「んで? 何か面白い情報は?」
「真中高校の周辺で変人が出たって噂を聞いたけど。あと、朝弓中でまさかの七不思議」
「やっぱりそれ、しゅげっちゃんが知らなかっただけじゃん! どこでも七不思議はあるのよ!」
「マジかよー。で、後はうちの高校で、保健室の美女を見たって話ぐらいかな」
光貴は笑って両手を挙げた。それが光貴の調べた結果らしい。里佳はその報告を聞いて満足そうに頷き、それから本を読んでいる夜維斗を見た。
「で、夜維斗は?」
「……は?」
「は? じゃ、ないわよ! 調べてきたんでしょ?!」
夜維斗はしばらく里佳の顔と光貴の顔を見た。どうやら、本当に忘れていたらしい。里佳は呆れのようなため息を大きく吐く。
「全く、自分に都合の悪いことはすぐに忘れて! ついでに英単語二千語ぐらいぶっ飛べばいいのよ」
「あー……そういえば、言ってたな」
「今思い出しても遅いっての……どうせ月読、何にも調べてないんだろ?」
光貴が尋ねると、夜維斗はこくりと頷く。元々調べる気なんて無かったのだろう、と光貴は苦笑いを浮べた。
「んー、まあいいわ。しゅげっちゃんが思いのほか調べてきてくれてたからね!」
「思いのほかって……俺、そんなに期待されてなかったのか?」
「えーっと、じゃあまずはー……」
と、里佳が光貴のネタについて聞こうとしたときだった。
「頼もう!!」
勢いよく扉が開かれ、怒鳴り声に近い大声が三人の鼓膜を震わせた。
「……高島?」
里佳は怒鳴り声をあげた主を、怪訝そうな顔で見る。そして、声の主である高島暁彦(タカシマアキヒコ)はむすっとした顔で、室内を見ている。里佳と暁彦の間にある、ただならぬ空気を感じた光貴は里佳の耳元で尋ねた。
「え、里佳……誰?」
「高島暁彦。柔道部の二年生」
「へー?」
光貴は暁彦を上から下から、確認するように見た。暁彦はそんな視線に気付いていないようで、里佳をじっと睨んでいる。
「で、どうしたのよ高島。何でオカ研に来たの? あ、もしかして入会?」
「違う!」
里佳が尋ねると、暁彦は強く否定する。その反応は里佳の予想通りだったらしく、「でしょうね」と里佳は返した。
「なら、ネタ提供? いやぁ、助かるわ。今、ちょうどネタあればなーって思ってて」
「そうじゃない!」
「じゃあ何よ?!」
「まあまあ、里佳落ち着け」
お互いに声が荒くなり始めた暁彦と里佳の間に入ったのは光貴だった。光貴は里佳の肩に優しく手を乗せ、それから立ち上がって暁彦の真正面に立った。
「じゃ、冷やかしってヤツか、高島クン?」
「ああ?」
わずかに背の高い光貴に見下され、暁彦は苛立ちを露わに声を上げる。一方、見上げられている光貴は笑みを浮べているのだが、その目元に笑みは映っていない。
「っつーか、邪魔だ朱月。お前に用はない」
「俺、オカ研の窓口担当だから。ほら、物事は穏やかに済ませたいだろ」
「うるさい! 俺は、陽田に用があんだよ!!」
「じゃあ、さっさと言いなさいよ!」
里佳の言葉を受けると、暁彦はまるで先ほどまでの勢いを無くしたかのようにうっ、と言葉を詰まらせた。そんな暁彦の様子を見て里佳は引きつったような顔になり、里佳も里佳で勢いを失ったような声を上げた。
「……な、何よ」
「お前、もしかして……」
光貴は薄々、嫌な予感を感じていた。そんな光貴をよそに、暁彦は叫んだ。
「陽田! 柔道部に戻って来い!!」
「……はぁ?!」
里佳と光貴は同時に声を上げる。関与すまい、と思っていた夜維斗も暁彦の言葉に驚きを隠せないような顔をして、叫び主の暁彦を見た。
「何それ? はぁ?! 意味わかんないですけど!!」
とうとう里佳は立ち上がり、光貴を押しのけて暁彦の前に立つ。
「そのままの意味だ! こんな活動やめて、さっさと戻って来いって言ってんだよ!」
「そこが意味わかんない! 何であたしが、オカ研を辞めなくっちゃいけないのよ!」
「だーから、里佳落ち着けって!」
お互い叫びあう暁彦と里佳の間に光貴が入る。里佳の肩に手を乗せるが、里佳の方は唸っている犬のように「うー」と声を上げている。
「で、何? 何で里佳に戻って来て欲しいわけ? 高島クン」
「君付けするな、気持ち悪い」
「じゃあ高島。理由をさっさと説明しろよ」
言い方は穏やかに聞こえるが、実際は光貴も苛々している。言葉の小さなところに刺のようなものが含まれていた。
「この間の大会。陽田、お前あんな成績残していいのか?」
「何よ。個人の部で五位、団体は三位で何か文句あるわけ?」
「むしろいいほうじゃねぇか」
里佳と光貴の言葉を聞いて、暁彦は頷いた。何故頷かれたのかわからない二人はぱちぱちと瞬きをする。
「そう、いいんだよ。いいから、俺は戻って来いって言ってるんだよ」
「はぁ?」
「お前はそこまでできるのに、柔道部を辞めたら勿体無いんだよ!」
予想外の褒め言葉に、光貴は驚く。今までの口調からして、里佳のことを馬鹿にするのかと思っていたので、その言葉に反応ができなかった。しかし、里佳はそれを褒め言葉と受け止めていないらしい。
「ふっざけんじゃないわよ! 何であんたなんかにあたしのことを決められなくっちゃいけないのよ!!」
「なっ……」
暁彦の顔に、『せっかく褒めたのに』という文字が浮かぶ。だが、それだけで怯むような暁彦ではなかった。
「お前はできることがあるのに、逃げてるだけじゃねぇか!」
「逃げてなんかないわよ! 逃げるんだったらね、最初から大会の補欠だって出ないわよ!」
「ならなんで力加減した?! お前、あの時優勝だってできたはずだ!」
暁彦の言葉に、里佳がうっと詰まる。夜維斗はそれを見て、小さく息を吐いた。
「確かに」
「夜維斗?!」
「あの試合、お前勝てただろ」
そうだったのか、と光貴は夜維斗の顔と里佳の顔を見比べる。里佳は小さく俯き、制服の端をぎゅっと握っていた。そんな里佳を見て、暁彦も冷静さを取り戻したらしく、少し声色を弱くして里佳に尋ねる。
「何でだよ、陽田……。あの試合も、勝てるはずだったのに」
「勝ったら、余計言われるじゃない」
「もしかして、柔道部に戻らないため?」
光貴が問うと、里佳は頷いた。
仮にあの大会で里佳が優勝したら、柔道部は里佳をまた部に戻そうとするだろう。そんなことをわかっていた里佳はあえて勝たない、という道を選んだ。
「そうよ。あたしが今したいのは柔道じゃない、オカ研よ」
「何でだよ!」
「あんたには関係ないでしょ、高島!」
里佳は睨むように暁彦を見る。その鋭い瞳に、一瞬暁彦はたじろいだが、それでも暁彦は言葉を続けた。
「関係あるんだよ!」
「何が!」
「俺が、お前に勝つまで、柔道部を辞めんじゃねぇよ!!」
暁彦の叫びに、しん、と空気が静まる。里佳も光貴も、大きく目を見開き、夜維斗は手に持っていた本を落とした。
「……はい?」
里佳が訊きかえすと、暁彦の顔が一気に赤く染まる。暁彦の赤い頬を見て、光貴は確信した。
「やっぱり、お前……」
その続きは、光貴の口からは出なかった。里佳は、目の前にいる暁彦の顔色の意味がわからず、光貴と夜維斗の顔をきょろきょろと見ていた。しかし光貴はそんな里佳に気付いておらず、暁彦を睨んでいる。
「や、夜維斗……」
里佳の声には「助けて」というような意味も含まれていた。どうしたものか、と思いながら夜維斗は落とした本を拾って机の上に置き、里佳のそばに行った。
「……で?」
「で、じゃないわよ! この状況、どうにかしなさい!!」
「どうにか……って」
自分がどうにかできるものではない。夜維斗ははっきりと理解していた。夜維斗は睨み合う光貴と暁彦の顔をそれぞれ見た。
「お前ら、落ち着けよ」
「安心しろ、月読。俺は超、冷静だから」
穏やかに言う光貴だが、目はまるで獲物を狙う獣のもの。久しぶりにこんな光貴の顔を見る、と夜維斗は小さくため息を吐く。
一方の暁彦の瞳も光貴に向かっての敵意が剥き出しだった。試合のときですら見せないような、気迫さえ感じられる。しかし、暁彦は小さく息を吐いて首を振った。
「……もう、いい。今日は、帰る」
そう言って物理準備室を出る暁彦。扉をくぐり抜ける時、暁彦はぎっと光貴を睨んでいた。
「全く、何なのよ!」
むっとした表情の里佳はどすん、と大きな音を立てて椅子に座った。夜維斗と光貴は、暁彦がいなくなった扉の向こう側をぼんやりと見つめている。
「……朱月」
「何だよ」
「頑張れよ」
「……は?!」
光貴が大きな声を上げて夜維斗の方を向くと、そこには既に夜維斗の姿はなく、いつの間にか定位置で本を読んでいる。予想もしなかった励ましに、光貴は口元に手を当てて小さく呟いた。
「ライバル、登場ってヤツか……?」