傷跡を残して

 

 どうせ言葉は目に映らない。

「だから、人を平気で傷つけられるんでしょ?」

 笑う彼女だったけれど、目には笑顔が映っていない。残酷な、何かどす黒いものが映っている。

「だから、私を平気で傷つけられるんでしょ?」

 同じような言葉を、彼女は言う。そして、彼女は一歩ずつ僕に近付く。かつ、かつというヒールの音が僕の恐怖感をさらに強めた。

「だから…貴方は私を傷つけられるんでしょ?」

 怖い、なんて僕の口から出すことはできなかった。それは恐怖感からもあったが、何より罪悪感というものからもあった。怖い、怖い、と本能が叫ぶ。

 僕が何をしたって言うんだ?彼女に問うと、彼女は動きを止めた。「何を言っているの?」と、驚いたように彼女は目を大きく開いた。

「貴方のその言葉が私を傷つけているのよ」

 今まで僕が何をしたんだ。と、言ったところできっと彼女は「貴方は私を傷つけた」などと言うのだろう。彼女は怖い。

「ねえ、言葉は目に映らないの」

 それぐらい、知っている。

「言葉には大きな力があったとしても、目に映らないことによってそれは誰にも知られないの」

 彼女は僕を見下しながらはっきりとした口調で言った。まるで、学校の先生だ、と思いながら僕は彼女の言葉に耳を傾ける。

「だから、貴方は知らない。私を傷つけたことを」

 何を言っているのか、理解するのに時間がかかった。そして、彼女は僕のすぐ目の前に顔を近づけた。一定の鼓動が少しずつ早くなるのを感じていた。もう、彼女から逃れることはできない。

「昨日、貴方が何を言ったか覚えている?」

 僕は首を振る。

「『別れよう』。残念そうな顔をして言ったのよ?『別れよう、もう僕は君を愛することができないんだ』」

 一つ一つ、ゆっくりと彼女はのろいの言葉を吐く。

「『ごめん、僕は君のことが好きだった。けれど、僕には君を愛せる自信がなくなってしまった』なんて。ふざけないで」

 彼女の唇が僕の唇にあと少しで触れてしまいそうだ。けれど、それが触れる事はない。それぐらい、理解している。

「その前にも、貴方が嘘をついたり、誤魔化したり、お世辞を言うたびに私は傷つけられたのよ」

 そんな。

「だから、見て…」

 彼女は服を脱いで、下着だけになった。その胸元には、淡い桃色のような、深い紅色のような、何かがあった。

「私の傷」

 何に関しての?と、僕は尋ねる。「貴方に傷つけられた傷よ」

「ねえ、言葉には大きな力があるの。けれど、それを人は知らないままに死んでいくのよ?だって、言葉は目に映らないもの」

 なら、その傷はどうしたと言うんだ?

「私は、貴方の言葉に傷ついた度、胸にナイフを当てた。最初は冗談だったのにね、どんどんどんどん傷は深まっていくの」

 どうしてそんなことをしたんだ。

「だって、だって…言葉は目に映らないもの」

 口元をいびつに上げて、彼女は笑う。気味が悪い、と思った。そして、彼女は声を上げて笑い始めた。

「だから、傷を見せたの、貴方に」

 彼女の瞳は真っ黒だった。不気味だった。

「ほら、その言葉で…」

 僕は口を両手で押さえる。しまった、言葉が出てしまった。

「私は、傷ついた」

 彼女は手に持っていたナイフを胸に当てた。桃色から、はっきりとした赤い色がどろりと出てくる。

 

 彼女はまた僕を見つめる。

傷跡を残して・・・そしてやっと、本当の罪に気付いた。

 

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