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Short File:アフター・スクールは君と
「じゃ、あとは任せた、アステル」
「……は?」
アステルにできた返事はたった一言、いや、一音だった。眼鏡の下の目をまん丸く開いて、アステルは自分に頼みごとをしてきた同僚であるミリーネを見つめた。
「ええと……今、何て?」
ミリーネの話を聞き逃したわけではない。ただ、確認がしたかっただけだった。アステルが訊きかえすと、ミリーネは「んもう、ちゃんと聞きなさいよ」と冗談交じりに笑いながら文句を垂らした。
「だから、サイルの補習。またアステルが担当してね」
「いやいや、私、この間もサイルくんの補習、担当しましたよ? っていうか彼また補習ですか?」
「そうなのよ。もうね、こっちも困っちゃうわよねえ」
はあ、と大きく息を吐き出すミリーネの気持ちは、アステルにも重々伝わってくる。
「いい加減サイルも勉強しろって言ってるんだけどねえ……実習で調子いいからって調子乗ってるな、あいつ……」
「ミリーネ先生、生徒に向かってあいつって……」
教育者として適切ではないと思われる言葉に、アステルは丁寧に注意を入れる。しかしミリーネの方はその点を気にしていないようで、まだ思考はサイルの補習に向かっているようだった。
サイル・アーネット、魔術指導訓練所四年生。実習での評価は悪くないのだが、座学の成績がはっきり言って、悪い。一般科目も、魔術専門科目も、常に低空飛行で赤点を取るか取らないか、という点数なのだ。そんなサイルが補習を受けることは、もはや教官室では日常茶飯事とすら思われているのだが。
「あいつこれであの小テストの補習何度目だと思ってんの……?!」
ミリーネの手の中にあった補習予定表のプリントが、ぐしゃ、と物騒な音を立てる。
「っていうことで、あとはよろしくね!」
「いやいやいや?! っていうか、って何ですか?!」
「だって、前回も前々回もその前も担当アステルだったでしょ? なら、最後まで責任もってサイルの面倒みなくちゃ」
にこり、と笑いながら首をかしげるミリーネに、アステルは表情を引きつらせる。
「……ミリーネ先生、何か、デュオ司令官に似てきましたね」
その一言で、ミリーネが反射的にアステルの頭をプリントで叩いたのは、言うまでもない。
「こんっ、にちっ、わー!!」
「……はい、こんにちは」
とある放課後の教室。満面の笑みを浮かべて教室に入ってくるサイルに対して、アステルは冷静に返事をした。アステルの座る教卓の真正面にある席に座り、サイルは手をあげながら言う。
「いやー、アステル先生、今日もお疲れ様です!」
「……そうね」
「それにしたってやっぱり実習じゃないと時間の流れがゆっくりですよねえ。座りっぱなしで一時間ぐらいいるのってきついじゃないですかあ」
「……そうね」
「あれ? なんか今日、アステル先生怒ってる?」
「……そうね」
サイルの言葉にすべて同じ返事をしていたアステルが、ようやく新しい行動を取る。小さく長い息を吐き出して、机の上に置いていたファイルから何枚かの紙を取出した。
「どうして私が、怒っていると思う?」
なるべく怒りの感情が伝わらないように、なるべく穏やかに。アステルは自分に何度も言い聞かせながら、プリントをサイルに突きつけた。
「おお」
そんな気の抜けた声を上げるサイル。目の前に突き付けられているのは彼の補習の原因となった赤点の小テストだった。
「これがどういうことか、解る?」
「点数がちょっぴり足りなかった!」
「ちょっぴりどころじゃないけどね……」
抑えろ、アステル・トゥール。声を震わせながらアステルは笑みを作って、サイルに突きつけた小テストを机に置いた。
「点数が足りなければ、それを補うために、この補習があるわけだけれど、君はそれをもう何度繰り返した?」
「えーっと、今回で十三回目かな」
「……そう。このプリントの枚数と同じ、十三回目」
へらりとした笑みで返されると、ミリーネがサイルに対して口調が荒くなった理由がアステルにも理解できはじめていた。それでも、と、アステルは笑みを必死に作る。
「さすがに同じような内容のテストを落とすなんて、……ふざけているとしか考えられないのだけれど?」
笑みは作れても、声色は作れなかった。アステルは低い声でサイルに尋ねる。
「ふざけてるつもりなんて、全然」
「じゃあ、どうして?」
「先生と一緒の時間が欲しかったから」
一瞬、アステルの思考が、止まる。
「……はい?」
作っていた笑みも、隠しきれなかった低い声色も、全部、消えていた。
「だってさあ、先生とこう、二人っきりでいるってできないじゃん?」
「……ええと、サイル、くん? 君は何を言っているの?」
「だーかーら、おれは先生と二人で一緒に居たかったの!」
机から身を乗り出して熱く語るサイルに、アステルは呆然とした表情のままで「……はあ」と返事をしていた。
「ちょっと、先生?! もしかして真面目に聞いてないでしょ?!」
「いや、真面目……っていうか」
サイルの言葉にまともに返事をしようとしていたアステルだったが、目をはっと見開いた。
「いや、真面目じゃないのは君でしょう?!」
「え?! おれ、至って真面目なんだけど?!」
「真面目にやってるなら十三回も同じテスト受けないでしょう?!」
「だからおれは! 先生と一緒に居たかったんだって!」
「それはどういう意味なの?!」
「先生が好きってこと!」
「何を言って……え?」
大声で言い争っている中、サイルの発言に、アステルの勢いが、消えた。
「だから、おれ、アステル先生の事が好きなんだって」
「……君、何言ってるの?」
「アステル先生ってさ、何だかんだ言っておれの補習付き合ってくれるし、丁寧に教えてくれるしさ。なんかもう、その優しさにときめいちゃったっていうか? それに先生かわいいし、見た目がおれの好みなんだよねえ」
へら、と笑う少年の言葉に、アステルは動揺していた。
「だから、こうやって先生と一緒に居られて、幸せ」
ダメ押し、と言わんばかりにサイルが言う。アステルの動揺は、最高潮に達していた。
「……もう、本当、何言ってるのよ……」
アステルは眼鏡を外し、顔を隠すように片手で頭を押さえる。持病の偏頭痛もやって来ていないのに、頭の奥がずきずきと脈打っているようだった。それは、果たして頭痛の前兆か、それとも。
「で、先生? 今から何すればいいの?」
サイルのごく当たり前な問いに、アステルは「へっ?!」と裏声を上げた。そして慌てて眼鏡をかけ直し、サイルから視線を逸らしながら叫んだ。
「ええと、いや、その……今日は解散!」
「えええ?!」
「また後日改めて呼び出します! それまでに今回のテストで間違えたところを勉強し直してください!!」
「えー……あ、でもまた先生と二人っきりになれるんだ。じゃ、おれ、頑張るよ!」
がた、と椅子を鳴らしてサイルは立ち上がる。
「じゃあね、先生! また今度!」
軽やかな歩みで教室を出て行くサイルと対照的に、アステルはぐったりと頭を抱えながら項垂れていた。
「ああ……もう……」
さらり、と揺れる萌葱色の髪の間から、真っ赤に染まった耳が露わになっていた。
「……サイルくんの件、私がなんとかします」
後日、教官室。真剣そのもの、と言うような表情で、大量のプリントを抱えたアステルがミリーネにそう宣言した。
「お、やる気出してくれたんだ」
「やる気っていうか……彼をどうにかできるのは、私しかいないと、思って……」
視線をミリーネから持っているプリントに向けながらアステルは言う。そのプリントの記名欄に記されているのは『サイル・アーネット』の文字。
「惚れた?」
ミリーネの一言に、アステルの手からプリントが一気に落ちた。ばさばさばさ、とプリントが大きな音を立てる中、アステルの耳の奥からはさらに大きな音が響いていた。
「なっ、何っ?! 何を、言ってるんですかミリーネせんせぇ?!」
「はいはい、落ち着きなさいって。あー、いやいや、可愛いわねー、アステルって」
「どっ、どういう意味ですかっ?!」
ミリーネはくすくすと笑いながら、散らばったプリントを拾う。アステルは顔から耳から手から、肌が出ている部分全てを真っ赤にして、動揺している様子を表していた。それを見て、さらにミリーネから笑いが零れる。
「ま、愛の力とやらであいつを矯正させてやってよ」
からかいの言葉をかけながらアステルにプリントを差し出すミリーネ。その一言で、アステルが差し出されたプリントを受け取り、反射的にミリーネを叩いたのは言うまでもない。