ここは小さな町の小さな郵便局 何処にでもあるごくごく普通な郵便局
「じゃ、俺帰りますー」
そんな郵便局の窓口の奥、事務室部分で明るい声が響く。バイトの川野少年が午前中の仕事を終えて帰る挨拶の声。
「川野、やけに楽しそうじゃねえか」
「そうっすか? いやあ、バイトが終わって帰れるときほど開放感が溢れるときってないと思いますよ」
川野少年は先輩の広重に爽やかすぎる笑顔を向けていた。配達から帰ってきたときのぐったりした表情からは想像できない爽やかさを広重にむんむんと向けてくる。
「じゃ、しっつれいしまーす」
そう言って、川野少年は軽やかなステップで郵便局を出て行った。その姿を広重と、広重と同期の桜木が困ったような表情を浮べて見ていた。
「なんか、複雑だなあ」
「開放感って、別にここが束縛でもしてるわけじゃねえのにさ」
「学生にとってのバイトは学校以上の束縛だろうね。特に上下関係激しいし」
桜木の言葉に広重は違和感を覚えた。
「あれ、そんなに上下関係激しいか?」
「あれ、そんなに川野に優しい?」
桜木は川野少年とは違う、本物の爽やかな笑顔で広重に言った。広重は少しだけ苛立った。
***
「つ、つつつつ、妻、がっ」
「とりあえず局長、深呼吸」
川野少年が帰ってからしばらくして、窓口で書類の整理をしていた郵便局長の大島が目に涙をためながら昼食を終えたばかりの広重と桜木の元にやってきた。慌てて混乱している大島に桜木は冷静に対応する。
「つ、妻が、ね、熱を出したんだ! 家には誰も居なくて!!」
「大変じゃないっすか! 局長すぐに帰ってくださいよ!」
「それが……」
大島が窓口の方を向く。先ほどまで昼食のために郵便局を閉めていたのだが、窓の向こう側に影が見える。
「あらら」
「い、いっぱいお客さんが、居るみたいで…」
半泣きの大島の姿は怯える小動物のようだ、と広重はぼんやりと思っていた。その隣の桜木が微笑み「大丈夫ですよ」と言った。
「俺と広重が対応しますから」
「お、俺も!?」
「そうだよ。お客様を待たせる訳にはいかないだろ?」
もっともである。そう言われると広重も反論できず、力なく返事をした。
「ほ、本当にごめんね! 本当にありがとう!!」
大島はうるうると涙を目に溜めながら、郵便局を出ようとした。
「あー。局長、気をつけて帰ってくださいよー」
「あんまり慌てると転びますよー」
桜木と広重が言ったときには大島は転んでいた。
***
「お待たせしました」
と、桜木が郵便局の扉を開けた瞬間、待っていた人々の間から黄色い声が上がった。それを窓口で待機していた広重は呆れたような目で見つめる。そんなに桜木がいいのか、と広重は女性たちを見ながら思った。
広重と桜木は学生時代からの友人同士だった。だからこそ、お互いのことは知り合っている。学生時代から桜木を見ている広重としては何故女性たちがそんなにも桜木に黄色い声を上げるかの意味が理解できなかった。それは今に始まったことではなく、学生時代からそうだった。何かと女子生徒に声をかけられている姿を広重はよく見かけていた。
「何がいいんだろうなあ、こいつの」
広重はそう呟き、隣の窓口の席についた桜木を見る。桜木は小さく微笑み「どうしたんだ?」と広重に尋ねた。広重は無言で首を振るだけで返事はしなかった。そして女性たちが続々と窓口に列を作る。ただし、桜木の方に集中している。
「……あの、こちらも空いてますけどー」
そういう広重の声は、桜木に興奮している彼女たちの耳には届かない。桜木も無理矢理女性たちを追いやりはせず、一緒に世間話などで盛り上がっている。広重はため息をついた。それから先ほどまで大島が整頓していた書類を片付け始める。
「広重のにーちゃん!」
突然、広重の名を呼んだのは郵便局にやってきた母親を待っている子どもたちだった。子どもたちは目を輝かせながら広重のいる窓口を見上げている。
「お、どうした?」
先ほどまでの疲れたような表情は消えて、広重は子どもたちの方を向く。
「あのね、あのね、これ見て!」
と、ある子どもが肩にかけているポシェットから何かを取り出す。窓口から少し身を乗り出して、広重はそれを見る。
「じゃーん!!」
「おおおお!!」
子どもの手には、キラキラと輝くシールがあった。最近子どもたちの間で流行っている、チョコレートのおまけのシールであった。広重はそれを見て、子どもたちと同じように関心の声を上げた。
「すげえな! よく見つけたなあ」
「えっへへ。広重のにーちゃんに見せてよかったー!」
「俺なんか母ちゃんに見せたら、怒られたんだぜー。『またこんなの買って!』って」
「母ちゃんだってドラマのなんか買ってるくせにさー」
子どもたちはじっと隣の窓口を見る。家事や育児の疲れからは想像できないような若々しさを女性たちは桜木に向けていた。もちろん、桜木はそれを丁寧に受け取っている。
「確かになあ」
子どもたちの言う事はもっともである。広重は大人、という立場を忘れかけながら子どもたちにそう頷いた。
「でも広重のにーちゃんはそんな事言わないから、俺好き!」
「俺も!」
「わたしもー!」
子どもたちが跳ね飛びながら、言う。「こらこら、あんまり暴れるなよ!」と広重が注意すると素直に子どもたちは跳ねるのをやめた。そんな様子を、桜木は横目で見る。
「広重のにーちゃん、これあげる!」
先ほどシールを見せてくれた子どもが必死に背伸びをしながら、窓口に何かを置こうとしている。
「お?」
広重はその置かれたものを手にとる。先ほど自慢げに見せてくれたシールが、広重の手の中で輝く。
「え、いいのか? これ、折角当たったやつだろ」
「だって、前に広重のにーちゃんも欲しいって言ってたもん!」
「それに、俺たちが買うのはいいけど、にーちゃんが買うとさ……」
その言葉に、周りの子どもたちがにやりと笑う。どうやら、社会人である広重が子ども向けの菓子を買う姿を想像しているらしい。
「恥かしいでしょ、大人として」
誰かがそう言った瞬間、子どもたちは一斉に笑った。お前ら、何処でそんな言葉を覚えたんだよ…広重は子どもたちを見て苦笑いを浮べた。
「ったく…ほら、静かに座ってお母さんたちを待ってろよー!」
わー、と声を上げながら子どもたちは郵便局の外に出て行った。
***
「モテモテだな、桜木」
「そういうお前もだろ、広重」
郵便局を閉めながら、広重と桜木は少し疲れたような笑みを浮べていた。
「郵便局であんなふうに奥様方が盛り上がるって普通ないよなあ。よかったな、局長いなくって」
「あれでも真面目な話してたんだよ。ほら、預金の話とかさ」
別に慌てて取り繕う様子もなく、桜木は言った。「あと、晩ご飯のメニュー考えたりとか」
「お前が晩ご飯のメニュー考えてどうするよ」
広重が小さな笑い声を上げると、桜木も広重を見ながら言った。
「おすそ分け、頂くことになったよ」
「あ、ずりー。お前、それが目的だったんだろ。戦略家か!」
「まさか。皆さんの好意に答えただけだよ」
その爽やかな笑顔をきっと奥様方に向けて、心をがっちりと掴んでいるのだろう。
「広重も何か貰ってただろ?」
「あ、ああ。これこれ」
広重は先ほど子どもたちに貰ったシールを桜木に見せた。夕陽にあたり、シールはさらに輝く。
「相変わらず……好きだな、そういうの」
「まあな。俺、コレクターだから」
歯を出して笑う広重の姿は、少年の姿そのものだった。
「羨ましいね、そういうの」
「……は?」
突然の桜木の言葉に、広重は笑顔から大きな目を開いて瞬きをした。意味がわかっていない広重は無言のまま大げさなくらい瞬きをする。
「俺はあんまり子どもに好かれないみたいだからさ。だからそういう風にシールとかもらえるのは羨ましいね」
「いやいやいや、お前は奥様方の心を掴みまくりじゃねえか」
「そうか? でも、子どもと話したいって思っても上手く話せないからね、羨ましいよ」
「……まじか」
広重はただそれだけしかいえなかった。そして、小さく安心していた。
「よかった。てっきり、俺だけ思ってたのかと思ってた」
「え?」
「俺だってお前みたいに女の人と上手く話してみたいとか思ってたよ。なんかいっつも上手く話せないからさ」
「何だ、お互い様か」
その言葉に二人は小さく吹いて、そのまま笑った。
END