生き抜くための計算は、もう飽きた。
「だから、一緒に逃げ出そうか」
「……は?」
予想通りのリアクションに、ぼくは笑う。そんなぼくを、きみは怪訝そうな顔で見る。
「何、それ。っていうか、何が『だから』なの?」
「あれ、言わなかった? 生き抜くための計算は、もう飽きた、って」
「言ってないけど。っていうか、その『生き抜くための計算』って何よ」
きみはむすっと不機嫌そうな顔をして、質問をしてきた。
「まあ、いろいろ難しいことを考えて生きることだよ。最近のきみは、いつも眉間に皺を寄せているし」
きみの眉間を人差し指でつつけば、きみは怒ったような声で
「皺なんてありません」
と、はっきりと言う。しかし、そう言っているきみの眉間にはしっかりと皺が寄っている。
「さて、そこで一つ提案だ」
「何がそこで、なのよ」
「ぼくはきみの美しい眉間に皺が寄ることが悲しくてしょうがないんだ。せっかくの眉間、広々と開放するつもりはないかい?」
「眉間を開放するって……もう意味わかんないじゃない」
呆れたようなきみの声。額を押さえて大げさにため息を吐くきみ。しかし、それは呆れではないのだ。
「で、その開放ってどうするつもりなの?」
きみが興味をもったら、大げさなため息を吐くくせ。きみは完全に、食いついたのだ。
「こうするんだ」
ぼくはきみの腕を掴んで走り出す。きみは「え?!」と驚いたような声を上げて、絡まりそうな足で走る。何が起きているのかわからないというような顔をしているきみ。
「ちょ、ちょっと待って?! どこに行くの?!」
「さあ」
「はあ?!」
怒鳴るように叫ぶきみ。ぼくは気にせず、走る。
「ちょっとっ、待ってよ! 速すぎ!」
「こういう風に、全力で走るのもいいじゃないか」
「意味わかんない!」
しかしきみは、ぼくの手を振り払おうとはしない。それは、きみがぼくに期待しているからだ。
「つ、疲れ、た……」
しばらく走り続けたぼくたちがたどり着いたのは、街の外れにある公園だった。そこにある展望台は、この街全体を見下ろすことができるのだ。
「どうだい」
「な、に、が?」
荒く呼吸をするきみは、ぼくの問いの意味がわからない様子だった。
「だから、この風景」
「ふう、けい……」
きみはようやく、ぼくが見ていたほうと同じ方向を見た。ちょうど陽が傾き始めた、夕暮れ時。そこに現れた風景は、とても美しいものだった。
「すごい……」
「ねえ、きみは考えすぎじゃないかな」
「え?」
視線を街からぼくに向けたきみは、不思議そうな顔で聞き返した。
「いろいろな計算をして、上手く生きようとする。そういうことをしなくても、こういう風景は見れる」
「こういう、風景」
「きみが存在しているって、式にしなくても、こんなふうにきれいなものや好きなものを見ていれば証明できると思うんだ」
上手く生きるのは、存在するため。そのために、いくつもいくつも複雑な式を組み立てて、計算をしていく。それが、きみの生き方。
「たとえば、ぼくとか」
「……は?」
「ほら、好きなもの。きみの好きなものは、ぼくだろう?」
ぼくが言うと、きみは呆れたような大げさなため息を吐いた。
「もう、ばか」
笑う君を見て、ぼくはやっと安堵した。
だって、きみの眉間は開放されたのだから。
存在証明方程式・・・あってもなくても、ぼくはきみの隣にいれば存在できるから